会社売却を検討される経営者様の関心は、譲渡価格や相手先に向かいがちですが、同じくらい大切なのが「売却した後、自分はどうなるのか」という問いです。すぐに会社を離れられるのか、しばらく残ることになるのか。残るとしたら、どんな立場で、何をするのか。そしてその後の人生をどう設計するのか。本稿では、M&A実務で一般的な「ロックアップ」と引き継ぎ期間の考え方、引き継ぎ後の選択肢、手取り資金の考え方までを、順を追ってご説明します。売却の交渉を始める前にこそ、お読みいただきたい内容です。
売却後すぐに引退できるとは限らない|全体像
株式譲渡が完了(クロージング)すると、会社のオーナーは買い手に代わります。しかし、オーナーの交代と、経営者(社長)としての職務の終了は、別の話です。中小企業では、経営者個人が営業・技術・社内の求心力の中核を担っていることが多く、経営者が即日いなくなれば、会社の価値そのものが損なわれかねません。
そのため実務では、前経営者がクロージング後も一定期間、代表取締役・取締役・顧問などの立場で会社に残り、経営の引き継ぎにあたることが一般的です。この「一定期間残る」ことを取引条件として定めるのが、次にご説明するロックアップです。どのくらいの期間、どのような関わり方になるかは、会社の状況と交渉によって決まります。「すぐに引退したい」というご希望も、「まだしばらく働きたい」というご希望も、いずれも交渉の出発点で買い手に伝え、条件としてすり合わせていくことになります。
ロックアップ(キーマン条項)とは何か
ロックアップ(キーマン条項)とは、M&A成立後、前経営者などのキーパーソンが一定期間、会社の経営や業務に関与し続けることを最終契約等で定める取り決めです。買い手にとっては、経営者の急な離脱による事業毀損を防ぎ、引き継ぎを確実にするための仕組みであり、中小企業のM&Aでは広く用いられています。
実務上のポイントは次のとおりです。
- 期間:数カ月から2〜3年程度まで、会社の経営者依存度や引き継ぎの難易度によって幅があります。経営者への依存が大きい会社ほど、長めの期間を求められる傾向があります
- 立場と処遇:代表取締役として続投する形、取締役や会長職に退く形、顧問・相談役として関与する形など様々です。役員報酬・顧問料などの処遇もあわせて取り決めます
- 関与の中身:常勤か非常勤か、何に責任を持つのか(取引先の引き継ぎ、技術指導など)を、できる限り具体的に合意しておくことが、後々の齟齬を防ぎます
- 価格との関係:引き継ぎの確実性は買い手の安心材料であり、ロックアップの条件は価格・条件交渉全体と一体で決まります
なお、ロックアップとあわせて、前経営者が同種の事業を一定期間・一定地域で行わないことを定める競業避止義務が課されるのが通常です。売却後に新たな事業を考えている方は、その範囲と期間を必ず確認してください。契約条項の法的な効果については、弁護士等の専門家にご確認ください。
引き継ぎ期間には何をするのか|実務の中身
引き継ぎ期間に前経営者が担う役割は、大きく四つあります。
①取引先・金融機関への挨拶と関係の引き継ぎ
長年の信頼で成り立ってきた取引関係を、新経営者に橋渡しします。主要な取引先には前経営者と新経営者が揃って挨拶に伺い、「会社は変わらず続く」という安心を届けることが、取引維持の要になります。
②従業員の動揺を抑え、新体制への橋渡しをする
従業員にとって、前経営者が笑顔で新体制を支えている姿は、何よりのメッセージです。発表後の個別フォローや、キーパーソンの定着支援も重要な役割です。従業員への発表の実務は「会社売却を従業員にいつ・どう伝えるか|開示のタイミングと注意点」で詳しく解説しています。
③業務・技術・ノウハウの承継
経営者の頭の中にある取引の経緯、価格決定の勘所、技術的なノウハウを、文書化や同行・実地指導を通じて新体制に移していきます。
④統合(PMI)への協力
経理や人事制度の統合、システムの共通化など、買い手側が進める統合作業(PMI)に、社内事情を最もよく知る立場から協力します。PMIの全体像は「PMIとは|M&A成立後の統合を成功させる3つの要点」をご覧ください。
引き継ぎ後の選択肢|引退だけがゴールではない
引き継ぎを終えた後の道は、引退だけではありません。実際の成約事例では、次のような選択肢が見られます。
