M&Aは、クロージング(決済・実行)で終わりではありません。株式を譲渡した年分の確定申告、対象会社の決算、買い手法人の会計処理と、税務上の手続きはその後も続きます。そして、それらの申告について後日税務調査で説明を求められる場面があります。M&Aは会社にとっても個人にとっても金額の大きな取引ですから、通常の期の申告に比べて確認される項目が増えるのは自然なことです。
ここで押さえておきたいのは、税務調査は「不正を暴くための手続き」ではなく、申告内容の根拠を確認する手続きだという点です。M&Aに関わる論点の多くは、金額そのものが誤っているというより、その金額をどう決めたのかを説明できるかどうかが問われます。本稿では、M&Aの後に確認されやすい代表的な論点と、売り手(個人・法人)・買い手(買収法人)それぞれの備え方を整理します。
M&Aの後、税務当局は何を見るのか
M&A後の税務上の確認事項は、大きく三つの当事者に分かれます。①株式を譲渡したオーナー個人、②譲渡された対象会社そのもの、③株式や事業を取得した買い手法人です。同じ一つの取引でも、それぞれの申告で問われる論点は異なります。
| 立場 | 関係する申告 | 確認されやすい論点 |
|---|---|---|
| 売り手(オーナー個人) | 譲渡年分の所得税・住民税の確定申告 | 譲渡価格の妥当性、取得費の根拠、譲渡費用の範囲、譲渡の時期 |
| 売り手(法人が株主の場合) | 譲渡事業年度の法人税 | 譲渡損益の計上時期と金額、関係会社間の価格設定 |
| 対象会社 | 譲渡前後の事業年度の法人税・消費税等 | 役員退職金、名義株・役員貸付の整理、売上・費用の期ズレ、M&A関連費用の取り扱い |
| 買い手(買収法人) | 取得事業年度以降の法人税 | 株式の取得価額に含める費用、のれん(資産調整勘定)の計上と償却、買収後の対象会社の処理 |
つまり、売り手が「会社を手放したのだから自分には関係ない」と考えるのは誤りで、譲渡した本人の申告について説明を求められる可能性は残ります。一方で買い手も、買収前の期間の処理について、対象会社の立場で説明を引き受けることになります。M&Aの税務は、クロージングで当事者から切り離されるものではないのです。
論点1|株式の譲渡価格の妥当性
最も基本かつ重要な論点が、株式をいくらで売買したのか、その価格は合理的かという点です。上場していない中小企業の株式には市場価格がないため、価格は当事者の交渉で決まります。だからこそ、その価格の根拠が問われます。
第三者間の取引か、関係者間の取引か
相手が資本関係も親族関係もない純然たる第三者で、複数の候補と比較検討したうえで交渉によって決まった価格であれば、それ自体が価格の合理性を支える有力な事実になります。仲介会社が関与し、企業価値算定を行い、意向表明書・基本合意・最終契約と段階を踏んでいれば、価格形成の過程を客観的に示すことができます。
逆に注意が必要なのは、親族間・グループ会社間・役員への譲渡など、関係者間で株式を移動させるケースです。この場合、価格が著しく低い、あるいは高いと、単なる売買ではなく贈与や役員給与などと同様の経済的利益の移転とみられる可能性が出てきます。関係者間の株式移動を伴うスキームでは、必ず事前に税理士の関与を得てください。
取得費と譲渡費用
個人が株式を譲渡した場合、譲渡所得は「譲渡収入 − 取得費 − 譲渡費用」で計算され、株式譲渡益課税20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)の申告分離課税となります。ここで論点になりやすいのが取得費です。創業から長い年月が経っている会社では、設立時の払込みや過去の増資・株式の買い集めを示す資料が残っていないことが少なくありません。取得費の根拠資料は、譲渡が決まってから探すのではなく、検討段階で確認しておくべき項目です。税金の計算の考え方は「会社売却にかかる税金」、申告の実務は「会社売却後の確定申告」で詳しく解説しています。
論点2|役員退職金の相当性
オーナー経営者のM&Aでは、譲渡対価の一部を役員退職金として受け取る設計がとられることがあります。これは会社側では損金、受け取る側では退職所得として扱われるため、当事者双方にとって意味のある選択肢ですが、同時に税務調査で確認されやすい代表的な項目でもあります。
確認されるのは、主に次の二点です。
- 金額が「不相当に高額」ではないか:在任期間、退職の事情、その役員が会社に果たした役割や貢献、同種・同規模の会社の水準といった要素から、金額の相当性が検討されます
- 手続きが適正に踏まれているか:株主総会の決議、役員退職慰労金規程との整合、支給時期、議事録の記載など、形式面も確認の対象です
