M&Aで会社の値段を考えるとき、出発点となるのが純資産です。ただしここでいう純資産とは、決算書の貸借対照表に記載されている金額そのものではなく、資産と負債を「いま売ったら、いま支払ったらいくらか」という時価に引き直したうえでの純資産——すなわち時価純資産を指します。帳簿の数字と実態が乖離していることは中小企業では珍しくなく、その差が譲渡価格に直接響きます。本稿では、簿価純資産と時価純資産の違い、時価評価で実際に調整される項目、そして年買法の土台としての位置づけまでを、調整例を交えてご説明します。

簿価純資産と時価純資産|何が違うのか

貸借対照表の右下に記載されている純資産の額を、簿価純資産と呼びます。資産の合計から負債の合計を差し引いた、帳簿上の差額です。これに対し時価純資産とは、その資産と負債を現在の価値に評価し直したうえで求めた差額をいいます。

時価純資産 = 時価に評価替えした資産 - 時価に評価替えした負債(簿外債務を含む)

なぜ引き直しが必要なのでしょうか。会計の原則として、資産の多くは取得時の価額をもとに記録され、その後の値上がり・値下がりは原則として帳簿に反映されません。30年前に取得した土地は取得時の価額のまま載っており、いまの実勢価格とは大きく異なります。逆に、回収の見込みが乏しくなった売掛金や、もう売れない在庫が、額面のまま資産に残っていることもあります。

買い手の立場で考えれば、当然のことです。買い手は帳簿を買うのではなく、会社が持つ実際の資産と負債を引き継ぎます。「土地の含み益が5,000万円ある」のなら、その価値を織り込んで対価を考えますし、「回収不能な売掛金が2,000万円ある」のなら、その分は差し引いて考えます。時価純資産とは、買い手が引き継ぐものの実質を金額で表したものにほかなりません。

なお、M&Aの実務でいう時価純資産は、会計基準に基づく厳密な公正価値評価とは目的が異なり、取引の価格交渉のための実態把握という色彩が強いものです。厳密な鑑定評価が必要な資産(重要な不動産など)については、専門家による評価を取得することもありますが、多くの項目は入手可能な資料に基づく合理的な見積りによって行われます。

時価評価で調整される主な項目

実際にどのような項目が調整の対象になるのか、中小企業のM&Aで頻出するものを見ていきましょう。

不動産(土地・建物)

最も金額のインパクトが大きい項目です。長く保有している土地には多額の含み益が生じていることがある一方、バブル期に取得した資産では含み損となっている場合もあります。評価にあたっては、固定資産税評価額、相続税路線価、近隣の取引事例、必要に応じて不動産鑑定評価などが参照されます。建物についても、簿価と実際の利用価値が乖離していることがあります。

有価証券・投資有価証券

上場株式は市場価格で評価します。取引先との持ち合い株式やゴルフ会員権も、時価に引き直します。非上場株式については、発行会社の純資産や収益状況を踏まえた評価が必要となり、評価が難しい場合には別途取扱いを協議することもあります。

売掛金・貸付金(貸倒れの見積り)

長期にわたって滞留している売掛金、経営が悪化した先への債権、役員・従業員への貸付金で回収が見込めないもの。これらは回収可能性を検討し、見込めない部分を減額します。中小企業では税務上の繰入限度に合わせて引当金を計上していることが多く、実態と乖離しやすい項目です。

棚卸資産(在庫)

長期滞留品、型落ち品、破損品など、通常の価格で販売できない在庫は評価を切り下げます。実地棚卸の記録や滞留期間別の在庫表があると、説明がスムーズです。逆に、簿価が低く抑えられている在庫があれば増額調整となることもあります。

退職給付(退職金の積立不足)

退職金規程があるにもかかわらず引当金を計上していない、あるいは要支給額に対して引当が不足している場合、その不足額は実質的な負債です。中小企業退職金共済(中退共)などの外部積立がある場合は、その積立額を控除して考えます。

保険積立金

法人契約の生命保険は、支払保険料の一部または全部が費用処理されていることがあり、簿価と解約返戻金額が一致しません。解約返戻金相当額で評価し直すと、資産が増えるケースが多く見られます。