- 完全に引退する:趣味や家族との時間、地域活動などに軸足を移す、最も多い選択肢のひとつです
- 顧問・相談役として関わり続ける:第一線からは退きつつ、月数回の助言などの形で会社と緩やかにつながり続けます
- 経営者として続投する:大手グループの傘下に入り、資本の後ろ盾を得て、雇われ経営者として事業の成長に再挑戦する形です。成長戦略型のM&Aで多く見られます
- 新しい事業を始める:譲渡対価を元手に、かねてから温めていた事業や投資、若手支援に取り組む方もいらっしゃいます(競業避止義務の範囲にはご注意ください)
どの道を選ぶかに正解はありません。大切なのは、ご自身が望む「その後」を交渉の早い段階で言語化し、ロックアップの期間や立場の設計に反映させることです。
手取り資金とセカンドライフの設計
売却後の人生設計の土台になるのが、手取り資金です。手取り額は、譲渡価格そのものではなく、譲渡価格から仲介手数料と税金を差し引いた金額で考えます。個人の株式譲渡益には約20%(20.315%)の申告分離課税が適用されるのが原則ですが、退職金と組み合わせた場合の取り扱いなど、設計によって手取りは変わり得ます。また、譲渡益が数億円規模に及ぶ場合には、2025年分所得から適用が始まった高所得者への追加課税(いわゆるミニマムタックス)の影響を受けることがあります。この措置は令和8年度税制改正で2027年分所得から強化される一方、2026年12月31日までに株式の譲渡契約を締結すれば現行制度が適用される経過措置があり、「いつ売却するか」というタイミング自体が手取り額に影響し得る点にも留意が必要です。詳しくは「会社売却にかかる税金|株式譲渡益課税と手取り額の考え方」をご覧いただき、具体的な税務は必ず税理士等の専門家にご確認ください。
また、役員退任に伴う保険や個人資産の整理、相続まで見据えた資産の置き方など、売却を機に検討すべきテーマは少なくありません。売却対価という数字だけでなく、「その資金で、どんな時間を過ごすのか」まで含めて設計することで、M&Aは経営者ご自身の人生にとっても納得のいく節目になります。
まとめ|「売った後」を先に描くことが良い売却につながる
会社売却後の経営者の歩みは、①ロックアップ・引き継ぎ期間(数カ月〜2、3年程度が目安)、②引き継ぎの実務(取引先・従業員・ノウハウ・PMI)、③その後の選択肢(引退・顧問・続投・再挑戦)という流れで整理できます。そして、この「売った後」の希望を先に描いておくことが、相手選びや条件交渉の軸となり、結果として満足度の高い売却につながります。
「何年くらい残ることになるのか」「すぐに引退したいが可能か」といったご質問には、貴社の状況を伺ったうえで、実務の相場観をもとに具体的にお答えできます。事業承継の全体像は事業承継・後継者不在の方へでもご案内しています。売却後の人生設計まで含めて、どうぞお気軽にご相談ください。
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会社を売却しても、経営者の職務がすぐ終わるわけではありません。前経営者が一定期間残る「ロックアップ」は中小M&Aで一般的で、期間は数ヶ月から2〜3年程度。引き継ぎで担う4つの役割と、その後の選択肢(引退・顧問・続投・再挑戦)を解説。詳しくはコラムへ。
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会社を売ったら、翌日から自由。そう思っていませんか。実務では、前の社長がしばらく会社に残るのが、普通です。
これをロックアップ、キーマン条項と言います。期間は、数ヶ月から2、3年。社長への依存が大きい会社ほど、長くなります。
やることは4つ。取引先や銀行への、橋渡し。従業員の動揺を抑える。頭の中のノウハウを、文書にして渡す。そして、統合への協力です。
引き継ぎの後は、引退だけじゃない。顧問として緩やかに関わる。大手の傘下で、雇われ経営者として続投する。新しい挑戦をする人もいます。売った後を先に描くことが、良い売却につながります。
何年残ることになるのか。実務の相場観を、お伝えします。
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