印刷会社の事業承継のご相談では、「うちの機械は年式が古いから、値段はつかないでしょう」というお話をよく伺います。一方で、「思い切って新しい機械を入れたので、そのぶん高く売れるはずだ」とおっしゃる経営者様もいらっしゃいます。どちらも、実際の評価の考え方とは少し違います。買い手が見ているのは、設備そのものの新旧よりも、その設備が「いくらの利益を、あとどれくらいの期間、どれだけの追加投資で生み続けられるか」です。そして近年は、その判断の前提として、受注から製造までのデジタル対応がどこまで進んでいるかが必ず確認されるようになりました。本稿では、印刷会社の売却において、デジタル対応の進み具合が評価にどう影響し、買い手が設備と体制のどこを見ているのかを整理します。需要構造の変化や技術・取引先の承継といった全体像については「印刷業のM&A|需要構造の変化と設備・技術の承継」で解説していますので、あわせてご覧ください。

印刷会社の「DX」は何を指しているのか

DXという言葉は幅が広く、印刷会社の現場では人によって指すものが違います。M&Aの場面で買い手が確認するのは、おおむね次の四つの層に整理できます。

具体的に見られるもの
受注・営業Web経由の受注や見積の仕組みがあるか。見積が担当者の勘に依存していないか。顧客ごとの単価や履歴がデータとして残っているか。
入稿・製版データ入稿の比率。面付けや検版の自動化。校正のやり取りがオンラインで完結しているか。
製造・工程管理ジョブごとの実績時間・損紙・稼働率が記録されているか。生産管理システムを使っているか、紙の指示書と口頭で回しているか。
基幹・会計受注データと請求・原価が連動しているか。案件別の採算が後から追えるか。

ここで重要なのは、最新のシステムを導入していること自体が評価されるわけではない、という点です。買い手が見ているのは「会社の中で起きていることが、データとして外から確認できるか」です。高価なシステムを入れていても運用されていなければ評価にはつながりませんし、逆に、表計算ソフトで丁寧に案件別の実績を積み上げている会社は、規模が小さくても高く評価されることがあります。

デジタル対応の進み具合は、評価にどう影響するか

デジタル対応が進んでいることは、買い手にとって二つの意味を持ちます。

第一に、収益の再現性が確認できる

企業価値の算定は、多くの場合、過去の利益をもとに将来の収益力を見積もるところから始まります。このとき、案件別・顧客別の採算が追える会社であれば、「どの仕事で儲かっていて、どの仕事が赤字なのか」が明らかになります。買い手は、その構造を前提に将来を組み立てられるため、見積もりの幅が狭くなります。

反対に、月次の売上と粗利しか分からない会社では、買い手は中身を推測するしかありません。読めない部分は、一般に保守的に、つまり厳しめに見積もられます。同じ利益額でも評価が変わるのは、こうした事情によるものです。この考え方は業種を問わず共通しており、「会社の価値を下げる要因|売却前に直せるもの・直せないもの」でも整理しています。

第二に、統合後の作業量が見積もれる

買い手が同業であれば、譲受後に自社の受注システムや工程管理と接続することを考えます。このとき、すでにデータで管理されている会社は、接続の手間が読めます。紙とベテランの記憶で回っている会社の場合、「引き継ぎに何年かかるか分からない」という不確実性が加わります。

ただし、誤解のないよう申し添えます。デジタル対応が遅れていること自体が、M&Aを難しくするわけではありません。中小の印刷会社で工程管理が完全にシステム化されている例は、そもそも多くありません。買い手もそれは分かったうえで見ています。決定的な差になるのは、遅れているかどうかではなく、遅れている部分を経営者様自身が把握し、説明できるかどうかです。

