長年育ててこられた会社を譲渡する。その年は、経営者様の人生において、所得が一時的に大きく跳ね上がる特別な一年になります。ふだんは役員報酬という安定した所得で暮らしてこられた方が、突然、桁の異なる金額を受け取る。この変化は、税金だけでなく、所得を基準として動くさまざまな制度に影響を及ぼし得ます。
本稿では、会社売却の年に何が起きるのかを、制度の仕組みという一般論のレベルで整理します。あらかじめお断りしておきますが、本稿は具体的な節税手法をご案内するものではありません。株式の譲渡は金額が大きく、個別事情の差も大きいため、実際の判断は必ず税理士にご相談いただく必要があります。本稿の役割は、「何を税理士に聞くべきか」を整理していただくことにあります。
会社を売った年は「所得が跳ねる年」になる
会社の株式を譲渡すると、その対価は個人株主であるオーナー経営者に入ります。金額は、多くの場合、その方が長年にわたって受け取ってきた年間の役員報酬をはるかに上回ります。
ここで生じるのが、「一年だけ、所得のかたちがまったく変わる」という状況です。しかも、その年に会社を退任されるのであれば、翌年以降は役員報酬もなくなります。つまり、譲渡の年を頂点として、その前後で所得の姿が大きく変わるわけです。
この変化を「ラッキーな年」として何となく過ごしてしまうと、翌年に納税や各種の負担が想定外の形で訪れることがあります。会社売却の税金を考えるうえで最初に持つべき視点は、節税の技術ではなく、「この年は所得の性質が変わる年であり、影響が及ぶ範囲を先に把握しておく」という姿勢です。
株式の譲渡所得は申告分離課税|他の所得と分けて計算される
まず押さえるべき基本は、株式の譲渡による所得が申告分離課税とされていることです。これは、給与所得・事業所得・不動産所得といった他の所得と合算せず、分けて税額を計算する方式です。
税率は次のとおりです。
| 区分 | 税率 |
|---|---|
| 所得税 | 15% |
| 復興特別所得税 | 0.315% |
| 住民税 | 5% |
| 合計 | 20.315% |
分離課税であることの意味は、実務上とても大きなものです。総合課税であれば、所得が増えるほど高い税率が適用される累進の仕組みが働きます。しかし株式の譲渡所得は分離されているため、金額が大きくなっても、それによって給与所得側の税率が押し上げられるという関係にはありません。この点は、会社売却を検討される経営者様が最初に安心される部分でもあります。
もっとも、税額の計算に用いる「譲渡所得」は、受け取った金額そのものではありません。譲渡の対価から、株式の取得費と譲渡に要した費用を差し引いた金額が課税の対象になります。この取得費をいくらとして計算できるかは、税額を左右する重要な要素です。創業時の出資額、その後の増資、相続や贈与で取得した株式など、経緯によって扱いが異なるため、資料の確認が欠かせません。譲渡益課税の基本は「M&Aにかかる税金」、申告の実務は「会社売却後の確定申告」でも解説しています。
分離課税でも、影響が及び得る領域がある
「分離課税だから、他には何も影響しない」——そう理解してしまうと、思わぬ見落としが生じます。実際には、分離課税の所得であっても、他の制度の判定に組み込まれる場面があります。
住民税と、住民税を基準とする制度
株式の譲渡所得には住民税も課されます。そして住民税の額は、さまざまな制度の判定基準として使われています。たとえばふるさと納税の控除上限額は住民税の所得割額をもとに計算される仕組みですから、譲渡所得が生じた年は、上限額の考え方が通常の年と異なり得ます。
ここで強調しておきたいのは、「上限が上がるはずだから多めに寄附しよう」と自己判断で動かないことです。実際の上限額は所得の内訳、各種の控除、お住まいの自治体によって変わります。必ず税理士や自治体の案内で確認したうえで判断してください。
社会保険料・各種の所得基準
国民健康保険料や介護保険料の算定、医療費の自己負担割合の判定、各種の給付や助成の所得要件など、所得を基準として動く制度は数多く存在します。これらの制度が分離課税の所得をどう扱うかは制度ごとに異なります。該当し得るものがあるかどうかは、ご自身の状況に即して確認が必要です。
きわめて高額な所得がある場合の追加的な課税
所得が極端に大きい場合について、追加的な税負担を求める仕組みが設けられています。対象となるかどうかは金額の水準によりますが、大型の譲渡ではこの論点が生じ得ます。詳細は「ミニマムタックスとM&A」でご確認ください。
