M&Aの検討が始まると、買い手からほぼ例外なく求められるのが「直近3期分の決算書」です。これは形式的な提出物ではありません。買い手はこの3冊の資料から、貴社の事業が今後も同じように利益を生み続けられるかどうかを推し量ろうとしています。本稿では、買い手が決算書のどこに目を向け、そこから何を読み取ろうとしているのかを、評価の仕組みとして整理します。数字の良し悪しを判定する話ではなく、「どう見られるか」を知り、あらかじめ説明を準備するための解説とお考えください。
なぜ「3期分」なのか|1期では判断できないこと
買い手が知りたいのは、貴社の過去の成績そのものではありません。買収した後に、その事業がどれだけの利益を生み続けるかという見通しです。ところが決算書は過去の記録であり、未来を直接には語りません。そこで買い手は、過去の記録から未来を推し量るという作業を行います。
このとき1期分だけでは、目の前の数字が平常時のものなのか、たまたま大きな受注があった年なのか、逆に一時的な事情で沈んだ年なのかを判断できません。3期を並べることで初めて、「この水準が続いているのか」「上向いているのか、下がっているのか」「変化に説明がつくのか」を確かめられます。
言い換えれば、買い手は3期分を通じて再現性を確認しています。同じような利益が来期以降も繰り返されると考えてよいのか。その判断材料として、決算書は最初に置かれる資料です。企業価値の算定手法そのものについては「企業価値評価とは|M&Aにおける会社の値段の決まり方」もあわせてご覧ください。
損益計算書|売上高より「利益の質」が見られる
経営者様のお話をうかがうと、売上高を最初に挙げられる方が多くいらっしゃいます。しかし買い手が重く見るのは、売上高そのものよりも、その売上からどのように利益が残っているかという構造です。
売上総利益(粗利)の水準と安定性
売上から売上原価を引いた売上総利益は、その事業がどれだけ付加価値を乗せられているかを示します。買い手は、粗利が期ごとに大きく揺れていないか、揺れているならその理由が説明できるか(原材料価格、外注比率、案件構成の変化など)に注目します。
販売費及び一般管理費の中身
販管費は「削れる費用」と「事業に必要な費用」が混ざっている領域です。買い手は、役員報酬、地代家賃、保険料、交際費、車両関係費といった科目を個別に見ていきます。これは無駄を指摘するためではなく、買収後にどの費用が残り、どの費用が変わるのかを見積もるためです。
営業利益と、その先の「実質的な利益」
本業の稼ぐ力を示す営業利益は最重要の指標ですが、中小企業の決算書では、オーナー経営者ならではの事情が営業利益に混ざっていることがあります。オーナーの役員報酬の水準、生命保険料、オーナー個人が所有する不動産の賃料、事業に直接使われていない資産の維持費などです。
買い手はこれらを一つずつ確認し、事業本来の収益力を推し量ろうとします。この調整の考え方は「実質利益(正常収益力)とは|M&A評価で重視される考え方」で詳しく扱っています。営業利益に減価償却費などを加え戻した指標については「EBITDAとは|M&Aで使われる理由と計算方法」もご参照ください。
特別損益と、税引前・税引後の姿
資産売却益や一時的な損失は、来期以降も繰り返されるものではありません。買い手はこうした項目を切り分けて、繰り返される利益と一度きりの利益を区別します。
貸借対照表|資産と負債の「中身」が見られる
損益計算書が「1年間の流れ」を示すのに対し、貸借対照表は「決算日という一点の状態」を示します。買い手は、ここに並ぶ金額を額面どおりには受け取らず、その中身を確かめようとします。
| 区分 | 買い手が確認しようとする視点 |
|---|---|
| 現預金 | 事業運営に必要な水準か、余剰か。季節性による増減がないか |
| 売掛金 | 回収されているか。長期間動いていない残高が含まれていないか |
| 棚卸資産(在庫) | 販売できる状態か。滞留しているものが簿価のまま残っていないか |
| 固定資産 | 事業に使われているか。事業と無関係な資産が含まれていないか |