既存設備を、買い手はどう見ているか

印刷会社の設備は、貸借対照表上は資産に計上されますが、買い手の目には資産と負担の両面で映ります。確認されるのは、おおむね次の点です。

  • 機種・年式・累計印刷数。減価償却が終わっていても現役で稼働している機械は珍しくありません。逆に、償却が残っていても実質的に使われていない機械もあります。帳簿上の価額と実態は分けて見られます。
  • 稼働率。何台あるかよりも、どれだけ動いているかが問われます。稼働の低い機械は、維持費と設置面積だけを消費している状態と評価されることがあります。
  • 更新時期と、その資金。買い手にとって最も重要な論点のひとつです。譲受後の数年内に大型の更新が必要であれば、その金額は実質的に買収価格に上乗せされる負担として意識されます。
  • 保守契約と部品の供給。メーカーの保守が継続しているか、部品の入手に不安がないか。特殊な加工機では、これが事業継続そのものに関わります。
  • リース・担保の状況。リース残債、割賦の残り、機械への担保設定。これらは条件の整理に直結します。
  • 設置環境。工場の建物が自社所有か賃借か、移設が可能な構造か。買い手が拠点集約を考える場合、移設の可否は大きな判断材料になります。

ここでDXの話とつながります。稼働率や損紙率、機械別の生産実績がデータで示せる会社は、設備の価値を数字で説明できます。「この機械は月に何時間動いていて、どの得意先のどの仕事を担っている」と示せれば、買い手はその機械を事業の一部として評価します。一方、それが示せない場合、機械は「中古市場でいくらか」という、事業から切り離された見方に近づいていきます。

設備の評価方法や、リース・担保の取扱いは、案件の規模やスキームによって扱いが異なります。個別の判断にあたっては、税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。

体制|設備を動かしている人と手順

設備の話は、必ず人の話に行き着きます。買い手が繰り返し確認するのは、次のような点です。

操作できる人が何人いるか。特定のオペレーター一人しか扱えない機械は、その方の退職と同時に稼働が止まります。買い手はこれを事業リスクとして見ます。二人以上が扱える体制になっていれば、それだけで安心材料になります。

色や品質の判断が、誰に依存しているか。色校正の最終判断が経営者様ご自身、というケースは少なくありません。承継を考えるうえでは、判断の基準を言葉や数値に置き換えていく作業が価値を持ちます。カラーマネジメントの標準化は、その典型的な取り組みです。

手順が残っているか。段取り替えの手順、用紙ごとの設定値、トラブル時の対処。こうしたものが書面やデータで残っていれば、それ自体が引き継げる資産になります。「頭の中にある」だけでは、買い手はその価値を評価に織り込めません。

後工程や外注先との関係。製本や特殊加工を外注している場合、その関係が個人的なつながりに依存していないか。取引の条件が記録されているか。この点は「社内規程・契約書が未整備の会社|DDで指摘される前にできること」で扱った論点とも重なります。

譲渡に向けて、何をどう示すか

では、実際に何を用意すればよいのでしょうか。特別なシステム投資をしなくても、次のような整理から始められます。

設備一覧をつくる

機種、導入年、取得価額、現在の帳簿価額、リースや担保の有無、保守契約の状況、直近の稼働状況、次の更新見込み時期。これを一覧にするだけで、買い手からの質問の大半に答えられます。作成の過程で、経営者様ご自身が「この機械はもう動いていない」と気づかれることも少なくありません。

案件の中身が分かる資料を揃える

得意先別の売上と粗利、仕事の種類別の構成、リピートの状況。完璧な原価計算までは求められませんが、「どの仕事が会社を支えているか」が示せる形にしておくと、収益力の説明が具体的になります。準備すべき資料の全体像は「M&Aで必要になる書類一覧|準備すべき資料と集め方」にまとめています。

デジタル化の「現在地」を正直に書く

データ入稿の比率、Web受注の有無、工程管理の方法、会計との連動。進んでいる部分と、手作業に頼っている部分を、そのまま整理します。遅れを隠す必要はありません。むしろ、「ここは手作業だが、担当者は二名いて、手順書がある」といった形で実態を示すほうが、買い手は安心します。

