本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。価格の開きが埋まらないとき、「一部を業績連動の後払いにする」という提案が出ることがあります。アーンアウトです。うまく設計すれば双方の納得点になりますが、雑に入れると成約後の紛争の原因になります。実際、後から揉める条項の代表格です。ここでは、使いどころ、指標の決め方、算定ルールの書き方、紛争を防ぐ設計を整理します。制度の概要は「アーンアウトとは」を先に確認してください。
アーンアウトの使いどころ|価格差ではなく不確実性を埋める道具
まず前提を確認します。アーンアウトは価格の開きを機械的に埋める道具ではありません。「売り手が1億円、買い手が7,000万円と言っているから、差額を業績連動にしよう」という使い方は、後で必ず問題になります。
本来の使いどころは、将来の不確実性について、双方の見立てが違う場合です。典型例を挙げます。
- 大型案件の受注が見込まれているが、確定していない
- 新規事業や新製品が立ち上がりつつあるが、実績が浅い
- 特定の取引先への依存が高く、継続するかどうかで評価が変わる
- 許認可や資格の取得が進行中で、取得後に事業が伸びる見込みがある
いずれも、「起きるかどうか分からないが、起きたら価値が上がる」という構造です。買い手は起きない前提で価格を出し、売り手は起きる前提で価格を期待する。この差を、実際に起きたときに精算する仕組みがアーンアウトです。
逆に、次の場合は勧めません。①売り手が成約後に事業に関与しない場合、②業績が買い手の経営判断に大きく左右される場合、③指標の算定に売り手が関与できない場合。関与しない人の報酬を、関与できない指標で決めるのは、紛争の設計図を書いているようなものです。
指標の選び方|売上・利益・非財務指標のそれぞれの落とし穴
指標の選択は、設計の核心です。それぞれに一長一短があります。
| 指標 | 長所 | 落とし穴 |
|---|---|---|
| 売上高 | 算定が容易で、操作されにくい | 利益を伴わない売上でも達成できてしまう。買い手にとって不利になりうる |
| 営業利益・経常利益 | 買い手の関心と一致しやすい | 本社費の配賦、買い手グループとの取引条件、会計方針の変更で大きく動く |
| EBITDA | 減価償却や資本構成の影響を除ける | 定義を厳密に書かないと解釈が分かれる |
| 特定の事象 | 受注の獲得、許認可の取得など、客観的に判定しやすい | 判定基準を明確に書く必要がある。部分的な達成の扱いが論点になる |
| 非財務指標 | 従業員の定着、主要取引先の継続など、実態に即する | 測定方法が曖昧になりやすい |
実務でのおすすめは、できるだけ単純で、操作の余地が小さい指標です。利益系の指標は買い手の経営判断に左右されるため、売り手が納得しにくくなります。「特定の受注の獲得」「主要取引先との契約更新」のように、事象で判定できる設計が最も紛争になりにくいと感じています。
また、閾値の設計にも注意します。「営業利益が◯円を超えたら全額支払う」という設計だと、わずかに届かなかった場合に一円も支払われず、紛争になります。段階的な設計(達成率に応じて按分する)にすると、この種の対立は減ります。
対象期間・上限・支払条件の設計
指標と併せて、次の要素を決めます。
- 対象期間:何年分を対象とするか。長すぎると買い手の経営裁量との衝突が増え、短すぎると売り手が達成前に判定される
- 判定の時期と方法:いつの決算数値を、誰が、どのように確定させるか。監査や税務申告との関係を明確にする
- 上限額:支払の総額に上限を設けるのが一般的
- 支払時期:判定後いつまでに支払うか。決算確定から支払までの日数を明記する
- 支払方法:一括か分割か。相殺の可否(補償請求がある場合に相殺できるか)
- 売り手の在籍要件:売り手が引き継ぎ期間中に在籍していることを条件とするか。条件とする場合、買い手都合で退任させられた場合の扱いを必ず定める
最後の点は特に重要です。在籍を条件にしておきながら、買い手の判断で退任させられたらアーンアウトも消える——このような設計は不公平であり、後の紛争の火種になります。「買い手都合による終了の場合は、在籍要件を満たしたものとみなす」といった手当てを検討してください。
また、アーンアウトの税務上の取り扱いは、支払時期や設計によって議論になりうる領域です。必ず税理士に確認してもらってください。仲介者が税務上の結論を説明することは避けます。
算定ルールを書き切る|会計方針と経営裁量の問題
アーンアウトで揉める原因のほとんどは、算定ルールの書き込み不足です。契約に落とすべき事項を挙げます。
- 会計方針の固定:「クロージング時点の会計方針を継続して適用する」旨を定める。方針が変われば数値も変わります
- グループ間取引の扱い:買い手のグループ会社との取引価格、本社費や管理費の配賦の扱いを定める
- 組織再編の扱い:対象期間中に合併・事業譲渡・分割が行われた場合の算定方法
- 特別損益の扱い:一時的な損益を算定から除外するかどうか
- 資料の提供義務:買い手が売り手に対して、算定の根拠となる資料を提供する義務
- 異議申立ての手続:売り手が算定結果に異議を述べる期限と方法、解決できない場合の第三者(会計士等)による判断
- 誠実義務:買い手が、アーンアウトの達成を意図的に妨げる行為を行わないこと
最後の誠実義務は、実務上の安全弁です。買い手には経営の自由があり、事業の統合や方針変更を行う権利があります。一方で、その結果としてアーンアウトが達成できなくなることもある。この緊張関係を、条項でどこまで緩和できるかは弁護士の判断領域です。仲介者は「この論点がある」ことを提示し、専門家の検討につなぐのが役割です。
資料提供義務も忘れずに。売り手は成約後、会社の数値を見る立場にありません。判定の根拠を確認できなければ、結果を受け入れようがありません。いつ、どの資料を、どういう形で受け取れるのかを条項に書いてください。
売り手への説明と、紛争を防ぐための条項
売り手への説明は、次の点を必ず含めます。
- 確定額と変動額を分けて示す:「総額◯円」ではなく「確実に受け取れる◯円と、条件を満たした場合の最大◯円」と説明する
- 達成しなかった場合を前提に判断してもらう:達成する前提で受け入れると、後の失望が大きい
- 受け取り時期:判定と支払が数年後になること、その間の税務上の取り扱いは税理士に確認が必要なこと
- 関与の必要性:在籍要件がある場合、その期間は引き継ぎに関与する必要があること
- 確認できる情報:判定の根拠をどこまで見られるのか
そして、仲介者として最も気をつけるべきことがあります。アーンアウトを含めた総額で、案件の規模を大きく見せないことです。仲介者の報酬が対価に連動する以上、変動部分を大きく見せる誘因が構造的に存在します。だからこそ、説明は確定額を基準に行うという規律を自分に課してください。中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)が求める誠実な情報提供とは、こういう場面での姿勢のことです。
最後に、アーンアウトを設計したら、判定日と資料受領の期限を一覧にして売り手に渡してください。売り手は成約後、会社の外にいます。期限を管理する仕組みを持っていません。この一覧があるかどうかで、数年後の受け取りが変わることもあります。成約後のフォローは「クロージング後の仲介者の役割」に、価格の議論全般は「価格の再交渉が起きたとき」に整理しています。