これらはいずれも、「該当するかどうか」の判定を伴う話です。だからこそ、一般論で結論を出さず、ご自身の数字を持って専門家に確認することが必要になります。
「対策」を考える前に確認すべき順序
税金の話になると、多くの方がすぐ「どうすれば減らせるか」に関心を向けられます。しかし実務では、その前に確認しておくべきことがあります。順序を整理すると、次のようになります。
- 1. 所得がどの年に帰属するか——契約の締結、株式の引渡し、代金の受領が年をまたぐ場合、所得がどの年のものになるかで申告の年が変わります。これは契約条件と密接に関係するため、契約が固まる前に確認すべき論点です
- 2. 取得費をどう立証するか——株式をいくらで取得したかを示す資料が必要です。創業からの経緯が古いほど、資料の確認に時間がかかります
- 3. 対価の受け取り方をどう設計するか——一括で受け取るのか、分割や条件付きの部分があるのか。設計によって課税の時期や扱いが変わり得ます
- 4. 退任に伴う金銭の扱い——役員を退任される場合、退職慰労金の支給が検討されることがあります。株式の対価とは所得の区分が異なり、会社側の損金算入にも要件があります。金額の妥当性を含め、税理士の検討が不可欠な領域です
- 5. その年以降の生活設計——納税の資金をいつ用意するか、翌年以降の所得はどうなるか。手取りだけでなく、キャッシュフローの時間軸で考えます
お気づきのとおり、これらの多くは契約が固まる前でなければ動かせないものです。譲渡が完了してから税理士に相談しても、選べる選択肢はすでに限られています。「税金の相談は決まってから」ではなく、「条件を検討している段階で並行して」が正しい進め方です。
やりがちな失敗と、避けるべき考え方
これまでのご相談のなかで、注意を要すると感じた考え方をいくつか挙げておきます。
「節税」を目的化してしまう
税負担を抑えたいというお気持ちは自然なものです。しかし、税務上の効果だけを目的として不自然な取引を組み立てれば、後の税務調査で否認されるリスクを負います。行為の目的が税負担の軽減だけであると見られる取引は、それ自体が指摘の対象になり得ます。事業上の合理性がある行為なのかという視点は、常に持っておくべきです。M&A後の税務調査については「M&A後の税務調査」もご参照ください。
インターネットの情報をそのまま当てはめる
税制は毎年のように改正されます。数年前の記事に書かれていた制度が、現在も同じ内容とは限りません。また、記事に書かれた前提(株主の構成、株式の取得経緯、法人か個人か)がご自身と異なれば、結論も変わります。情報は仮説として持ち、判断は専門家に委ねるという使い分けが安全です。
納税資金を使ってしまう
譲渡代金は、そのすべてが手元に残るわけではありません。譲渡所得に対する納税は申告の時期に行うことになり、代金の入金からは時間が空きます。その間に資金を使ってしまい、納税時に慌てるという事態は避けなければなりません。入金の直後に、納税分を別の口座に分けておく——単純ですが、実務ではこれが有効です。
顧問税理士に相談しないまま進める
「顧問税理士に相談すると、M&Aを検討していることが漏れるのではないか」というご懸念を伺うことがあります。しかし税理士には守秘義務があり、また会社の数字を最もよく知る存在でもあります。秘密保持の枠組みを整えたうえで、早い段階で相談されることをおすすめします。税務面の検証の観点は「税務デューデリジェンス」でも触れています。
まとめ|税理士に相談する時期が、結論を左右する
会社を売却した年は、所得が跳ねる特別な年です。株式の譲渡所得は申告分離課税として他の所得と分けて計算され、税率は20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)です。分離されているとはいえ、住民税を基準とする制度や、所得を要件とする各種の仕組みには影響が及び得ます。
そして最も大切なことは、相談の時期です。所得がどの年に帰属するか、対価をどう受け取るか、退職慰労金をどう位置づけるか——これらは契約条件と一体であり、譲渡が終わってからでは動かせません。条件を検討している段階から、税理士を交えて進めてください。
当社は仲介会社であり、税務代理や税務相談を行う立場にはありません。だからこそ、顧問税理士の関与を歓迎し、必要に応じてM&Aの税務に明るい税理士のご紹介も承っています。譲渡の条件を検討する場に、税理士の視点が入っていること。それが、経営者様が納得して意思決定をするための、最も確実な備えだと考えています。