投資の判断は、慎重に

「売却前に評価を上げたいから新しい機械を入れる」という考え方は、慎重な検討が必要です。設備投資は資金を減らし、借入を増やす行為でもあります。投資額がそのまま評価額の上昇につながる保証はありません。売却を視野に入れた時期の大きな投資については、事前にご相談いただくことをお勧めします。

まとめ|「古いから安い」ではなく「読めるから評価できる」

印刷会社の評価において、設備の年式は判断材料のひとつにすぎません。年式の古い機械でも、安定して稼働し、採算の合う仕事を担い、複数名が操作でき、部品供給に不安がないのであれば、それは立派に事業を支える資産です。反対に、新しい機械でも、稼働が低く、返済負担だけが残っているのであれば、買い手にとっては負担として映ります。

デジタル対応についても同じことがいえます。最新のシステムを揃えることが目的ではなく、会社の中で何が起きているかを外から確認できる状態にすることが目的です。案件別の採算が追える、機械別の稼働が分かる、手順が残っている——こうした積み重ねが、買い手の見積もりの幅を狭め、結果として評価を支えます。

そして、これらの整理は一朝一夕にはできません。譲渡を具体的に考え始めた段階で着手すれば、一定の期間をかけて相当な部分を整えられます。それは売却のための作業であると同時に、会社の経営そのものを見えやすくする作業でもあります。

当社プラチナパートナーズは、中小企業の事業承継・会社売却をご支援しています。相談料・着手金・月額報酬は0円です。設備の一覧づくりや資料の整理が進んでいない段階からのご相談も歓迎しております。

よくあるご質問

A.そうとは限らないため、慎重な検討が必要です。設備投資は資金を減らし、借入を増やす行為でもあり、投資額がそのまま評価額の上昇につながる保証はありません。買い手が見ているのは設備の新旧そのものではなく、その設備がいくらの利益を、あとどれくらいの期間、どれだけの追加投資で生み続けられるかです。新しい機械でも稼働が低く返済負担だけが残っているのであれば、買い手には負担として映ります。売却を視野に入れた時期の大きな投資については、実行前にご相談いただくことをお勧めします。
A.難しくはありません。中小の印刷会社で工程管理が完全にシステム化されている例はそもそも多くなく、買い手もそれは分かったうえで見ています。決定的な差になるのは、遅れているかどうかではなく、遅れている部分を経営者様ご自身が把握し、説明できるかどうかです。データ入稿の比率、Web受注の有無、工程管理の方法、会計との連動について現在地を正直に整理し、「ここは手作業だが担当者は二名いて手順書がある」といった形で実態を示すほうが、買い手は安心します。高価なシステムでも運用されていなければ評価にはつながりません。
A.判断の基準を、言葉や数値に置き換えていく作業が価値を持ちます。カラーマネジメントの標準化はその典型的な取り組みです。あわせて、段取り替えの手順、用紙ごとの設定値、トラブル時の対処といったものを書面やデータで残しておくと、それ自体が引き継げる資産になります。「頭の中にある」だけでは、買い手はその価値を評価に織り込めません。機械の操作についても同じで、特定のオペレーター一人しか扱えない機械はその方の退職と同時に稼働が止まるため、二人以上が扱える体制になっていれば、それだけで安心材料になります。
A.年式だけで決まるものではありません。減価償却が終わっていても現役で稼働している機械は珍しくなく、安定して稼働し、採算の合う仕事を担い、複数名が操作でき、部品供給に不安がないのであれば、事業を支える資産として見られます。差がつくのは説明の仕方です。「この機械は月に何時間動いていて、どの得意先のどの仕事を担っている」と示せれば、買い手はその機械を事業の一部として評価しますが、それが示せない場合は「中古市場でいくらか」という、事業から切り離された見方に近づきます。設備の評価やリース・担保の取扱いは、税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら