M&Aの検討を進めるなかで、気持ちが揺れることは珍しくありません。買い手候補と面談を重ねるうちに違和感が募った、条件が当初の想定と離れてきた、あるいは単純に「やはり手放したくない」と思い直した——理由はさまざまです。
そして多くの経営者様が、その気持ちを口に出せずにいます。「ここまで来て、いまさら言えない」「迷惑をかけてしまう」。しかし、納得しないまま進めた譲渡は、成約後に必ず後悔として残ります。本稿では、検討を中止するという選択について、段階ごとに何が起きるかを率直に整理します。
「やめられるか」は、段階によって答えが変わる
M&Aは、ある日突然成立するものではありません。相談から成約まで、いくつもの段階を踏みます。そして、どの段階にいるかによって、中止に伴う影響がまったく異なります。
| 段階 | 中止できるか | 主な影響 |
|---|---|---|
| ① 相談・検討 | 自由 | ほぼなし |
| ② 仲介契約の締結後 | 自由(契約の解約手続きは必要) | 契約条項に応じた扱い。テール条項の確認 |
| ③ 買い手への打診・面談 | 自由 | 買い手候補との関係。情報が渡っている点に留意 |
| ④ 意向表明書の受領後 | 原則として自由 | 買い手の心証。理由の説明が望まれる |
| ⑤ 基本合意の締結後 | 可能だが、費用と拘束が生じる | 中間金の負担。独占交渉義務。買い手のDD費用 |
| ⑥ 最終契約の締結後 | 原則として不可 | 債務不履行・違約金の問題 |
この表から読み取っていただきたいのは、⑤の基本合意が、大きな分かれ目だということです。ここを境に、自由な検討から、責任を伴う手続きへと性質が変わります。全体の流れは「M&Aの流れを7ステップで解説|相談から成約までの期間」でご確認ください。
基本合意の前|原則として自由に中止できる
①〜④の段階では、譲渡をやめる判断は自由です。誰の同意も要りませんし、違約金の問題も原則として生じません。
費用はどうなるか
ここは支援機関の手数料体系によって異なります。着手金や月額報酬を設定している場合、既に支払った分は戻らないのが通常です。当社プラチナパートナーズは相談料・着手金・月額報酬をいただいていませんので、この段階で中止された場合のご負担は生じません。手数料の考え方は料金体系のページで公開しています。
ただし、仲介契約を締結している場合は、解約の手続きが必要です。契約書に定められた通知期間や方法に従ってください。あわせて、テール条項——契約終了後の一定期間内に、その支援機関が紹介した相手と成約した場合に報酬が発生する定め——の範囲を確認しておくべきです(「専任契約とテール条項|M&A仲介契約を結ぶ前に確認すべきこと」)。
買い手候補との関係
③④の段階では、既に買い手候補に一定の情報が渡っています。中止した場合、その情報の扱いを整理しておく必要があります。秘密保持契約に基づき、資料の返還または破棄を求めるのが実務の基本です。秘密保持義務は、検討を中止した後も一定期間続きます。
この段階での中止は、珍しくない
実務の感覚として申し上げると、打診した買い手候補のうち成約に至るのは1社であり、それ以外はどこかの段階で検討を終えています。売り手側から見送るケースも、買い手側から辞退するケースも、日常的に起きています。「途中でやめる」ことは、この世界では例外的な出来事ではありません。
基本合意の後|拘束力と費用が発生する
基本合意書(意向確認書、LOI、MOUなどと呼ばれることもあります)を締結すると、状況が変わります。
基本合意の法的な性質
基本合意書の多くは、価格や条件についての部分に法的拘束力を持たせず、一部の条項だけに拘束力を持たせる構成になっています。拘束力を持つのが通常なのは次の条項です。
- 独占交渉権(排他条項):一定期間、他の買い手候補と交渉しない義務
- 秘密保持
- デューデリジェンスへの協力
- 費用の分担
したがって、価格条件について「合意したから必ず売らなければならない」わけではありません。デューデリジェンスで新たな事実が判明した、条件がまとまらない、といった理由で不成立に終わることは実際にあります。
一方で、独占交渉義務に違反して他社と交渉すれば、契約違反の問題になります。また、正当な理由なく一方的に交渉を打ち切った場合、状況によっては損害賠償の議論が生じる可能性も否定できません。