簿外債務

帳簿に載っていない負債は、時価純資産を大きく押し下げる要因になります。代表的なものは、未払残業代、未払の社会保険料、係争中の訴訟に伴う損害賠償リスク、他社の借入に対する債務保証、リース債務、返品や瑕疵対応の見込額などです。これらは買い手のデューデリジェンスで必ず確認される項目でもあります。詳しくは「デューデリジェンス(DD)とは|調査項目と売り手の準備」をご参照ください。

本稿の会計・税務に関する記述は、一般的な考え方を分かりやすくご説明することを目的とした概説です。実際の取扱いは取引形態・適用する会計基準・個別の事情によって異なりますので、具体的な処理については税理士・公認会計士にご確認ください。

時価純資産の調整例|簿価からどう動くか

調整のイメージを掴んでいただくため、具体例を挙げます。以下の数値は、計算の考え方をご理解いただくために置いた説明のための仮定の数値です。実際の評価額を示すものではありません。

簿価純資産1億2,000万円の会社について、時価評価を行った結果を整理すると、次のようになりました。

項目調整額調整の理由
簿価純資産120,000千円貸借対照表の純資産の部の合計
土地の含み益+48,000千円取得時の価額と実勢価格との差額
保険積立金の評価替え+9,000千円解約返戻金相当額との差額
投資有価証券の評価替え+2,500千円上場株式を市場価格で評価
滞留売掛金の減額-6,000千円1年超の滞留分で回収見込みが乏しいもの
滞留在庫の評価減-4,500千円型落ち品・長期滞留品の正味売却価額への切下げ
退職給付の積立不足-18,000千円退職金規程に基づく要支給額と外部積立との差額
未払残業代の見積り-7,000千円時間外労働の実態に基づく未計上分
時価純資産144,000千円上記調整後の純資産

この例では、簿価純資産1億2,000万円が時価純資産1億4,400万円となりました。土地の含み益がプラス方向に大きく効いた一方、退職給付の積立不足と未払残業代がマイナス方向に効いています。仮に土地を保有していなければ、時価純資産は簿価を下回っていたはずです。

ここから分かるのは、調整は必ずしも一方向ではないということです。「うちは含み益のある土地があるから大丈夫」と考えていた会社が、退職給付や未払残業代の見積りで想定以上に減額されることもありますし、逆に、保険の解約返戻金や償却済み設備の存在で、思いのほか純資産が厚いと判明することもあります。

時価純資産は「年買法」の土台になる

中小企業のM&Aで最も広く用いられている価格算定の方法が、時価純資産に営業利益の数年分を加算する「年買法(年倍法)」です。

株式価値 = 時価純資産 + 営業利益 × 数年分

つまり時価純資産は、価格算定の土台そのものです。土台が1,000万円上下すれば、譲渡価格もほぼそのまま1,000万円上下します。のれん(営業権)の年数をめぐる交渉に注目が集まりがちですが、実は土台の精度こそが金額を大きく左右するのです。

先の調整例を使って考えてみましょう。時価純資産1億4,400万円の会社について、正常な営業利益が2,500万円あり、営業利益の3年分をのれんとして加算するとすれば、1億4,400万円+2,500万円×3年=2億1,900万円という水準になります。ここで、もし退職給付の積立不足1,800万円を見落として簿価のまま計算していれば、譲渡価格の見立ては1,800万円も過大になっていたことになります。買い手のデューデリジェンスでこれが発覚すれば、当然に減額交渉の材料になるでしょう。

のれんの部分の考え方については「のれん代とは|M&Aにおける営業権の意味と価格への影響」で、三つの評価アプローチ全体の見取り図については「会社はいくらで売れる?企業価値評価(バリュエーション)の3つの方法」で、それぞれ詳しくご説明しています。

なお、時価純資産の考え方は業種によって重みが変わります。不動産や設備を多く抱える製造業・不動産賃貸業では時価純資産が価格の大半を占める一方、資産の少ないサービス業やIT関連では、のれんの比重が大きくなる傾向があります。

