「会社を譲ることになったら、社員に少しでも報いたい」——譲渡を決めた経営者から、必ずと言っていいほど伺うお気持ちです。長く支えてくれた人たちに何かを残したい。その思いは自然なものですが、出し方によって、税務上の扱いも、受け取る側の負担も、会社の評価も変わります。
また、タイミングを誤ると、伝えるべきでない段階で譲渡の話が伝わってしまう危険もあります。本稿では、三つの方法の違いと、実務上の注意点を整理します。
方法は三つ|お金の出どころが違う
従業員に報いる方法は、大きく次の三つに分かれます。
| 方法 | お金の出どころ | 主な論点 |
|---|---|---|
| 会社から特別賞与・決算賞与として支給 | 会社の現預金 | 損金算入の可否、源泉徴収、社会保険、企業価値への影響 |
| オーナー個人から金銭を贈る | オーナーの個人資産 | 受け取る側に贈与税の問題が生じ得る |
| 買い手に処遇で引き継いでもらう | 譲渡後の会社 | 契約でどこまで約束できるか |
どれが良いかは、金額の規模、会社の資金余力、譲渡の条件によって変わります。三つを組み合わせることもあります。大切なのは、思いつきで進めず、譲渡の条件交渉と一体で設計することです。
会社から賞与として出す場合
最も一般的なのが、会社から特別賞与や決算賞与として支給する方法です。従業員から見れば通常の賞与と同じ扱いになり、給与としての源泉徴収と社会保険の対象になります。受け取る側の手取りは額面より少なくなりますので、「手取りでいくら渡したいか」から逆算して金額を決めるのが実務的です。
会社側では損金になるのが原則ですが、いつの事業年度の損金になるかは支給の決定と支払いの時期によって変わります。決算日をまたぐ場合の取り扱いには要件がありますので、支給時期は顧問税理士にご確認ください。
そして、M&Aの場面で特有の論点が企業価値への影響です。賞与の支給は会社の現預金を減らしますので、クロージング前に実施すれば、買い手が評価する価値に影響する可能性があります。買い手にとっては「引き継いだ翌日に現金が減っていた」という形になりかねません。
そのため実務では、賞与の支給を譲渡契約の中で明示的に取り決めることが多くあります。金額、時期、対象者をあらかじめ共有しておけば、後から問題になりません。反対に、買い手に知らせずに実行すると、表明保証や価格調整の問題に発展し得ます。
オーナー個人から贈る場合
「会社の資金を減らすと価格に響くなら、自分の受け取ったお金から渡したい」というお考えもあります。この場合、受け取る従業員の側で贈与税の問題が生じ得ます。
渡す側にとっては自由に使えるお金であっても、受け取る側には申告と納税の手間が生じることがあります。善意で渡したつもりが、相手に負担を強いる結果になりかねません。金額と方法は、実行前に必ず顧問税理士にご確認ください。
また、渡し方にも配慮が必要です。人によって金額に差をつければ、社内に不公平感が生まれます。譲渡後も会社に残って働く人たちの関係を、譲る側の判断で壊してしまうことがないよう、「誰に、いくら、どういう理由で」を説明できる基準を持っておくことをお勧めします。
買い手に処遇で引き継いでもらう
一時金ではなく、譲渡後の処遇として報いるという方法もあります。譲渡契約の中で、従業員の雇用条件の維持や、一定期間の処遇について取り決める形です。
この方法の長所は、継続的であることです。一時金は一度きりですが、処遇は働き続ける限り効きます。従業員にとっての安心にもつながります。
一方で、買い手を長期に縛る約束はしにくいという現実もあります。買い手は買収後の経営に責任を負う立場ですから、将来の人事に制約をかけられることを嫌います。実務では、雇用の維持や労働条件の不利益変更を行わない旨を一定期間について定める、といった形に落ち着くことが多くあります。
従業員の処遇や待遇の統合については「M&A後の従業員はどうなる?雇用・待遇・キーマンの引き継ぎ」で整理しています。また、従業員に伝えるタイミングと伝え方は「従業員面談の受け入れ|いつ・誰に・何を話すか」をご覧ください。
いちばん難しいのは、タイミング
方法以上に慎重を要するのが、いつ実行するかです。
譲渡の話は、原則としてクロージングが見えるまで社内に伏せて進めます。ところが、突然の特別賞与は「何かある」と社内に伝わる合図になります。憶測が広がり、退職者が出れば、会社の価値そのものが揺らぎます。買い手が最も嫌うのがこの事態です。
他方で、クロージング後に出そうとすると、会社の意思決定はすでに買い手のものです。旧オーナーの一存では決められません。だからこそ、次のように進めるのが安全です。
- 交渉の段階で、賞与の意向を仲介と買い手に伝えておく:金額・時期・対象者を条件の一部として整理します。
- 譲渡契約に明記する:支給の実施を前提として、価格や資金の扱いを調整します。
- 従業員への説明とセットで実行する:公表のタイミングに合わせれば、憶測を招きません。
当社がご相談を受ける際も、「社員に報いたい」というお気持ちは早い段階でお聞かせくださいとお伝えしています。条件が固まってからでは、選べる形が限られてしまうためです。
まとめ|気持ちを、条件の一部として設計する
従業員に報いる方法には、会社から賞与として支給する、オーナー個人から贈る、買い手に処遇で引き継いでもらう、という三つがあります。それぞれ税務の扱いも、会社の評価への影響も、実行できるタイミングも違います。
共通して言えるのは、思いを形にするには、早めに条件交渉の中へ組み込むことです。後から動こうとすると、税務上も契約上も選択肢が狭まり、社内には憶測だけが残ります。
当社では、譲渡の条件を組み立てる段階から、こうしたご要望を含めて整理しています。具体的な課税関係や損金算入の可否は、必ず顧問税理士にご確認ください。ご相談は無料、秘密は厳守いたします。