費用の負担
この段階で発生する費用が2種類あります。
ひとつは支援機関への中間金です。多くの支援機関が、基本合意の締結時に中間金を設定しています。当社の場合、中間金は成功報酬額の10%で、成約時の成功報酬から全額を差し引きます(基本合意後に不成立となった場合、返金はいたしません)。ただし、基本合意の後に不成立となった場合も、中間金は返金いたしません。これは、基本合意以降に実務の負荷が集中するためであり、あらかじめ料金体系のページで明示しています。中間金の一般的な位置づけは「M&Aの中間金とは|支払うタイミング・相場と成功報酬との関係」で解説しています。
もうひとつは買い手が投じたデューデリジェンス費用です。買い手は基本合意後、公認会計士・弁護士などに依頼して調査を行います。売り手側の事情で中止した場合、この費用について協議になることがあります。基本合意書の費用条項を、締結前に必ず確認してください。
社内への影響
基本合意後は、デューデリジェンスのために資料を大量に用意することになり、場合によっては一部の従業員に事情を伝えます。この段階で中止すると、社内に「何かが起きた」という感触が残ります。これは費用には表れませんが、実際には最も扱いにくい影響です。
最終契約の後|原則としてやめられない
株式譲渡契約(SPA)などの最終契約を締結した後は、当事者双方に履行義務が生じます。一方的な撤回は債務不履行となり、違約金や損害賠償の問題に直結します。
ただし、最終契約には通常、クロージング(株式の引き渡しと代金決済)の前提条件が定められています。表明保証が真実であること、必要な承諾が得られていること、重大な悪影響が生じていないこと——これらが満たされない場合、契約を解除できる旨が定められているのが一般的です。
とはいえ、これは「気が変わったから」という理由で使える仕組みではありません。実質的な判断は、最終契約の締結までに終えておく必要があります。
やめると決めたときの伝え方
中止を決めたら、伝え方にも実務があります。将来また検討する可能性を考えれば、関係を壊さずに終えることには意味があります。
① 早く伝える
迷いが固まったら、できるだけ早く伝えてください。相手が次の工程に進むほど、費やされる時間と費用は増えます。言いにくさから先延ばしにすることが、最も相手に負担をかけます。
② 理由を、言える範囲で説明する
「条件面で折り合わなかった」「社内の準備が整わなかった」「時期を改めたい」——詳細まで開示する必要はありませんが、理由がまったく示されないと、相手は納得しにくくなります。
③ 情報の後始末を明確にする
渡した資料の返還または破棄、秘密保持義務の継続確認。これは必ず書面でやり取りしてください。特に、決算書や取引先情報を開示している場合は重要です。
④ 支援機関との契約を整理する
仲介契約を解約するのか、時期を改めて再開する前提で残すのか。テール条項の期間はいつまでか。これらを確認し、書面で整理しておきます。
⑤ 中止した理由を、記録に残す
これは相手のためではなく、ご自身のためです。何が引っかかったのか、どの条件が受け入れられなかったのかを書き留めておくと、いつか再検討するときの出発点になります。
まとめ|迷いは、早い段階で口に出すほど扱いやすい
M&Aの検討は、基本合意の前であれば原則として自由にやめられます。当社のように着手金・月額報酬をいただかない体系であれば、金銭的な負担も生じません。基本合意の後は、中間金の負担、独占交渉義務、買い手のDD費用といった実質的な影響が生じ、最終契約後は原則として撤回できません。
ですから、迷いがあるなら、基本合意に進む前に口に出してください。「本当にこれでよいのか」「この相手でよいのか」という違和感は、多くの場合、後から振り返ると正しかったものです。担当者に伝えにくいと感じるかもしれませんが、その違和感を確かめるために立ち止まる時間を取ることは、実務上まったく普通のことです。
当社プラチナパートナーズでは、ご契約やご決断を急かすことはいたしません。迷いを抱えたまま前に進むより、いったん立ち止まって整理することのほうが、結果的に良い結論につながると考えているからです。成約後の後悔を避ける観点は「会社売却で後悔しないために|よくある後悔パターンと防ぎ方」でも整理しています。