M&Aの検討を進めるなかで、「株価算定書を用意したほうがよいのでしょうか」というご質問をいただくことがあります。第三者が作成した算定書があれば価格の根拠が固まる、という期待をお持ちの方が多いようです。実際には、中小企業のM&Aで算定書が必須となる場面は限られています。本稿では、算定書が何をするものなのか、どのような場面で役に立ち、何を期待すべきでないのかを整理します。
株価算定書とは何か
株価算定書は、公認会計士や税理士などの専門家が、一定の手法に基づいて株式の価値を算定し、その過程と結果をまとめた書面です。バリュエーションレポートと呼ばれることもあります。
記載されるのは、算定の目的、対象会社の概要、採用した手法とその理由、前提とした資料、計算の過程、そして算定結果です。多くの場合、結果は幅をもった形で示されます。
重要なのは、算定書は「この価格で取引すべき」と述べる書面ではないということです。示されるのは、特定の手法と前提に基づいた場合の価値の目安であり、取引価格を決定するものではありません。前提が変われば結論も変わります。
また、算定書の作成には、対象会社の資料の提出と、専門家による作業の時間が必要です。費用と期間は、対象会社の規模や採用する手法、依頼先によって異なります。
中小M&Aで必ずしも必要とされない理由
上場企業が関わる取引や、株主に対する説明責任が重い場面では、第三者の算定書が重視されます。一方、非上場のオーナー企業同士の相対取引では、算定書がなくても取引は成立します。
理由は二つあります。一つは、買い手が自ら評価するからです。買い手はデューデリジェンスを通じて対象会社を調査し、自社の投資基準に照らして金額を判断します。売り手側が用意した算定書の結論が、買い手の判断を左右することはあまりありません。
もう一つは、価格が交渉で決まるからです。オーナー経営者が単独で株式を保有している場合、売る・売らないの判断は経営者様ご自身のものであり、第三者に価格の妥当性を証明する必要がありません。
そのため実務では、M&Aアドバイザーが複数の手法で試算し、その前提を説明したうえで交渉に臨む、という進め方が一般的です。買い手側の調査については「デューデリジェンス(DD)とは|調査項目と売り手の準備」をご覧ください。
算定書が役に立つ場面
では、どのような場合に算定書を用意する意味があるのか。代表的な場面を挙げます。
| 場面 | 算定書が果たす役割 |
|---|---|
| 株式が複数の株主に分散している | 各株主への説明資料となり、価格の納得を得やすくなる |
| 親族間・同族間で株式を移す | 価格の考え方を記録として残せる |
| 少数株主から株式を買い集める | 提示価格の根拠を示せる |
| 役員・従業員へ承継する | 関係者間の合意形成の材料になる |
| 金融機関や取締役会への説明が必要 | 社内外の手続きを進めるための資料になる |
共通しているのは、当事者以外に説明する必要があるときです。オーナーお一人の判断で完結する取引では出番が限られますが、関係者が複数いる場面では有効に機能します。
なお、親族間や同族間での株式の移動は、税務上の評価の問題を伴います。M&Aにおける時価と、相続税・贈与税における評価は考え方が異なるため、注意が必要です。この違いは「税理士が出した株価とM&Aの価格が違うのはなぜか|相続税評価と時価の考え方」で詳しく扱っています。税務上の取扱いは必ず顧問税理士等の専門家にご確認ください。
算定書があっても、価格がそのとおりになるとは限らない
ここは誤解が生じやすい点です。算定書に「4億円から5億円」と記載されていても、その範囲で取引が成立するとは限りません。
買い手は自らの前提で評価します。買収後に必要となる投資、統合にかかる費用、想定するリスク、資金調達の条件。これらは買い手ごとに異なり、売り手側の算定書には織り込まれていません。
また、デューデリジェンスで発見された事項——簿外債務、契約上の制約、係争、許認可の問題など——は、算定書の作成時点では把握されていないことがあります。これらは価格の調整要因になります。
したがって、算定書は交渉の出発点を整えるための資料であって、結論を約束するものではありません。この位置づけを共有せずに算定書を用意すると、かえって期待とのずれが生じることになります。
依頼する場合に確かめておきたいこと
算定書を用意すると決めた場合、依頼にあたって確認しておきたい点があります。
- 目的を明確に伝える——M&Aの交渉用なのか、税務上の評価なのか、社内説明用なのかで、採用される手法も前提も変わります
- 採用する手法とその理由——なぜその手法を選んだのかを説明してもらう
- 前提とした資料の範囲——どこまでの資料に基づいているか、実地の確認を含むか
- 費用と期間——着手前に見積もりを確認する
- 秘密保持——提出する資料の取扱いについて取り決めておく
依頼先は、対象会社の規模や業種の事情を理解している専門家であることが望ましいと考えます。顧問税理士が対応される場合もあれば、M&Aの評価を専門とする事務所に依頼される場合もあります。
当社がお手伝いする案件では、まず当社の試算とその前提をご説明したうえで、算定書が必要な場面かどうかをご一緒に検討しています。必要がない場面で費用と時間をかけていただく必要はないと考えているためです。
まとめ|必要かどうかは、誰に説明するかで決まる
整理します。株価算定書は、価格の正しさを証明する書面ではなく、一定の前提のもとでの目安を記録し、関係者に説明するための資料です。
したがって必要性は、「説明すべき相手がいるかどうか」で判断するのが実務的です。オーナー経営者お一人で意思決定でき、相手が事業会社である通常の株式譲渡であれば、必須ではありません。株式が分散している、親族や役員が関わる、社内外への説明が求められる。こうした事情があれば、用意する価値があります。
そして、算定書があってもなくても、交渉の場で問われることは変わりません。その収益がどれだけ続くのか、資産の中身は実態どおりか、決算書に表れない強みは何か。これらを説明できる状態にしておくことが、価格を支える本質的な準備です。
売却前の準備は「企業価値を高める磨き上げ|売却前1〜3年でできる準備」もあわせてご覧ください。