最終契約書を読み進めると、表明保証の次あたりに「誓約事項」という見出しが現れます。英語では covenants(コベナンツ)。ここに書かれているのは、これから先、当事者が「する」または「しない」と約束する行為です。
表明保証が「過去と現在の事実」についての約束であるのに対し、誓約事項は「これからの行動」についての約束である——この違いを押さえると、契約書の構造がぐっと見通しやすくなります。本稿では、売り手が負う誓約事項の典型例と、それが実際の経営にどう影響するのか、そして違反したときに何が起きるのかを整理します。
誓約事項とは|「これからの行動」についての約束
誓約事項は、契約当事者が一定の行為を行うこと(作為義務)、または行わないこと(不作為義務)を約束する条項です。M&Aの最終契約では、次の三つの時期に分けて整理すると理解しやすくなります。
| 時期 | 誓約事項の性格 | 代表的な内容 |
|---|---|---|
| 契約締結〜クロージング | 対象会社の状態を維持し、取引実行の準備を進める | 通常どおりの事業運営、重要な行為の事前承諾、条件充足への努力、他社との交渉禁止 |
| クロージング時 | 取引の実行そのものに関わる行為 | 株主名簿の書換、書類の引渡し、役員の辞任 |
| クロージング後 | 引き継ぎと、買い手の利益を損なわない行動 | 引き継ぎへの協力、競業避止、秘密保持、勧誘禁止 |
このうち、売り手にとって最も実感を伴うのが一段目——契約を結んでから決済までの間の誓約です。なぜなら、この期間、会社はまだ売り手のものでありながら、経営の自由度には制約がかかるからです。
なぜそのような期間が生じるのか。最終契約の締結(サイニング)と決済(クロージング)を同じ日に行う取引もありますが、許認可の届出や取引先の同意取得、金融機関との調整が必要な場合には、両者の間に一定の期間を置かざるを得ません。その間に会社の価値が損なわれないよう、買い手は誓約事項で歯止めをかけるわけです。
クロージングまでの誓約|「通常どおりの経営」の意味
最も基本的な誓約が、「従前と同様の方法により、通常の業務の範囲内で事業を運営する」という定めです。実務では「善管注意義務条項」「事業運営の維持」などと呼ばれます。
これは「何も新しいことをするな」という趣旨ではありません。日々の受注、仕入、支払、雇用といった通常の業務は当然に続けます。制限されるのは、会社の価値や前提を変えてしまうような行為です。
そのうえで、特に重要な行為については「買い手の事前の書面による承諾を得ること」という個別の誓約が置かれるのが通例です。典型的には次のような行為です。
| 分類 | 事前承諾の対象になりやすい行為 |
|---|---|
| 資本・組織 | 新株の発行、自己株式の取得、定款の変更、組織再編、子会社の設立や処分 |
| 資産 | 重要な資産の取得・処分、設備投資、不動産の売買 |
| 負債 | 新たな借入、保証・担保の提供、債務免除 |
| 契約 | 重要な契約の締結・変更・解除、長期の取引契約 |
| 人事 | 役員の選任・解任、役員報酬の改定、従業員の大幅な採用や解雇、賃金体系の変更 |
| 配当・支出 | 剰余金の配当、役員退職金の支給、通常の範囲を超える支出 |
売り手として気をつけたいのは、「これくらいなら大丈夫だろう」と自己判断しないことです。たとえば、長年の慣行として毎年この時期に役員賞与を出している、決算期末に設備を入れ替える予定だった、といった場合でも、契約上は事前承諾が必要な行為に該当することがあります。予定している行為があれば、契約の交渉段階で伝え、例外として明記しておくのが安全です。
もう一つ、この期間には他社との交渉を禁じる誓約(独占交渉義務)が置かれるのが通常です。基本合意の段階から続いていることが多い義務ですが、最終契約でも改めて定められます。
取引実行に向けた協力の誓約
クロージングまでの期間には、取引を成立させるための作業も走ります。これらも誓約事項として定められます。
クロージング条件の充足に向けた努力。契約で定められた前提条件——役員貸付金の清算、名義株の整理、許認可の届出、取引先からの同意取得など——を、売り手が誠実に進めることを約束します。どこまでの努力が求められるのか(「合理的な努力」なのか「最大限の努力」なのか)によって、義務の重さは変わります。
