買収の検討が進むと、必ず「どの形で買うか」という論点に行き当たります。中小企業のM&Aで用いられるのは、主に株式譲渡と事業譲渡です。同じ事業を引き受けるのでも、この二つでは引き継ぐ範囲、必要な手続き、負うリスク、税務の扱い、資金の負担がすべて変わります。しかも、買い手にとって有利な形が、売り手にとっては不利ということが少なくありません。本稿では、買い手の視点から両者を比較し、選択の判断軸を整理します。
二つの違いを一覧で押さえる
まず全体像を整理します。実務での扱いは案件によって異なりますが、基本的な性質は次のとおりです。
| 観点 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 取引の対象 | 会社の株式 | 事業を構成する資産・負債・契約 |
| 引き継ぐ範囲 | 会社が持つものすべて(選べない) | 契約で特定したものだけ(選べる) |
| 簿外債務 | 原則として引き継ぐ | 特定した範囲に限られる |
| 契約の移転 | 会社が当事者のまま。ただし支配株主変更に関する条項に注意 | 相手方の同意が原則必要 |
| 従業員 | 雇用関係は継続 | 個別の同意による再雇用・転籍 |
| 許認可 | 会社に紐づくものは原則そのまま | 原則として取り直し |
| 不動産 | 会社名義のまま | 移転登記が必要(登録免許税・不動産取得税) |
| 消費税 | 株式の譲渡は非課税 | 課税対象資産に消費税(標準税率10%) |
| 手続きの重さ | 比較的軽い | 移すもの一つひとつに手続き |
| のれんの税務 | 買い手側で償却できない | 資産調整勘定として一定の取扱いがある |
税務の扱いは制度や案件の内容によって変わりますので、必ず税理士にご確認ください。株式譲渡の手続きは「株式譲渡の手続きと必要書類|承認・契約・名義書換までの流れ」で解説しています。
買い手にとっての損得
株式譲渡が向く場面
- 許認可が事業の前提になっている——建設業、運送業、旅館業、医療・介護関連など、取り直しに時間や要件を要する業種
- 契約が多く、相手方の数が多い——一つひとつ同意を取ることが現実的でない
- 従業員が多い——個別同意による再雇用の手間が大きい
- 会社をそのまま残したい——屋号、実績、取引実績、許可番号などを維持したい
- 実行までの期間を短くしたい——手続きが比較的軽い
事業譲渡が向く場面
- 会社の一部だけが欲しい——複数の事業のうち一つだけを引き受けたい
- 過去のリスクを切り離したい——係争、税務上の論点、簿外の債務が懸念される
- 株主が分散している——株式を全部集められない、または所在不明の株主がいる
- のれんの税務上の取扱いを重視する——資産調整勘定として一定期間で損金算入できる取扱いがある
- 取引規模が小さい——調査の範囲を絞りたい
株主の状況は必ず確認する
株式譲渡を選ぶ場合、株式を確実に取得できるかが前提になります。名義株、相続によって分散した株式、所在の分からない株主、株券発行会社での株券の不所持——中小企業ではこうした論点が珍しくありません。整理に時間がかかる場合、事業譲渡や会社分割を選ぶ理由になります。
売り手との利害が食い違う理由
スキームの選択は、買い手の都合だけでは決まりません。売り手側の事情を理解しておくと、交渉の見通しが立ちます。
手取り額と課税の違い
株式を個人株主が譲渡する場合、譲渡益に対する課税は分離課税とされ、税率は20.315%(所得税15%、復興特別所得税0.315%、住民税5%)です。一方、事業譲渡は会社が資産を譲渡する取引であり、譲渡益は法人の所得として課税されます。売主個人が資金を手にするには、その後に配当や退職金といった形をとることになり、さらに課税が生じます。このため、個人株主にとっては株式譲渡のほうが手取りの面で有利になることが多く、事業譲渡には抵抗が生じやすくなります。
会社が残るかどうか
事業譲渡では、事業を譲った後に法人が残ります。清算の手続き、残った資産や負債の整理、従業員の退職手続きなど、売主に作業が残ります。承継を目的とする売主にとって、これは大きな負担です。
心情の問題
「会社ごと引き受けてもらえる」ことと「事業だけ買われる」ことでは、売主の受け止め方が違います。長年経営してきた会社が空箱になることに抵抗を感じる方もいます。
折り合いのつけ方
買い手がリスクの遮断を重視し、売り手が株式譲渡を望む場合、次のような調整が行われることがあります。譲渡前に不要な資産や係争を整理してもらう、表明保証と補償を厚くする、対価の一部を留保する、価格に反映させる——スキームを変えずにリスクを手当てする方法を検討する余地があります。
第三の選択肢と、決め方の順序
会社分割という方法
会社の一部の事業を、権利義務を包括的に承継させる形で切り出す方法です。契約の相手方の個別同意を要しない部分がある一方、債権者保護手続や労働契約承継法に基づく手続きなど、法定の手順を踏む必要があります。事業の一部だけを取得したいが、契約の移転が現実的でない場合に検討されます。仕組みは「会社分割とは|吸収分割・新設分割のM&A活用と手続きの流れ」をご覧ください。
決め方の順序
スキームは、次の順序で検討すると議論が整理されます。
- 1. 何を引き受けたいのか——会社全体か、一部の事業か
- 2. 引き継げないと困るものは何か——許認可、主要な契約、キーマン、屋号
- 3. 引き継ぎたくないものは何か——係争、不要資産、特定の負債
- 4. 手続きが現実的か——同意を取る相手の数、許認可の取得期間、株主の状況
- 5. 税務と資金の影響——消費税、登録免許税、不動産取得税、のれんの取扱い
- 6. 売り手が受け入れられるか——手取り、会社の存続、心情
1から4までで実質的にスキームは絞られることが多く、5と6は絞られた選択肢の調整に使います。逆に、税務上の有利不利から入ると、手続きが成り立たない結論に至ることがあります。
決めるタイミング
スキームは、意向表明の段階で想定を示し、デューデリジェンスの結果を踏まえて確定させるのが一般的です。調査で許認可や契約、株主の状況に問題が見つかれば、当初の想定を変更することもあります。変更は珍しいことではありませんので、意向表明では「現時点の想定」であることを明記しておきます。
まとめ|リスクの遮断と手続きの重さの交換
株式譲渡と事業譲渡の違いは、突き詰めれば「リスクを遮断できるか」と「手続きが重いか」の交換です。事業譲渡は引き受けるものを選べる代わりに、契約・従業員・許認可について一つひとつ手当てが必要になります。株式譲渡は手続きが軽い代わりに、会社が抱えるものをそのまま引き受けます。
したがって選択の基準は、その案件で何が怖いかによって決まります。過去の見えない負担が怖いなら事業譲渡、許認可や契約が切れることが怖いなら株式譲渡。両方が怖い場合は、株式譲渡を前提に調査を厚くし、契約で手当てするか、会社分割を含めて設計を練ることになります。
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