「自分が引退したら、この診療所はどうなるのか」——地域医療を長年支えてこられた院長先生から、近年こうしたご相談をいただく機会が増えています。クリニックや医療法人の承継は、一般の会社のM&Aと似ているようでいて、医療法に基づく独自のルールが数多くあります。とりわけ重要なのが、ご自身の法人が「持分あり」か「持分なし」かという類型の違いです。本稿では、医療法人の類型ごとの承継方法、個人開設クリニックの引き継ぎ方、そして承継にあたって確認すべき論点を、順を追って整理してご説明します。
クリニック・医療法人の承継が課題になる背景
クリニックの承継が社会的な課題として語られる最大の背景は、院長先生の高齢化と後継者の不在です。帝国データバンクの2025年調査では、国内企業の後継者不在率は50.1%と、およそ2社に1社で後継者が決まっていない状況が示されています。医療機関も例外ではなく、ご子息・ご息女が医師であっても診療科や勤務地の希望が異なり親族承継がまとまらないケースや、勤務医の招聘が思うように進まないケースは珍しくありません。
後継者が見つからないまま院長先生が診療を続けられなくなれば、選択肢は閉院に絞られていきます。しかし閉院は、通院中の患者様の受け皿探し、スタッフの雇用、設備の処分など、多くの負担を伴います。地域の医療提供体制の維持という観点からも、第三者への承継——すなわちクリニック・医療法人のM&Aは、閉院を避けるための現実的な選択肢として関心が高まっている、という傾向が指摘されています。
もっとも、医療機関の承継は「株式を譲渡して終わり」という単純な話ではありません。まずは、ご自身の運営形態がどの類型に当たるのかを確認するところから始まります。
医療法人の類型整理|「持分あり」と「持分なし」
医療法人の承継を考えるうえで最初に確認すべきなのが、その法人が「持分あり」か「持分なし」かという点です。
持分あり医療法人(経過措置型)
出資者が出資持分という財産権を持つ類型です。重要な事実として、2007年施行の医療法改正以降、持分あり医療法人を新たに設立することはできなくなりました。それ以前に設立された既存の法人は、経過措置型として現在も存続しています。歴史の長いクリニックの多くはこの類型に該当し、出資持分が承継の対象となり得ます。
持分なし医療法人
出資持分という財産権が存在しない類型です。2007年の改正以降に設立された医療法人はこちらに該当します。持分がないため「持分を売る」という形は取れず、承継は社員の退社・入社(社員交代)方式、すなわち法人の意思決定に関与する社員と理事を入れ替える形で行われます。
| 類型 | 持分あり医療法人 | 持分なし医療法人 |
|---|---|---|
| 新設の可否 | 2007年施行の医療法改正以降は新設不可(既存法人は経過措置型として存続) | 現在新設される医療法人はこの類型 |
| 財産権 | 出資持分あり | 出資持分なし |
| 承継の基本形 | 出資持分の譲渡+社員・理事の交代 | 社員の退社・入社(社員交代)方式 |
どちらの類型かによって、対価の受け取り方も手続きの組み立ても大きく変わります。定款や登記、都道府県への届出書類などで、早い段階に類型を確認しておくことが承継準備の第一歩です。
持分あり医療法人の承継|出資持分の譲渡と社員・理事の交代
持分あり医療法人の第三者承継は、出資持分の譲渡と、社員・理事の交代をあわせて行う形が一般的です。イメージとしては、株式会社の株式譲渡に近い構造ですが、医療法人ならではの手当てが必要になります。
出資持分の譲渡
現在の出資者(多くの場合は院長先生やそのご親族)が保有する出資持分を、承継する側へ譲渡します。譲渡の対価がオーナー側の手取りの源泉となる点は、株式譲渡と共通しています。株式譲渡と事業譲渡の構造の違いについては「株式譲渡と事業譲渡の違い」もあわせてご覧ください。
社員・理事の交代
医療法人の意思決定は、社員総会を構成する「社員」と、業務執行を担う「理事」によって行われます。ここでいう社員は従業員のことではなく、法人運営の議決権を持つ構成員を指します。出資持分を譲渡するだけでは法人の運営権は移らないため、旧経営陣側の社員・理事が退き、承継側の社員・理事が就任する手続きをあわせて行い、経営権の移転を完成させます。
