最終契約書に署名し、株式と対価が動く。クロージングは、M&Aのプロセスにおける最大の山場です。しかし実務の観点でいえば、そこはゴールではなく、会社の運営を新しい体制へ切り替えていく作業の起点にすぎません。登記、許認可の届出、金融機関との調整、社会保険、契約の名義変更——クロージング後には、地味ですが確実に片づけなければならない手続きが残ります。本稿では、それらを領域ごとに一覧として整理します。
クロージングは終着点ではなく、切り替えの起点
クロージング当日に行うのは、株式の移転と代金の決済、そして代表者印・通帳・重要書類の引渡しといった「その場で完結する行為」です。当日の具体的な段取りは「M&Aのクロージングとは」で解説しています。
一方、本稿で扱うのは、その後に順次進めていく対外的な手続きです。これらは相手方(法務局、監督官庁、金融機関、年金事務所、取引先)のあることですから、こちらの都合だけでは進みません。だからこそ、クロージング前に「誰が・いつ・何を」の一覧を作っておくことが決定的に重要になります。
もうひとつ押さえておきたいのが、スキームによって残る手続きの量がまったく違うという点です。株式譲渡は会社の法人格が変わらないため、契約関係や許認可の多くがそのまま継続します。これに対して事業譲渡は、資産・契約・従業員を個別に移す取引ですから、移転の対象となるもの一つひとつについて相手方の同意や届出が必要になります。同じ「会社を引き継ぐ」でも、事後の負荷は大きく異なります。
登記まわり|役員変更を中心に
クロージング後、最も早い段階で手をつけるのが登記です。株式譲渡では、株主が変わったこと自体は登記事項ではありません(株主名簿の書換で対応します)。しかし実務では、クロージングにあわせて役員が交代することがほとんどであり、その場合には役員変更の登記が必要になるのが一般的です。
登記の対象となり得る事項としては、次のようなものがあります。
- 取締役・監査役の就任、退任、辞任——株主総会での選任決議が前提になります
- 代表取締役の変更——取締役会設置会社では取締役会での選定が前提です
- 本店移転——買い手のグループ拠点へ本店を移す場合
- 商号変更・目的の変更——社名を変える場合や、事業目的を追加・整理する場合
- 役員の住所・氏名の変更——代表取締役の住所は登記事項です
登記申請には、株主総会議事録・取締役会議事録、就任承諾書、印鑑証明書といった書類が必要になります。旧役員の押印や印鑑証明書が求められる場面もあるため、クロージング当日に必要書類をまとめて受け取っておくのが実務上の定石です。後日あらためて旧オーナーに連絡を取り、書類を集め直すのは、双方にとって負担になります。
登記そのものは司法書士に依頼するのが通常です。誰に依頼するか、いつ申請するかも、クロージング前に決めておきましょう。あわせて、代表者印の改印や印鑑カードの取扱いも整理しておきます。必要な決議の考え方は「M&Aで必要な株主総会・取締役会の決議」もご参照ください。
許認可|スキームで扱いが大きく変わる
建設業、運送業、産業廃棄物処理業、医療・介護、飲食、宿泊、調剤薬局、人材紹介——事業に許認可が必要な業種は数多くあります。M&Aにおいて、この許認可の扱いはスキームによって大きく異なります。
株式譲渡の場合
株式譲渡では会社の法人格そのものは変わりません。したがって、その会社が保有する許認可は原則としてそのまま継続します。これは株式譲渡が中小M&Aで選ばれやすい大きな理由のひとつです。
ただし「何もしなくてよい」わけではありません。役員が交代すれば、監督官庁への変更届出が求められる業種が多くあります。また、業種によっては役員に欠格事由がないことや、一定の資格者・管理者を配置することが要件とされており、交代後の体制がその要件を満たしているかの確認が欠かせません。要件を満たさない状態が生じれば、許認可そのものに影響しかねない領域です。
事業譲渡・会社分割の場合
事業譲渡では、許認可は当然には承継されません。譲受側が自ら新規に取得する必要がある場合が多く、取得までの間に事業を継続できるかが実務上の大問題になります。会社分割については、法律によって承継が認められているものもあれば、認められていないものもあり、業種ごとの個別確認が必須です。
いずれにせよ、許認可は監督官庁または行政書士等への事前確認が不可欠な領域です。「たぶん大丈夫だろう」で進めてよい部分ではありません。業種別の詳細は「M&Aと許認可の承継」で解説しています。
金融機関・借入・経営者保証
売り手のオーナー経営者にとって、クロージング後の手続きのなかで最も切実なのが経営者保証です。
中小企業の借入では、代表者が個人として連帯保証をしているケースが一般的です。ここで誤解が生じやすいのですが、株式を譲渡しても、経営者保証は自動的には外れません。保証は旧オーナー個人と金融機関との間の契約であり、株主が変わったからといって当然に消滅するものではないからです。
解除には金融機関との個別の協議が必要で、実務上は次のような対応がとられます。
- 買い手(または買い手側の代表者)が保証を引き受ける形での差し替え
