「社長からの借入金が貸借対照表に積み上がっているのですが、会社は売れますか」。会社売却のご相談で、たいへん多くいただくご質問です。逆に、「会社が社長にお金を貸している」役員貸付金が残っているケースも珍しくありません。結論から申し上げると、どちらがあっても売却は可能です。ただし、株式価値の算定や買い手との交渉に影響するため、「買い手からどう見えるのか」を理解し、適切なタイミングで整理しておくことが、円滑な成約への近道になります。本稿では、役員借入金・役員貸付金それぞれの扱いと整理の選択肢、注意すべき税務上の論点を順にご説明します。
中小企業の貸借対照表にありがちな2つの勘定
まず、この2つの勘定の性質を整理しておきましょう。名前が似ているため混同されがちですが、向きはちょうど逆です。
| 勘定科目 | お金の向き | 貸借対照表上の位置 |
|---|---|---|
| 役員借入金 | 社長 → 会社(会社が社長から借りている) | 負債 |
| 役員貸付金 | 会社 → 社長(会社が社長に貸している) | 資産 |
役員借入金は、資金繰りの穴を社長個人の資金で埋めてきた歴史の積み重ねであることが多く、「会社を支えてきた証」ともいえます。一方の役員貸付金は、個人の支出を会社の資金で立て替えた結果などとして生じがちです。どちらも中小企業の決算書では日常的に見られる勘定ですが、M&Aの局面では、買い手が精査(デューデリジェンス)で必ず注目する項目になります。
役員借入金の扱い|株価へのマイナス影響と整理の選択肢
株式価値の算定上はマイナス要因になる
役員借入金は、相手が社長であっても貸借対照表上の負債です。株式価値の算定では、事業の価値から純有利子負債等を差し引いて株式の価値を求める考え方が一般的であるため、役員借入金の残高は株式価値の算定上マイナス要因になります。「身内からの借入だから実質は資本のようなもの」というオーナー様の感覚と、「負債は負債」という買い手の見方の間には、しばしばギャップが生じます。純資産と株価の関係については「純資産と会社の値段の関係」もご参照ください。
整理の選択肢は3つ|いずれも税務の検討が必須
役員借入金の整理には、一般に次の3つの選択肢が知られています。
- 返済:会社の資金で社長に返済する。最もシンプルだが、会社の資金繰りに余力が必要
- 債権放棄:社長が会社への貸付債権を放棄する。ただし会社側に債務免除益への課税が生じ得る
- 資本への振替(DES:デット・エクイティ・スワップ):貸付債権を株式に振り替えて資本化する。税務上の論点があり、慎重な設計を要する
ここで強調したいのは、いずれの方法にも税務上の論点があり、専門家の検討が必須だという点です。たとえば債権放棄では、会社に債務免除益という利益が計上され、繰越欠損金の状況によっては法人税の負担が生じ得ます。DESにも、債権の評価をめぐる税務上の論点が知られています。「どの方法が有利か」は会社の財務状況・欠損金・株主構成によって変わるため、必ず税理士等の専門家を交えて設計してください。
役員貸付金の扱い|買い手はクロージングまでの精算を求める
次に、会社が社長にお金を貸している役員貸付金です。こちらは会社の資産ですが、買い手からの見え方は厳しいものになります。
買い手は「回収できない資産」として見る
買い手にとって、買収後も旧オーナーへの貸付金を保有し続ける理由はほとんどありません。返済の見込みが立ちにくい貸付金は、資産として計上されていても実質的な価値を認められず、株式価値の算定上、資産から除外して(価値ゼロとして)扱われることも珍しくありません。つまり、決算書上の純資産の見た目より、評価は下がり得るということです。
クロージングまでの精算が一般的
実務上は、最終契約の中で「クロージング(決済)までに役員貸付金を精算すること」が条件とされ、社長が返済して残高をゼロにしてから株式を譲渡する形が一般的です。譲渡対価の受領と同時に精算する設計もありますが、いずれにせよ「残したまま引き継ぐ」ことは通常想定されません。残高が大きい場合は、精算の原資をどう確保するかが論点になるため、早めに仲介会社・税理士に相談しておくことをお勧めします。
売却プロセスのどの段階で整理するか
では、これらの整理はいつ行うべきでしょうか。目安となるタイミングを、プロセスに沿って整理します。
相談〜株価算定の段階:まず「見える化」する
売却を検討し始めた段階では、無理に動かす必要はありません。大切なのは、残高・発生の経緯・金銭消費貸借契約書の有無を整理し、仲介会社に正直に開示することです。当社でも、株価算定の際には役員借入金・貸付金を織り込んだうえで、譲渡価格の目安と整理の方向性をあわせてご提案します。
買い手との交渉段階:扱いを条件に織り込む
基本合意に向けた交渉では、「役員借入金は譲渡までに債権放棄する」「役員貸付金はクロージングまでに精算する」といった扱いが条件として協議されます。ここで扱いを明確にしておくことで、後の最終契約での認識ずれを防げます。
基本合意〜クロージング:合意した方法で実行する
デューデリジェンスを経て、合意した整理方法を実行します。税務上の効果はこの段階の実行内容で確定するため、必ず税理士の関与のもとで進めてください。
やってはいけない「直前の急な操作」
注意していただきたいのは、売却の直前に、専門家に相談しないまま貸借対照表を急いで「きれいにしようとする」ことです。たとえば次のような操作は、かえって問題を大きくしかねません。
- 税務上の影響を検討しないまま、直前に多額の債権放棄を行う(債務免除益課税が想定外に発生し得る)
- 役員貸付金を帳簿上だけで消したり、実態のない取引で付け替えたりする(デューデリジェンスで必ず発覚し、信頼を損なう)
- 説明のつかない資金移動を直前期に行う(買い手の不信を招き、価格や条件の悪化につながる)
買い手のデューデリジェンスは、勘定の残高だけでなく、その発生経緯と直前期の動きまで確認します。取り繕った形跡は、金額の問題以上に「開示姿勢への不信」として交渉全体に影響します。整理は正攻法で、専門家の設計のもとで行う——これが結局は最も高い評価につながります。
まとめ|売却を考え始めたら、まず貸借対照表の棚卸しを
役員借入金・役員貸付金は、あること自体が売却の障害になるわけではありません。問題になるのは、残高や経緯が整理されないまま交渉の後半で表面化することです。売却を考え始めたら、まず自社の貸借対照表を棚卸しし、①役員借入金・貸付金の残高と経緯、②契約書等の書類の有無、③整理の方向性——この3点を早めに「見える化」しておきましょう。整理の税務は個別性が高いため、仲介会社と税理士が連携して検討する体制が理想です。会社売却にかかる税金の全体像は「会社売却にかかる税金|株式譲渡益課税と手取り額の考え方」で解説しています。
当社プラチナパートナーズは、株価算定の段階から役員借入金・貸付金の扱いを織り込んだご提案を行っています。相談料・着手金・月額報酬は0円です。「うちの決算書で売れるのか」という段階のご相談も歓迎です。企業価値算定シミュレーターとあわせて、お気軽にご活用ください。