「金額よりも、残したいものがあります」。そうおっしゃる経営者は少なくありません。社名、理念、地域での立場、お客様との関係。これらは契約書に書けるものと、書けないものに分かれます。何ができて何ができないのかを、はっきりさせておきます。
残したいものを、言葉にする
最初にやるべきは、何を残したいのかを具体的に言葉にすることです。「会社を大切にしてほしい」では、相手に伝わりません。
実務では、次のように分けて書き出していただくことが多くあります。社名や屋号。事業所の場所。取引先との関係。製品や技術の継続。従業員の雇用と処遇。経営理念や社是。地域との関わり。
この一覧ができると、相手を選ぶ基準が明確になります。そして、優先順位をつけておくことが大切です。すべてを守れる相手が現れるとは限りません。どれが譲れないのかを、自分の中で決めておく必要があります。
契約に書けること
最終契約に盛り込むことができる代表的なものは、次のとおりです。
商号の継続。一定期間、社名を変更しない旨の定めです。雇用の維持。クロージング後一定期間、従業員を解雇しない、労働条件を不利益に変更しない旨の定め。事業所の継続。一定期間、拠点を移転しない旨の定め。
ただし、これらは期間を限った約束になるのが通常です。買い手も将来を約束しきれないためです。永久に変えないという条項は、通常は受け入れられません。
また、違反した場合にどうなるかも決めておく必要があります。損害賠償なのか、努力義務にとどめるのか。実効性のない条項を並べても意味がありません。
契約に書けないこと
一方で、契約に書いても実効性が乏しいものがあります。経営理念を大切にすること、社風を守ること、お客様を大事にすること。いずれも、違反したかどうかを客観的に判定できません。
これらは、契約ではなく相手選びで守るしかないものです。だからこそ、トップ面談で相手の考え方を聞き、既に買収した会社をどう扱っているかを確かめることが重要になります。
実務では、買い手が過去に引き継いだ会社の経営者に会わせてもらう、という方法もあります。断られることもありますが、応じてくれる相手であれば、それ自体が一つの判断材料になります。
相手を選ぶときに見るところ
想いを引き継いでもらうという観点で、見ておきたいのは次の点です。
なぜこの会社を買いたいのか。事業を伸ばしたいのか、人材が欲しいのか、取引先が欲しいのか。理由によって、譲渡後の扱いが変わります。
過去の買収でどうしてきたか。社名を変えたか、経営陣を入れ替えたか、拠点を統合したか。実績は言葉より雄弁です。
誰が決めているか。オーナー企業なのか、上場企業なのか。上場企業の場合、担当者が代わると方針も変わることがあります。
金額の高さと、想いの引き継ぎは別の軸です。両方を並べて判断するのが、後悔の少ない選び方だと考えています。
従業員と取引先にとっての「想い」
経営者が残したいものと、従業員や取引先が残してほしいものは、必ずしも一致しません。
従業員が気にしているのは、雇用、給与、働く場所、一緒に働く人です。取引先が気にしているのは、取引の継続、条件、担当者です。社名や理念より、日々の現実のほうが切実であることは珍しくありません。
ですから、想いの引き継ぎを考えるときも、まず実際的なものを守る。雇用と労働条件、取引の継続。そのうえで、社名や理念といった象徴的なものを守る。この順番のほうが、結果として関係者に喜ばれます。
創業の物語を、形にして残す
契約とは別に、できることがあります。会社の歴史を記録して残すことです。
創業の経緯、苦しかった時期、製品が生まれた背景、支えてくれた人たち。経営者の頭の中にしかない話を、文章や映像にしておく。社史のような大げさなものである必要はありません。
これは、買い手にとっても価値があります。引き継ぐ会社に物語があると分かれば、扱いが変わります。そして、従業員にとっても、自分たちの会社の来歴を知ることは支えになります。
譲渡が決まってからでは時間が取れません。考え始めた段階で、少しずつ書き留めておかれることをお勧めしています。
引き継いだ後に、どう関わるか
想いを残す最後の手段は、自分が一定期間関わり続けることです。顧問や相談役として残り、新しい経営陣に背景を伝えていく。
ただし、これは口を出し続けることとは違います。聞かれたら答える、判断の理由を説明する、人を紹介する。新体制を支える側に回るという立場です。
この切り替えができるかどうかが、想いが引き継がれるかどうかを実質的に決めます。詳しくは譲渡後の社長の役割をご覧ください。