M&Aの相談は、手ぶらでも受けられます。実際、当社にも「何も持たずに来てしまったのですが」とおっしゃる経営者様が大勢いらっしゃいますし、それでまったく問題ありません。必要な準備物のご案内は「M&A無料相談の前に|準備するもの・聞いておくべきこと」にまとめています。
そのうえで本稿では、少し違う角度から——自社の情報をA4用紙1枚に整理してから相談に臨むという方法をご紹介します。決算書を持参するのとは別の作業で、目的も違います。決算書は相手に読んでもらう資料ですが、この1枚は経営者様ご自身が、自社を第三者の目で一度眺めるための紙です。作ってみると、驚くほど自社の輪郭がはっきりします。
なぜ「1枚」にまとめるのか
理由は3つあります。
ひとつは、相談の時間が有効に使えるからです。初回の面談は1〜2時間程度です。そのうちの半分近くが「御社の従業員は何名ですか」「株主はどなたですか」といった事実確認に消えてしまうのは、もったいない使い方です。1枚があれば、相手はそれを読みながら、最初から本題——譲渡の可能性、価格の目線、想定される期間——に入れます。
もうひとつは、複数の相手に同じ情報を渡せるからです。相談先を比較検討する際、同じ情報を見た相手が何と言うかを比べられれば、答えの違いが「情報の違い」ではなく「見方の違い」だとわかります。口頭で毎回説明すると、どうしても説明のニュアンスが揺れます。
そして3つ目が、自分の理解が整理されるからです。書けない項目、思い出せない数字、答えに詰まる欄が出てきます。それが、そのまま検討すべき論点になります。
1枚に載せる9つの項目
A4用紙1枚、あるいは表計算ソフトの1シートに、次の9項目を書き出してみてください。文章にする必要はなく、箇条書きで十分です。
| 項目 | 書く内容 | 相手が読み取ること |
|---|---|---|
| ① 会社の基本 | 設立年、所在地(市区町村まで)、業種、事業内容を2〜3行で | 事業の性格と歴史の長さ |
| ② 事業の中身 | 何を、誰に、どのように売っているか。売上構成比の概算 | 収益の源泉と再現性 |
| ③ 直近3期の数字 | 売上高、営業利益、経常利益、当期純利益 | 収益力とその推移 |
| ④ 資産と負債 | 総資産、現預金、借入金残高、純資産 | 財務の余力と負債の重さ |
| ⑤ 株式 | 発行済株式数、株主の構成(氏名は伏せて続柄・持株比率でも可) | 意思決定のしやすさ、集約の要否 |
| ⑥ 従業員 | 人数、平均年齢、勤続年数の傾向、キーマンの有無と年齢 | 組織の継続性と引き継ぎの難易度 |
| ⑦ 取引先 | 上位数社の売上構成比(社名は伏せて「A社 25%」等でも可) | 依存度と取引の安定性 |
| ⑧ 許認可・資格 | 必要な許認可、更新時期、有資格者の人数 | 承継時の手続きと制約 |
| ⑨ 経営者の意向 | いつ頃、どうしたいか。譲れない条件があれば | 検討の本気度と進め方の設計 |
初回の相談であれば、社名や取引先名を伏せた状態でも構いません。むしろ、秘密保持契約を結ぶ前は、社名が特定されない粒度にとどめておくほうが安全です。この匿名化された概要資料は、実務ではノンネームシートと呼ばれ、買い手候補への初期打診にも使われます。
⑨は、いちばん大切で、いちばん書きにくい欄
数字は資料を見れば埋まりますが、経営者様の意向だけは、ご自身にしか書けません。「3年以内に引退したい」「従業員の雇用だけは守りたい」「取引先には迷惑をかけたくない」「借入の個人保証を外したい」——こうした言葉が、その後の相手選びと条件設計のすべての起点になります。
数字は「決算書の数字」と「実質の数字」を分けて書く
③の欄で、ひと工夫していただきたいことがあります。決算書に載っている利益の下に、実質的な収益力の行を足すのです。
中小企業の決算書は、税務申告を前提に作られています。役員報酬の水準、生命保険料、社長個人に関わる費用、家族従業員の給与、社宅や車両——これらはオーナー経営だからこそ発生している項目で、経営者が交代すれば変わりうるものです。買い手は、これらを調整した後の利益を見て、事業としての収益力を判断します。