情報提供と協力。買い手が必要とする情報の提供、質問への回答、クロージング後の統合準備への協力などが含まれます。
通知義務。表明保証の内容に反する事実が判明した場合や、重大な事象が発生した場合に、速やかに買い手へ通知する義務です。ここで通知を怠ると、表明保証違反とは別に誓約違反も重ねて問われる可能性があります。事態が起きたとき、隠さず伝えるという行動が、契約上も正しいということです。
クロージング条件を満たすための実務的な作業については「クロージング条件を満たす作業|売り手側の準備」で詳しく扱っています。
クロージング後も続く誓約
決済が済み、株式を引き渡した後も、売り手には一定の義務が残ります。これらも誓約事項として契約に書かれます。
競業避止義務。譲渡した事業と競合する事業を、一定の期間・一定の地域で行わないという約束です。買い手は事業の価値を買っているため、売り手が同じ事業を始めれば、その価値が損なわれてしまいます。期間と範囲がどう定められているかを、必ず確認してください。
従業員・取引先の勧誘禁止。対象会社の従業員を引き抜かない、取引先を奪わないという約束です。
秘密保持義務。対象会社の情報を、成約後も第三者に開示しないという約束です。
引き継ぎへの協力。一定期間、顧問や相談役といった立場で関与し、取引先への紹介や業務の引き継ぎを行うことを約束する場合があります。関与の形と期間、報酬の有無は個別に交渉されます。「引き継ぎ計画の作り方|クロージング後の関与」もご参照ください。
これらの義務は、譲渡後の人生設計に直接関わります。「引退するつもりだから競業避止は関係ない」と思っていたが、数年後に相談を受けて事業を手伝ったら抵触する可能性があった——というようなことも起こり得ます。ご自身の今後の予定と照らして、範囲と期間を確認しておいてください。
違反したらどうなるか
誓約事項に違反した場合の効果は、違反の時期によって異なります。
クロージング前の違反。多くの契約では、「売り手が誓約事項を重要な点において履行していること」がクロージングの前提条件とされています。したがって、違反があれば買い手は決済を拒否できますし、契約の解除事由に該当することもあります。取引そのものが止まる可能性がある、という意味で重大です。
クロージング後の違反。補償請求の対象になります。競業避止義務の違反のように、金銭の補償だけでは回復できない性質のものについては、差止めの請求や違約金の定めが置かれることもあります。
実務上、売り手が意図せず違反してしまいやすいのは、事前承諾を要する行為を、普段どおりの判断で実行してしまうケースです。長年にわたり自分の判断で経営してきた会社について、一時的にせよ他者の承諾を得なければならない——この切り替えは、頭で理解していても行動が追いつかないことがあります。
対策は単純です。契約締結からクロージングまでの間に予定している行為を、契約を結ぶ前に洗い出して共有しておくこと。決算の確定、賞与の支給、設備の更新、契約の更新時期、採用の予定——カレンダーに載っている予定を一度書き出せば、多くは事前に例外として整理できます。
まとめ|預かりものとして経営する期間
誓約事項の本質は、契約締結からクロージングまでの間、会社を「預かりもの」として扱うことにあります。所有者はまだ売り手であるにもかかわらず、その価値は買い手のために維持されなければならない。この期間の性格を理解すれば、個々の条項の意図は自然に見えてきます。
そして、クロージング後の誓約——競業避止、勧誘禁止、秘密保持、引き継ぎ協力——は、譲渡後のご自身の行動を縛るものです。金額の交渉ほど注目されにくい部分ですが、生活や次の活動に直接影響します。契約書の最後のほうにあるからと読み飛ばさず、範囲と期間を必ず確認してください。
当社プラチナパートナーズでは、最終契約の検討にあたり、譲渡企業様の今後のご予定を伺いながら、誓約事項の範囲が現実的なものになるよう調整をお手伝いしています。相談料・着手金・月額報酬は0円です。契約条項へのご不安も、どうぞお聞かせください。