- 買い手側の資金で借入を返済、あるいは借り換えを行う
- 保証を付けない形での融資への切り替えを金融機関と協議する
いずれにしても金融機関の判断が必要ですから、クロージング後に持ち越すのではなく、最終契約の交渉段階から並行して進めるのが望ましい進め方です。近年は「経営者保証に関するガイドライン」の浸透により、保証に依存しない融資への転換が政策的にも後押しされており、保証を外す方向での対話は以前より進めやすくなっています。関連する論点は「M&Aのクロージングとは」でも触れています。
このほか、金融機関まわりでは次の手続きが必要になります。
- 銀行口座の代表者名義・届出印の変更
- インターネットバンキングの管理者・権限の切り替え
- 各種融資契約の変更届出、チェンジ・オブ・コントロール条項の確認
- リース契約・クレジットカード・法人契約の名義や与信の見直し
社会保険・労務・従業員まわり
この領域も、スキームによって扱いが分かれます。
株式譲渡の場合
従業員を雇用している事業主(法人)は変わりませんので、社会保険・労働保険の被保険者資格に原則として変動は生じません。従業員との雇用契約も、そのまま継続します。ただし、代表者が変わることに伴う届出が必要になるほか、次のような点は確認が必要です。
- 社会保険・労働保険の事業主(代表者)変更に関する届出
- 就業規則、賃金規程、退職金規程の内容と、買い手グループの制度との関係
- 未消化の有給休暇、未払残業の有無、労使協定の締結状況
- 企業年金・退職金制度の取扱い
事業譲渡の場合
事業譲渡では従業員の雇用契約は自動的には移りません。従業員一人ひとりの同意を得て、譲受側との新たな雇用契約を結ぶ(転籍する)手続きが必要です。これに伴い、譲渡側での資格喪失と譲受側での資格取得の手続きが生じます。従業員にとっては勤務先が変わる大きな出来事ですから、説明の進め方には細心の配慮が要ります。
従業員への開示
手続きとは別に、避けて通れないのが従業員への説明です。M&Aの検討中は秘密保持が最優先ですが、クロージング後は速やかに、経営者自身の言葉で伝えることが望まれます。多くの場合、従業員が最も知りたいのは、雇用が守られるのか、給与や待遇はどうなるのか、誰が上司になるのかという具体的な点です。買い手と事前に説明内容をすり合わせ、質問への回答を用意しておくことが、その後の定着を大きく左右します。統合後の進め方は手続きカテゴリの各記事もあわせてご覧ください。
取引先契約の名義変更と、社内外への周知
株式譲渡であれば、会社が当事者となっている契約はそのまま存続するのが原則です。ただし、契約書にチェンジ・オブ・コントロール条項(支配株主の変更があった場合に相手方が解除等をできる旨の定め)が置かれていれば、事前の通知や同意が必要になります。デューデリジェンスの段階で洗い出しておくべき論点であり、該当する契約があればクロージング前後の対応をあらかじめ決めておきます。
そのほか、実務で漏れやすいものを挙げておきます。
- 賃貸借契約(本社・店舗・倉庫)——連帯保証人が旧オーナー個人になっていないか
- 各種の保険契約——契約者・受取人の名義、経営者を被保険者とする保険の扱い
- 車両、リース物件、通信回線、システムの利用契約
- 知的財産権(商標・特許)の名義、ドメイン・SNSアカウントの管理権限
- ウェブサイト、会社案内、名刺、社内文書の役員表記
- 主要取引先・金融機関への挨拶と、新体制の紹介
特に、旧オーナーが個人として関与している契約(賃貸借の連帯保証、個人名義の資産の会社利用など)は、放置すると譲渡後も旧オーナーに責任が残り続けます。「オーナー個人と会社の間の関係」を洗い出して整理することは、クロージング後の重要な作業のひとつです。
まとめ|チェックリストを先に作る
ここまで見てきた手続きは、領域が広く、関わる専門家も複数にまたがります。すべてを記憶で管理するのは現実的ではありません。だからこそ実務では、クロージング前の段階で領域別のチェックリストを作成し、担当者と着手のタイミングを両者で確認しておくことが定石になっています。
また、これらの手続きは買い手が主導するとはいえ、旧オーナーの協力なしには完結しません。登記書類への押印、金融機関や主要取引先への引き合わせ、許認可に関する過去の経緯の説明——どれも、その会社を長年率いてきた方だからこそ担える役割です。最終契約書には、クロージング後の協力義務が定められるのが通常であり、この引継ぎ期間の質が、その後の統合の成否を大きく左右します。
当社では、クロージングを迎える前に、登記・許認可・金融機関・社会保険・契約の各領域について一覧を作成し、売り手・買い手の双方で共有したうえで実行に移す進め方をとっています。手続きの全体像を把握しておきたいという段階でも構いません。まずはお気軽にご相談ください。
よくあるご質問
Free Consultation
引継ぎの最後の一歩まで、ご一緒します。
登記・許認可・金融機関・社会保険。クロージング後に残る手続きも、領域別に整理してお手伝いします。
メール(info@platinumpartners.jp)でも承ります。