良い案件を見つけても、社内で決まらない。買い手企業からよく伺うのは、この悩みです。原因を辿ると、案件の内容ではなく、いつ・誰に・何を諮るかが決まっていないことに行き着きます。M&Aは相手のある話で、検討は待ってくれません。社内の決め方を先に設計しておくことが、案件を前に進める条件になります。
社内で止まる典型的な理由
止まり方には型があります。実務でよく見るのは次の3つです。
- 諮る時期が遅い——基本合意の直前にはじめて役員会に出し、そこで根本的な疑問が出て振り出しに戻る
- 諮る単位が大きすぎる——「買うか買わないか」だけを一度に問い、判断材料が揃わないまま結論を求めてしまう
- 情報を知る人が少なすぎる——秘密保持を理由に担当役員だけで抱え、他の役員が当日はじめて内容を知る
いずれも、慎重に進めようとした結果として起きます。秘密保持は当然必要ですが、必要な人にすら共有されていなければ、判断は遅れます。
逆に、決め方が整理されている会社は、案件が届いてから意向表明までを短い期間で進められます。売り手から見ると、意思決定の速さは価格と並ぶ評価項目です。この点は「買い手が自社をどう伝えるか|選ばれる買い手になるための情報開示」でも触れています。
決裁を3つの段階に分ける
一度に決めようとせず、段階に分けて諮ります。実務で扱いやすいのは次の3段です。
| 段階 | 諮る内容 | この時点で分かっていること |
|---|---|---|
| 検討着手 | この案件に時間と費用を使ってよいか | 業種・規模・地域・おおよその価格帯。詳細は未確認 |
| 意向表明 | この条件で相手に申し入れてよいか | 決算書・面談の内容・想定価格の幅・資金の目処 |
| 最終決定 | 調査結果を踏まえて契約してよいか | デューデリジェンスの結果・最終的な価格と条件 |
この3段に分ける利点は、各段で問うことが明確になることです。検討着手の段階で「本当に買うのか」を問うと、答えようがありません。逆に最終決定の段階で「そもそもこの業種でよいのか」が出てくると、それまでの費用が無駄になります。
段階ごとに決裁者を変えてもかまいません。検討着手は担当役員の判断、意向表明は役員会、最終決定は取締役会の決議、といった形です。ただし、どの段階を誰が決めるかは、案件が来る前に文書にしておきます。案件ごとに決め方を議論していては間に合いません。
役員会に出す資料に書くこと
資料は厚さではなく、判断に必要な項目が揃っているかで決まります。意向表明の段階で最低限そろえたいのは次の内容です。
- 対象会社の概要——事業、規模、拠点、従業員数、主要な取引先の構成
- 買う理由——自社のどの課題に、どう効くのか。既存事業との関係
- 価格と条件の案——金額の幅と、その根拠。支払方法
- 資金の手当て——自己資金と借入の内訳、調達の目処
- 買収後の体制——誰が対象会社を見るのか。既存業務との兼務は可能か
- 主なリスクと、現時点で分かっていないこと
最後の項目を必ず入れることをおすすめします。「分かっていないこと」を隠した資料は、後で必ず問題になります。むしろ未確認の点を明示し、「これはデューデリジェンスで確認する」と書いておくほうが、議論が前に進みます。
価格の根拠は、一つの数字ではなく幅で示すほうが実務に合います。幅で示す考え方は「買収価格をどう決めるか|投資回収の考え方」で整理しています。
反対意見をどう扱うか
買収に慎重な意見は、必ず出ます。多くは「なぜ自社でやらずに買うのか」「買った後は誰が見るのか」「失敗したらどうするのか」の3つに集約されます。
自社でやる案との比較を用意する
買収は手段の一つで、自社で立ち上げる選択肢と並べて比べるものです。時間・費用・人の三つで並べた比較があると、議論が感情論になりません。この比較の考え方は「新規事業参入の手段としてのM&A|自社開発との比較と判断軸」で扱っています。
見る人を先に決める
「買った後は誰が見るのか」は、実質的に最も重い問いです。ここが空白のまま進めた買収は、統合が滞ります。資料の段階で候補者を名指しし、その人の現在の業務をどう減らすかまで書いておくと、議論の質が変わります。
撤退の条件を先に言葉にする
「失敗したらどうするのか」に対しては、撤退の条件をあらかじめ示します。調査の段階で何が出てきたら降りるのか、契約前のどこまでなら引き返せるのか。これを先に言っておくと、慎重派の役員も検討に賛成しやすくなります。判断材料は「DDで問題が見つかったとき|価格調整・補償・撤退の判断」もご参照ください。
秘密保持と、情報を知る人の範囲
社内合意と秘密保持は、しばしば対立します。両立させるには、範囲を段階で広げる設計にします。
検討着手の段階では、社名を伏せた概要だけで諮ることができます。業種・規模・地域・おおよその価格帯が分かれば、時間と費用を使う価値があるかは判断できます。社名や詳細な資料を共有するのは、意向表明を検討する段階からで足ります。
共有する人を増やすときは、誰に何を渡したかを記録しておきます。秘密保持契約では、情報を共有できる範囲が定められているのが通常で、範囲外への共有は契約違反になり得ます。秘密保持の実務は「M&Aの秘密保持|情報漏洩を防ぐノンネーム・NDAの実務」をご覧ください。
議事録の書き方に注意する
役員会の議事録は、閲覧される可能性のある文書です。案件が特定される記載を避けるため、検討段階では「甲案件」のような呼称を用い、社名や地域を議事録に残さない運用をとる会社もあります。どこまで記録に残すかは、自社の管理体制に合わせて、あらかじめ決めておきます。
まとめ|決め方を先に決めておく
買収を社内で通すコツは、良い案件を持ってくることではありません。案件が来る前に、決め方を決めておくことです。段階を3つに分け、各段の決裁者と、その段で問うことを文書にする。資料には「分かっていないこと」まで書く。撤退の条件を先に示す。これだけで、案件が届いてからの動きがまったく変わります。
そして、社内の合意形成は、実は相手にも伝わります。「決めるまでにどのくらいかかりますか」という売り手側の問いに具体的に答えられる買い手は、それだけで信頼されます。決め方の設計は、社内のためであると同時に、相手に対する誠実さでもあります。
当社では、買収をご検討の企業さまのご相談を成功報酬型で承っており、相談料・着手金・月額報酬はいただいておりません。社内の進め方のご相談にも対応しています。買い手の方向けのご案内は「買収をお考えの方へ」にまとめています。