- 役員報酬:社長ご自身と、実際の勤務実態が薄い役員の報酬
- 保険料:節税目的で加入している法人保険の支払い
- 家族従業員の給与:実際の業務量と比べて多い/少ない分
- 一時的な費用・収益:その期だけの特別な支出や、資産売却益など
これらを足し引きした金額を「調整後の営業利益(概算)」として並べておくと、相手はより実態に近い前提で話ができます。買い手が決算書のどこを見るかは「買い手は決算書のどこを見るか|3期分から読み取られること」で詳しく解説しています。
なお、この調整はあくまで概算で構いません。正確な金額を出す作業は、後の段階で専門家が行います。この時点では「実態としてはこのくらい」という感覚を持っておくことが目的です。
書けない欄があってよい|空欄が論点を教えてくれる
9項目を埋めようとすると、たいてい2〜3か所は手が止まります。その空欄こそが、この作業でいちばん価値のある成果です。よくある空欄と、それが示す論点を挙げます。
⑤株式が書けない
創業時に名義を借りた株主がいる、相続で持株が分散した、連絡が取れない株主がいる——といったケースです。株式が分散していると、譲渡の際に全株主の同意が必要になり、集約に時間がかかります。これは早く気づくほど手が打てる論点です。
⑦取引先の構成比が書けない
売上を取引先別に把握していないケースです。集計してみたら1社で売上の半分を占めていた、ということもあります。特定先への依存は評価に影響しますが、依存があるから売れないわけではありません。依存の中身——契約期間、担当者の関係、代替可能性——を説明できるかどうかが問われます。「特定取引先への依存|評価が下がる理由と対策」もご参照ください。
④借入の欄で、保証の有無が書けない
経営者保証がどの借入に付いているか把握していない、というのは非常によくあることです。譲渡後に個人保証をどう外すかは、経営者様の生活に直結する重要論点です。金融機関に照会すればすぐわかりますので、この機会に確認しておかれることをお勧めします。
⑨意向が書けない
「まだ気持ちが決まっていない」というのは、まったく問題ありません。むしろ正直にそう書いておくほうがよく、その状態で相談していただいて構いません。決まっていないことを、決まっているふりで話すことのほうが危ういのです。
1枚を渡す前に確認しておくこと
1枚が完成したら、それを誰に、どのタイミングで渡すかを考えます。
面談の場で社名入りの資料を渡す前に、秘密保持契約(NDA)を書面で締結できるかを確認してください。相談段階での秘密保持は、多くの支援機関が対応しています。締結を渋る、あるいは口頭でよいと言う相手には、社名や取引先名を伏せた版だけを渡すのが安全です。
あわせて、次のような点も聞いておくとよいでしょう。
- 受け取った資料は、社内の誰まで共有されるのか
- 資料はどのように保管され、検討を見送った場合はどう扱われるのか
- 買い手候補に打診する際、どの段階で社名が開示されるのか
- 打診先の候補について、事前に売り手の了解を取るのか
これらの問いへの答え方には、その相手の情報管理の姿勢がよく表れます。秘密保持の実務全般は「M&Aの秘密保持|情報漏洩を防ぐノンネーム・NDAの実務」で解説しています。
まとめ|1枚あるだけで、相談の中身が変わる
この1枚は、相手のために作る資料ではありません。経営者様がご自身の会社を、外から見た形で一度だけ眺めてみるための紙です。長年経営されてきた会社ほど、当たり前になっていて言語化していないことが多く、書き出す作業そのものに意味があります。
そして実務的にも、1枚があるだけで初回相談の中身は明らかに変わります。事実確認に時間を取られず、最初から「この会社を引き継ぐとしたら、どういう相手が考えられるか」「価格はどのくらいの幅で見るか」という具体的な話に入れるからです。
もちろん、完成させてからでなければ相談できないというものではありません。書きかけの紙を持ってきていただき、一緒に埋めていくのでもまったく構いません。当社プラチナパートナーズでは、相談料・着手金・月額報酬をいただいておりません。おおよその企業価値の目安を試算されたい場合は企業価値算定シミュレーターもご利用いただけます。