売り手として、事前に準備しておきたいこと

時価純資産は買い手が調べれば分かる数字ですが、売り手が先に把握しておくことには大きな意味があります。マイナス要因を先に把握できていれば、事前に手を打つことも、価格の説明のなかであらかじめ織り込んでおくこともできるからです。逆に、買い手のデューデリジェンスで初めて発覚したマイナス要因は、金額以上に「他にも隠れているのではないか」という不信を招きます。

  • 不動産の実勢価格を把握する:固定資産税評価額や路線価、近隣の取引事例を確認しておく
  • 債権の年齢表を作る:売掛金・貸付金を発生時期別に整理し、滞留分の回収方針を決めておく
  • 在庫の滞留状況を洗い出す:滞留期間別の在庫表を整備し、処分すべきものは事前に処分する
  • 退職金規程と積立状況を照合する:要支給額を試算し、不足額を把握しておく
  • 労務の実態を確認する:勤怠記録と給与計算を突き合わせ、未払残業代のリスクを見積もる
  • 個人資産と会社資産を切り分ける:社長個人が使用している車両・不動産・保険などの扱いを整理する
  • 債務保証・訴訟の有無を棚卸しする:他社への保証、係争中の案件を一覧にする

これらは一朝一夕には整いません。譲渡をご検討であれば、早い段階から少しずつ着手されることをお勧めします。当社の企業価値算定シミュレーターでは、純資産と利益の水準から概算の企業価値レンジを無料・匿名でご確認いただけますので、まずはご自身の現在地を掴む起点としてお使いください。

まとめ|土台の精度が、価格の精度を決める

時価純資産とは、資産と負債を実態に即した価値に引き直したうえでの純資産であり、簿価純資産とは不動産・有価証券・債権・在庫・退職給付・簿外債務といった項目で乖離します。中小M&Aで広く用いられる年買法では、この時価純資産が価格の土台となるため、その精度がそのまま譲渡価格の精度につながります。

「うちの決算書はきれいだから大丈夫」と思っておられる会社でも、実際に洗い出してみると、プラス・マイナス双方に想定外の項目が見つかることがほとんどです。それは決して恥ずべきことではなく、中小企業の会計が税務申告を主眼に組み立てられている以上、自然に生じる乖離です。大切なのは、それを買い手より先に自分で把握しておくことです。当社では、初回のご相談から時価純資産の論点整理まで無料で承っておりますので、決算書をお手元にお気軽にご相談ください。

Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら

よくあるご質問

A.土地の含み益はプラス方向に大きく効きますが、調整は必ずしも一方向ではありません。退職金規程に対する引当の不足、未払残業代の見積り、長期に滞留した売掛金や型落ち在庫の評価減は、いずれもマイナス方向に効きます。本文の調整例でも、土地の含み益が効いた一方で、退職給付の積立不足と未払残業代が差し引かれています。土地を保有していなければ時価純資産が簿価を下回っていた、という構図も珍しくありません。両方向を洗い出して初めて実態が見えます。
A.見落とされがちですが、土台である時価純資産の精度こそが金額を大きく左右します。年買法では時価純資産に営業利益の数年分を加算するため、土台が1,000万円上下すれば、譲渡価格もほぼそのまま1,000万円上下します。たとえば退職給付の積立不足を見落として簿価のまま計算していれば、その分だけ価格の見立ては過大になり、買い手のデューデリジェンスで発覚すれば当然に減額交渉の材料になります。年数の交渉の前に、まず土台を固めることです。
A.売り手が先に把握しておくことに、大きな意味があります。マイナス要因を先に知っていれば、事前に手を打つことも、価格の説明のなかであらかじめ織り込んでおくこともできるためです。逆に、買い手の調査で初めて発覚したマイナス要因は、金額以上に「他にも隠れているのではないか」という不信を招きます。不動産の実勢価格の確認、債権の年齢表の作成、滞留在庫の洗い出し、退職金の要支給額の試算——いずれも一朝一夕には整わないため、早めの着手が有利に働きます。

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