この「財産権の移転(持分譲渡)」と「運営権の移転(社員・理事の交代)」を整合的に進めることが、医療法人M&Aの実務上の要点です。手順や書類の不備は後日の紛争につながりかねないため、医療法務に明るい専門家の関与が欠かせません。
個人開設クリニックの承継|事業譲渡類似の形と開設・廃止手続
医療法人化していない、院長先生個人が開設するクリニックの場合、そもそも株式や出資持分といった「譲渡できる器」が存在しません。そのため承継は、事業譲渡に類似した形で行われるのが一般的です。
- 内装・医療機器・什器などの資産を個別に譲渡する
- テナントの場合は賃貸借契約を引き継ぐ(貸主の承諾が必要になることが一般的です)
- スタッフとの雇用契約を、承継側との間で締結し直す
- 現院長側の廃止手続と、承継側の開設手続など、必要な行政手続を行う
ポイントは、クリニックという「場」は引き継がれても、行政上は現院長の診療所をいったん閉じ、承継側が新たに開設するという手続の流れを取ることです。保険診療に関わる手続きも含め、関係機関への届出や申請のスケジュールを踏まえて承継日を設計しないと、診療の空白期間が生じるおそれがあります。患者様への周知やスタッフへの説明のタイミングも含め、逆算での計画づくりが重要です。
承継で確認すべき論点|理事長要件・スタッフ・カルテ・行政手続
クリニック・医療法人の承継では、スキームの選択に加えて、次のような論点を早めに確認しておく必要があります。
理事長要件
医療法人の理事長は、原則として医師または歯科医師でなければなりません(都道府県知事の認可により例外が認められる場合があります)。したがって、承継側が事業会社や医師以外の個人である場合には、理事長に就任できる医師をどのように確保するかが構想段階からの重要論点になります。
スタッフの引き継ぎ
看護師・医療事務をはじめとするスタッフは、クリニックの診療体制そのものです。承継を機に退職が相次げば、診療の継続が難しくなりかねません。処遇の維持方針を買い手側と丁寧にすり合わせ、伝えるタイミングと伝え方を慎重に設計することが大切です。
カルテ等の引き継ぎ
診療録(カルテ)には保存義務があり、患者様の極めて機微な個人情報でもあります。承継にあたっては、診療録等の保管・引き継ぎの方法を関係法令に沿って整理し、必要に応じて行政や専門家に確認しながら進める必要があります。
行政手続
医療法人の役員変更や個人クリニックの開設・廃止など、承継のスキームに応じて必要となる届出・申請は異なります。どの手続きがいつまでに必要かを一覧化し、クロージング日から逆算した工程表をつくることが、円滑な承継の土台になります。
医療・ヘルスケア業界のM&A全般については「医療・ヘルスケア業界のM&A」のページでも詳しくご紹介しています。
まとめ|早期の準備と専門家の連携が承継を左右する
クリニック・医療法人の承継は、①自院の類型(持分あり・持分なし・個人開設)の確認、②類型に応じたスキームの選択、③理事長要件・スタッフ・カルテ・行政手続といった論点の整理、という順序で進みます。一般の会社のM&Aに比べて確認事項が多く、行政手続のリードタイムも要するため、「まだ先の話」と思える段階から準備を始めることが、結果として選択肢を広げます。
また、医療法務・税務・行政手続が交錯する分野であるだけに、仲介会社・弁護士・税理士・行政書士など専門家の連携体制が承継の成否を左右します。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン」(第3版・令和6年8月)でも、支援機関が連携して中小企業の M&A を支えることの重要性が示されています。当社は初回のご相談から成約まで一気通貫でご支援しています。相談料・着手金・月額報酬は0円です(基本合意時の中間金と成約時の成功報酬については料金体系をご覧ください)ので、承継の方向性が固まっていない段階でもお気軽にご相談ください。事業承継の全体像は事業承継のご案内もご参照ください。