M&Aの検討は、社長がひとりで抱えるには重い意思決定です。誰かに相談したい、資料を作るのを手伝ってほしい、というお気持ちはよくわかります。一方で、検討の事実が社内に広まると、動揺や離職につながり、会社の価値そのものを損なうことがあります。共有する範囲をどう決めるか、その考え方を整理します。
原則は「知る人をできるだけ増やさない」
M&Aの検討段階における情報管理の原則は単純です。知る必要のある人だけに、知る必要のある範囲で伝える。これに尽きます。
理由は二つあります。第一に、検討はまとまらないことがあるからです。話が流れた場合、伝えた事実だけが社内に残り、「うちの会社は売られようとしている」という受け止めが消えません。第二に、噂は制御できないからです。一人に伝えれば、その人の判断で別の一人に伝わります。悪意がなくとも、家族に話す、同業の知人に漏らすということは起こります。
とくに影響が大きいのは、キーマンとなる従業員の離職です。買い手は、その会社の事業が誰によって回っているかを見ています。検討の途中で中核人材が辞めれば、評価は下がり、条件にも響きます。情報管理は、道義の問題であると同時に、価値を守るための実務でもあります。
それでも共有が必要になる場面
とはいえ、まったく誰にも知らせずに最後まで進めるのは現実的ではありません。実務上、共有がやむを得ないのは次のような場面です。
- 資料の収集に経理担当者の協力が必要な場合
- 株式の状況を整理するために、親族株主と話す必要がある場合
- 他に株式を持つ役員がいて、譲渡に同意が要る場合
- デューデリジェンスの受け入れで、現場の協力が避けられない場合
このうち経理担当者への依頼は、必ずしも目的を明かさずに済むことが多くあります。決算書や内訳明細の写しは、金融機関への提出や事業計画の見直しといった理由でも自然に依頼できるためです。共有せずに済むなら、それに越したことはありません。
他方、親族株主や株式を持つ役員は、いずれ必ず関与します。むしろ早い段階で話しておかないと、最終局面で同意が得られず取引が止まります。株式が分散している会社の進め方は「株式が分散している会社の売却」をご覧ください。
共有するときに決めておくこと
誰かに伝えると決めたら、伝える前に三つのことを決めておきます。
一つ目は、その人に何を伝え、何を伝えないかです。「検討していること」までなのか、「相手が現れていること」まで含めるのか。範囲を決めずに話し始めると、会話の流れで踏み込みすぎてしまいます。
二つ目は、その人がさらに誰かに伝えてよいかです。原則として「ここで止めてほしい」と明確に伝えます。曖昧にすると、本人は善意で別の担当者に相談してしまいます。役員に伝える場合でも、他の役員に共有してよいかは明示してください。
三つ目は、書面での取り決めをするかどうかです。中核の従業員や役員に伝える場合、会社との間で秘密保持の確認書を交わすことがあります。過度に構えると本人を不安にさせる面もあるため、進め方は仲介会社とご相談いただくのがよいと思います。秘密保持の実務全般は「M&Aの秘密保持」で扱っています。
気づかれないための実務上の工夫
直接伝えていなくても、社内の人間は変化に気づきます。実務でよく行う配慮を挙げます。
まず、面会の場所です。仲介会社との打ち合わせや買い手との面談を自社の会議室で行うと、必ず誰かが見ています。社外の会議室やオンラインを使うのが通常です。面談の場所選びについては「トップ面談の場所と同席者」で詳しく扱います。
次に、書類とデータの扱いです。M&A関連の資料を社内のサーバーや共有フォルダに置くと、閲覧履歴やファイル名から気づかれます。個人の管理下に置く、メールは個人のアドレスを使うといった分離を徹底してください。郵送物の宛先も、会社宛を避けるのが安全です。
三つ目は、社長の行動の変化です。急に外出が増える、特定の日だけスーツが違う、顧問先との面談が続くといった変化は、長く一緒に働いている社員ほど敏感に察します。完全に隠すのは難しいため、通常の業務(金融機関との面談、業界団体の用件など)と区別がつかない形で予定を組むといった工夫をします。
そして、デューデリジェンスの段階が最大の山場です。外部の専門家が来社するため、現場に何らかの説明が必要になります。この場面の進め方は「現地調査の受け入れ|従業員に気づかれないための工夫」にまとめています。
家族・顧問への相談はどう考えるか
社内とは別に、ご家族や顧問の専門家への相談も論点になります。
ご家族については、多くの場合は早い段階で共有されるほうが望ましいと考えます。譲渡は個人の資産と生活設計に直結しますし、親族が株式を持っている場合には同意が必要になるためです。ただし、ご家族の中でも、伝える相手は絞ってください。とくに、社内で働いているご親族については、他の従業員と同じ扱いで考える必要があります。
顧問税理士については、いつ伝えるかで悩まれる方が多い領域です。譲渡益の課税、退職金の設計、株式の評価など、税務の検討は早いほど選択肢が広がります。一方で、顧問税理士が同業他社も担当している場合には、情報の広がりを気にされる方もいます。この点の整理は「M&Aと顧問税理士|いつ相談する?役割分担と連携の進め方」をご覧ください。
いずれの相談先についても、共通する考え方は同じです。関与が必要な人には早めに、そうでない人には最後まで伝えない。この線引きを、関係ごとに決めていくことになります。
まとめ|範囲を決めてから話す
検討段階の情報共有は、知る必要のある人に限る、が原則です。知る人が増えるほど、噂と離職のリスクが上がり、それは会社の価値そのものを削ります。まとまらない可能性がある以上、伝えた事実は取り消せないという点も意識しておきたいところです。
そのうえで、株式を持つ親族や役員など、いずれ必ず関与する相手には早めに話すほうが安全です。伝えるときは、何を伝えるか、さらに誰かに伝えてよいか、書面の取り決めをするかを、話す前に決めておいてください。
従業員全体への開示は、最終契約の後からクロージング前後にかけて行うのが通常です。その進め方は「会社売却を従業員にいつ・どう伝えるか」をご覧ください。当社では、検討の初期から社内への配慮を織り込んだ進め方をご提案しています。ご相談は秘密厳守で承ります。