| 貸付金・仮払金 | 相手先と回収可能性。経営者個人との資金のやり取りがないか |
| 借入金 | 残高、返済スケジュール、担保・保証の状況 |
| 引当金・未計上債務 | 退職金、未払残業、係争など、計上されるべきものが漏れていないか |
この確認の目的は、簿価としての純資産ではなく、実態に近い純資産を把握することにあります。回収できない売掛金や販売できない在庫は資産としての価値が乏しく、逆に簿価より価値の高い不動産があれば実態は厚くなります。純資産をベースにした評価の考え方は「時価純資産法とは|中小M&Aで使われる評価方法の基本」で整理しています。
3期を並べて初めて見えること|水準ではなく変化
ここまでは各期の中身の話でした。3期分を求められる本当の理由は、期をまたいだ変化にあります。買い手は3期を横に並べ、次のような点を追いかけます。
- 売上と粗利が、同じ方向に動いているか。売上が伸びているのに粗利率が下がっていないか
- 販管費が売上の伸びを上回って増えていないか。増えているなら何の費用か
- 売掛金や在庫が、売上の伸び以上に膨らんでいないか
- 借入金が増えているか減っているか。増えているならその使途は何か
- 役員報酬の水準が期ごとに大きく変わっていないか
これらは「異常を探す」ための視点ではなく、「事業に何が起きたのかを理解する」ための視点です。変化そのものは悪いことではありません。むしろ買い手が不安を覚えるのは、変化の理由が説明されないまま数字だけが動いているときです。
たとえば、あくまで説明用の仮の数値として、ある期に売上が大きく伸び、翌期に元の水準へ戻っているとします。理由が「一社からの特別な大型受注が一度あった」であれば、買い手はその期を例外として扱えます。理由が語られなければ、買い手は「事業が不安定なのではないか」という前提で見ることになります。同じ数字でも、説明があるかどうかで受け取られ方が変わるのです。
評価を下げてしまう要因の整理は「企業価値を下げてしまう要因|M&A前に確認したいポイント」でも取り上げています。
決算書に表れない強みをどう補うか
決算書は結果の要約です。「なぜその結果になったのか」という理由までは書かれていません。中小企業の強みは、多くの場合この「書かれていない部分」にあります。
そこで、決算書と併せて次のような資料を整理しておくと、買い手は数字の背景を理解しやすくなります。
- 取引先別の売上構成(どの得意先に、どれだけ、どれくらいの期間続いているか)
- 商品・サービス別、あるいは部門別の売上と粗利の内訳
- 主要な設備、許認可、知的財産の一覧
- 従業員の人数・年齢構成・職種構成、有資格者の状況
- 主要な仕入先・外注先との取引条件
- 直近の月次試算表(決算からの経過を示すため)
これらは買い手の質問に答える材料であると同時に、経営者様ご自身が自社の強みを言語化する作業でもあります。売却前の準備という観点は「売却前の磨き上げとは|企業価値を高めるための実務」、将来の見通しの伝え方は「M&Aにおける事業計画の作り方|買い手に伝わる計画とは」で解説しています。
まとめ|決算書は「説明の出発点」
買い手が決算書3期分から読み取ろうとしているのは、次の3つに集約されます。
- 利益の質——どこから、どのような構造で利益が生まれているか
- 資産・負債の実態——帳簿の金額が実態を表しているか
- 変化の方向と理由——数字の動きに説明がつくか
決算書は、買い手にとって「判定の道具」ではなく「質問を生み出す資料」です。数字を見て疑問が生まれ、その疑問に経営者様が答え、理解が進んでいく——このやり取りの出発点が決算書です。だからこそ、数字そのものを取り繕う必要はありません。必要なのは、自社の数字が何を意味しているかをご自身の言葉で説明できる状態にしておくことです。
当社では、決算書を拝見しながら、買い手がどこに関心を持ちそうかを一緒に整理するところからご相談を承っています。ご売却を決めていない段階でも構いません。相談料・着手金・月額報酬はいただいておりません。