本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。交渉の相手は目の前の担当者ですが、条件を決めているのはその人の背後にある意思決定の仕組みです。いつ、どの会議で、どんな資料をもとに決まるのか。ここを知らずに進めると、「良い感触だったのに返事が来ない」「直前で条件が変わった」といったことが起きます。いずれも担当者の熱意の問題ではなく、仕組みを聞いていなかったために起きた行き違いです。意向表明の比較は「意向表明書(LOI)の受領と比較の実務」を参照してください。

条件は、人ではなく仕組みが決めている

買い手の担当者が前向きでも、社内の会議を通らなければ条件は出ません。逆に、担当者の反応が淡々としていても、会議で承認が下りれば話は進みます。仲介者が見るべきは、担当者の温度ではなく決裁の経路です。

ここを把握していないと、次のようなことが起きます。

  • 意向表明の期限を、買い手の会議日程を知らずに設定してしまう
  • 会議の直前に追加資料を求められ、こちらの準備が間に合わない
  • 担当者と詰めた条件が、上位の会議で修正されて戻ってくる
  • 売り手に「来週には返事が来ます」と伝えたまま、二週間空く

最後の一つが、売り手の信頼を最も損ないます。待たされること自体より、理由の分からない待ち時間が不安を生みます。仕組みを聞いてあれば、「次の会議が◯日ですので、そこまでは動きません」と説明できます。同じ二週間でも、受け止め方がまったく違います。

最初に聞いておく五つのこと

買い手と本格的な検討に入る段階で、次の五つを聞きます。聞きにくいことではありません。「日程のご相談のために教えてください」と言えば、多くの買い手は普通に答えてくれます。

聞くことなぜ必要か
最終的に決めるのは誰か交渉の相手が決裁者本人か、説明する側かで進め方が変わる
どの会議を通るか経営会議、投資委員会、取締役会など。通る会議の数だけ時間が要る
開催の頻度と直近の日程月一回なら、一度外すと一か月遅れる
会議に出す資料は何か必要な資料をこちらが早く出せば、それだけ早く進む
資料の提出期限会議の一週間前に締め切られることが多い。ここが実質的な期限になる

五つ目が実務上いちばん効きます。会議の日付だけ聞いて安心していると、「資料は先週締め切りでした」ということが起きます。本当の期限は、会議の日ではなく資料の提出期限です。ここから逆算して、こちらの作業日程を組みます。

買い手の型による違い

意思決定の速さと性質は、買い手の成り立ちによってかなり違います。一般的な傾向として押さえておくと、見立てが立てやすくなります。(あくまで傾向であり、個々の会社によって異なります。)

意思決定の傾向仲介者が注意する点
オーナー経営の会社決裁者が一人で、判断が速いことが多い速いぶん、社内の他の役員や家族への説明が後回しになることがある。関係者の範囲を確認する
複数拠点をもつ事業会社経営会議を経る。月次の開催が多い会議日程を押さえ、資料の期限から逆算する
上場企業投資委員会・取締役会など複数の段階を通る。開示や内部統制の要請もある段階の数だけ時間が要る。求められる資料の水準も高い。早めに要件を確認する
持株会社・グループ本社事業会社側と本社側の両方の承認が要ることがあるどちらが先か、両方必要かを確認する
投資を専門に行う法人投資委員会での審議。調査と資金の手当ての段取りが定型化していることが多い手順が明確なぶん、求められる資料も明確。要求の一覧を早く受け取る

どの型であっても、仲介者がすることは同じです。仕組みを聞き、期限を確かめ、逆算して動く。型の知識は、聞き漏らしを減らすためのものであり、決めつけて聞かない理由にはなりません。

逆算表を作る

会議の日と資料の期限が分かったら、そこから逆算した表を作ります。売り手側の準備と、買い手側の締め切りを一枚に並べるのが要点です。

日付誰が何を
会議日買い手審議・決裁
会議の7日前買い手担当者社内資料の提出(実質的な期限)
会議の10日前仲介者買い手が資料を作るのに必要な情報を渡し終える
会議の14日前売り手追加で求められた資料を用意する
会議の21日前仲介者必要資料の一覧を買い手から受け取り、売り手に依頼する

この表を作ると、「売り手にいつ何をお願いすべきか」が自動的に決まります。経営者は本業のかたわらで資料を用意します。前日に頼めば無理をさせ、質も落ちます。逆算表は、売り手に無理をさせないための道具だと考えてください。

なお、日付は買い手に確認したうえで置きます。推測で置いた日程を売り手に伝え、後から動かすことになるのが最も避けたい形です。確認できていない部分は「確認中」と書いて渡します。

待つ時間を、売り手にどう説明するか

買い手の社内手続きの間、売り手は何もできません。この時間の説明の仕方が、仲介者の評価を分けます。

  • 理由を具体的に言う:「先方の社内手続きに時間がかかっています」では足りません。「◯日に投資委員会があり、そこで審議されます。それまでは判断が出ません」と、日付と場を伝えます
  • 待つ間にできることを示す:資料の準備、株式の整理、個人資産の切り分けなど、どのみち必要になる作業を先に進めていただく。手が動いていれば、不安は小さくなります
  • 空白の週にも連絡する:「進展はありませんが、予定どおり◯日の会議に向けて進んでいます」という連絡に意味があります。沈黙は、当事者には悪い知らせに見えます
  • 遅れたら、遅れた時点で伝える:会議が延期になった、資料の追加を求められた。いずれもすぐに共有します。伝え方は「悪い知らせの伝え方」を参照してください

買い手の決裁の仕組みを知ることは、買い手に合わせるためだけの作業ではありません。売り手に、いま何が起きているかを正確に伝えられるようになるためです。不確かなことを不確かなまま抱え込まず、分かっている範囲を共有する。それが待ち時間の長い工程で、信頼を保つ唯一の方法です。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものです。契約条項の解釈や個別案件における法的な適用は弁護士に、税務の取り扱いは税理士にご確認ください。アドバイザーは法律事務・税務代理を行いません。

よくあるご質問

A.日程を組むために必要な範囲であれば、通常は問題ありません。「ご検討の進め方を教えてください」「社内のご審議はいつ頃でしょうか」といった聞き方であれば、多くの買い手は答えてくれます。聞かないまま期限を設定するほうが、双方にとって不都合を生みます。
A.多くの場合、買い手の社内手続きの途中です。会議の開催が月に一度であれば、それだけで数週間空くことがあります。ただし、理由が説明されないまま待たされる状態は良くありません。仲介者に、どの会議でいつ審議されるのかを確認するようお伝えください。日付が分かれば、見通しが立ちます。
A.上位の会議で修正されることはあります。だからこそ、条件を詰める段階で「この内容は社内の承認が済んだものですか」を確認しておくことが重要です。承認前であれば仮の合意として扱い、確定したものと混ぜない。この区別をしておけば、後から変わったときの混乱が小さくなります。
A.あります。調査で必ず求められる資料の整理、株主や名義の確認、会社と個人の資産の切り分けなど、どの買い手に進むとしても必要になる作業です。待ち時間にこれらを進めておくと、後の工程が短くなり、結果として全体の期間も縮みます。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら