「譲ったら、翌日から来なくていいのですか」。よくいただくご質問です。実際には、数か月から2、3年ほど会社に残るのが一般的です。ただし、立場も役割も、それまでとはまったく違うものになります。ここを理解しないまま残ると、双方が苦しくなります。
なぜ前オーナーが残るのか
中小企業では、社長個人に集まっているものが多くあります。主要な取引先との関係、金融機関との信頼、現場の技術的な判断、社内の人間関係。これらは書類では引き継げません。
買い手にとって、前オーナーが一定期間残ることは、引き継ぎのリスクを下げる手立てです。取引先への紹介、社内への説明、判断の背景の共有。時間をかけなければ移らないものがあります。
そのため、最終契約では一定期間の残留を条件として定めることが多くあります。役職、期間、報酬、業務の範囲。これらは交渉事項です。
どんな立場で残るか
実務でよく見るのは、次の三つです。
代表権のない取締役。社内的な立場を保ちつつ、意思決定は新経営陣が行う形です。顧問・相談役。取締役を退任し、業務委託または非常勤の形で関与します。もっとも多い形です。従来どおりの代表取締役のまま。段階的な引き継ぎを想定する場合に、一定期間だけ続けることがあります。
大切なのは、肩書きよりも権限の範囲を明確にすることです。何を決めてよくて、何を決めてはいけないのか。ここが曖昧なまま残ると、現場が混乱します。
報酬をどう決めるか
残留期間中の報酬は、譲渡代金とは別に決めます。従来の役員報酬をそのまま続けることは、通常ありません。関与の度合いに見合った水準に改めるのが一般的です。
役員報酬として支給するのか、業務委託の報酬とするのかで、税務と社会保険の扱いが変わります。役員を退任して退職金を受け取る場合、その後の関与の仕方によっては退職の事実が認められるかが問題になることがあります。
「役員退職金を受け取りつつ、実質的に従来どおり経営を続ける」という形は、税務上の否認リスクがあります。退任するなら、実態としても退任する。ここは税理士と確認しながら設計してください。
口を出す範囲を決めておく
もっとも多いトラブルが、前オーナーが口を出しすぎるというものです。
長年自分で決めてきた会社です。新しい方針に違和感を覚えるのは自然なことです。しかし、株式を譲渡した以上、決めるのは新しい経営陣です。前オーナーが現場に直接指示を出すと、従業員はどちらを見ればよいか分からなくなります。
実務でお勧めしているのは、「聞かれたら答える、聞かれなければ言わない」という原則を、最初に双方で確認しておくことです。そして、意見がある場合は現場ではなく新社長に伝える。この二つだけで、多くの摩擦は避けられます。
従業員との距離の取り方
従業員にとって、前オーナーは長年の上司です。新体制に不満があれば、前オーナーのところに相談に来ます。
ここで前オーナーが一緒になって新体制を批判すると、統合は決定的に失敗します。逆に、「新しい体制でやっていこう」と背中を押せば、従業員の受け止め方は変わります。
難しいのは、前オーナー自身が新体制に納得していない場合です。だからこそ、譲渡の相手を選ぶ段階で、方針や人柄を見ておくことが重要になります。条件の金額だけで相手を決めると、この局面で苦しくなります。
辞めどきをどう決めるか
契約で期間が定められていても、実質的な辞めどきは別にあります。目安になるのは、取引先が前オーナーを探さなくなったときです。
主要な取引先が、用件を新社長や担当者に直接持ち込むようになれば、関係の移管は完了しています。社内についても、判断を仰ぎに来る人がいなくなれば、役割は終わっています。
逆に、いつまでも前オーナーに話が来る状態は、引き継ぎができていないということです。その場合は、意識的に「私ではなく社長に聞いてください」と返す必要があります。残る期間を延ばすことが、必ずしも解決にはなりません。
残らないという選択もある
健康上の理由や、ご本人の希望で、早期に離れる案件もあります。その場合は、引き継ぎの密度を上げることで対応します。
取引先への同行、業務の文書化、キーマンへの権限移譲。期間が短い分、やるべきことを絞って集中的に進めます。買い手にとってもリスクは上がるため、条件交渉の段階で率直に伝えておくことが大切です。
「何年残れるか」は、価格にも相手選びにも影響します。ご自身の事情は、早い段階でお聞かせください。譲渡後の社長の立場も併せてご覧ください。