長年支えてくれた従業員に、何か報いたい。譲渡の場面で多くの経営者が考えることです。ただ、いつ・誰が・どの原資で払うのかを決めておかないと、思わぬところで揉めます。
そもそも支給する義務はない
まず前提を整理します。譲渡を理由に従業員へ金銭を支払う法的な義務はありません。
株式譲渡であれば、会社はそのまま存続し、雇用契約も継続します。退職するわけではないので、退職金の支給事由も生じません。
それでも支給を考えるのは、経営者の意思です。義務ではないからこそ、金額も方法も自由に設計できます。
逆に言えば、支給しないという判断も、何ら問題ではありません。「払わないと不義理だ」と感じる必要はありません。
誰が払うのか、が最初の分岐
ここを決めないまま進むと、必ず揉めます。二つの形があります。
会社が払う。会社の資金から賞与として支給します。会社の利益が減るため、譲渡価格に影響します。買い手からは「その分、株価を下げてほしい」という話になります。
オーナー個人が払う。譲渡で受け取った代金から、個人として渡します。会社の財務に影響しません。
金額が大きくなければ後者が簡明ですが、個人からの贈与として扱われるため、税務上の論点が生じます。次に述べます。
税務上の扱いを先に確認する
会社が支給する場合。賞与として損金算入が認められるかは、支給の理由と規程の有無によります。臨時の支給でも、全従業員に一定の基準で支給するなら賞与として扱われるのが通常です。源泉徴収と社会保険料の対象になります。
個人が支給する場合。受け取った側には贈与税の問題が生じ得ます。年間110万円の基礎控除を超える金額を渡せば、受け取った従業員が申告する必要が出ます。
従業員に税負担を負わせる形になっていないか。ここは必ず税理士にご確認ください。善意で渡したものが、相手の負担になっては意味がありません。
買い手にいつ伝えるか
会社の資金から支給する場合、買い手への開示が必要です。
デューデリジェンスの後、クロージングの直前に「実は従業員に賞与を出します」と伝えると、価格の再交渉になります。買い手から見れば、純資産が減る話だからです。
実務では、基本合意の段階で伝えます。「クロージング前に従業員へ特別賞与を総額◯円支給する予定」と条件に入れておけば、価格の前提に織り込まれます。
後出しにしないこと。これだけで進行が変わります。
いつ払うか
タイミングは、公表の時期と連動します。
従業員への公表前に支給すれば、理由を説明できません。公表と同時か、その後になります。
実務で多いのは、公表の場で伝え、直近の給与支給日に合わせて払う形です。「これまでの感謝として」と説明します。
注意点として、クロージング前に支給を終えておくほうが簡明です。クロージング後に会社から支給すると、原資は既に買い手のものになった会社の資金です。買い手の承諾が要ります。
金額をどう決めるか
決まった相場はありません。実務で見るのは次のような考え方です。
勤続年数に応じて。最も説明しやすい基準です。
一律で。全員同額。公平感がありますが、貢献度の差は反映されません。
役職・貢献度に応じて。納得感は高い一方、基準を説明できないと不満が残ります。
どの形でも、基準を先に決めて、全員に同じ説明をしてください。金額を個別に伝えると、必ず比較されます。「なぜあの人より少ないのか」という話になります。
キーマンへの上乗せは別に設計する
事業の継続に不可欠な人材には、慰労金とは別の仕組みを考えたほうが合理的です。
慰労金は過去への感謝であり、残る動機にはなりません。受け取ってから辞めることもできます。
買い手にとって重要なのは、その人が譲渡後も残ることです。そのためには、買い手側が用意する処遇(役職、報酬、一定期間在籍した場合の支給)のほうが効きます。
買い手と相談して設計してください。売り手が個人的に渡す金銭では、この目的は達せられません。
就業規則と過去の慣行を確認する
見落とされやすい点です。就業規則や賃金規程に、賞与の定めがあるかを確認してください。
「賞与は会社の業績により支給することがある」といった定めがあれば、臨時の支給もその枠内で説明できます。
また、過去に同様の支給をしたことがあるかも見ます。前例があれば、それに準じるのが自然です。前例と大きく違う扱いをすると、比較されます。
なお、支給を約束する文書を作る場合は、労働条件に関わるため慎重に。社会保険労務士にご確認ください。
手取りの計算に入れておく
最後に、費用としての整理です。
会社から支給するなら、会社負担の社会保険料も加わります。総額は支給額の1.15倍程度になると見ておいてください。その分、純資産が減り、価格に影響します。
個人から支給するなら、譲渡代金から出ていく金額です。税引後の手取りから差し引いて計算してください。
仲介手数料、専門家費用、税金、そしてこの慰労金。すべてを引いた後に、いくら残るのか。その数字で判断してください。費用の総額で比べるもご覧ください。