また、実質的に退職したといえるかという点も重要です。退職金を支給した後も、以前と変わらない立場で経営に関与し続けている場合、退職の事実そのものが問われることがあります。M&A後に前オーナーが引継ぎのため一定期間残るケースは実務上よくありますが、役職・権限・報酬水準がどう変わるのかを最終契約と社内規程の両面で整理し、記録に残しておくことが備えになります。設計の考え方は「役員退職金を活用した会社売却の手取り最適化」をご覧ください。
論点3|のれん(資産調整勘定)・名義株・役員貸付・期ズレ
のれん(資産調整勘定)の扱い
買い手側で論点になりやすいのが、のれんの税務上の扱いです。ここは会計と税務で扱いが異なるため、混同しやすいところです。
株式譲渡によって会社を取得した場合、買い手法人の個別の申告上は子会社株式(有価証券)を取得したにすぎず、税務上ののれんは生じません。買収価額が純資産を上回る部分は、あくまで株式の取得価額の一部です。
一方、事業譲渡や非適格の組織再編によって事業そのものを取得した場合には、移転を受けた資産・負債の価額と支払対価との差額が、税務上資産調整勘定(いわゆる税務上ののれん)として計上され、一定期間にわたって均等に損金へ算入されていきます。この場合、個々の資産の評価と対価の配分が妥当か、対価の内訳が契約書と整合しているかが確認の対象になります。また事業譲渡では、移転資産のうち課税対象となるものについて消費税(標準税率10%)の処理も伴うため、課税・非課税の区分も含めて整理が必要です。スキームによる違いは「資産調整勘定(税務上ののれん)」で解説しています。
名義株・役員貸付金の整理
M&Aの前に行う整理として代表的なのが、名義株と役員貸付金です。
名義株は、実際の出資者と株主名簿上の名義人が異なる株式で、旧商法下で発起人の頭数を揃えるために親族・知人の名義を借りたケースなどに残っています。M&Aでは株主を確定させる必要があるため整理が必須ですが、その整理の方法によって課税関係が変わります。「もともと実質的にオーナーのものだった」と確認するのか、名義人から買い取るのか、贈与を受けるのかで扱いは異なり、後日その経緯を説明できるかが問われます。名義株の論点は「名義株の整理」にまとめています。
役員貸付金(会社から社長への貸付)も、買い手が敬遠しやすいため、譲渡前に解消を図ることが多い項目です。ここでも解消の方法が論点になります。返済するのか、役員退職金と相殺するのか、債権を放棄するのかで、法人側・個人側それぞれの取り扱いが変わります。処理の選択については「役員貸付金・役員借入金の整理」をご参照ください。
期ズレ(計上時期のずれ)
見落とされやすいのが、売上・費用をどの事業年度に計上するかという論点です。M&Aでは譲渡日を境に経営体制が切り替わり、経理の担当者や運用ルールが変わることも珍しくありません。そのため、次のような場面で計上時期のずれが起きやすくなります。
- クロージング日をまたぐ工事・役務提供・出荷の売上計上時期
- アドバイザリー費用・仲介手数料・弁護士費用などM&A関連費用の帰属(どちらの当事者の、どの期の費用か)
- 買い手側で株式の取得価額に含めるべき費用と、その期の損金にできる費用の区分
- 役員報酬の改定時期、賞与・未払費用の計上
期ズレは、最終的な税額そのものより「どの期に計上するか」の誤りであることが多い論点ですが、指摘されれば修正の手間がかかります。契約書上の効力発生日・危険負担の移転時期を経理担当者と共有し、クロージング前後の処理方針を書面で決めておくことが有効です。契約書の役割は「意向表明書・基本合意書・最終契約書」で整理しています。
売り手・買い手それぞれが備えること
売り手が備えること
- 価格の根拠を残す:企業価値算定の資料、複数候補との交渉経過、意向表明書から最終契約に至る書面一式を、譲渡後も個人の手元に控えとして保管する
- 取得費の資料を確保する:設立時の出資、過去の増資、他の株主からの買い取りに関する資料は、会社に置いたままにせず控えを取る
- 退職金の手続きを完結させる:株主総会議事録、規程、支給の記録、そして退職後の関与の実態がわかる資料を揃える
- 事前整理の経緯を書面化する:名義株や役員貸付を整理した場合、その方法と理由、合意内容を書面で残す
- 顧問税理士との関係を維持する:会社の顧問契約は買い手に引き継がれることが多いため、個人の申告を誰に見てもらうかを譲渡前に決めておく
買い手が備えること
- 税務デューデリジェンスで論点を把握する:買収前の期間の処理は買収後の会社が説明することになるため、事前に洗い出しておく(「税務デューデリジェンスとは」参照)
- 契約でリスクを分担する:表明保証や特別補償によって、後日リスクが現実化した場合の負担を定めておく
- 過去資料を確実に引き継ぐ:申告書、総勘定元帳、契約書、議事録、税務調査の記録などを、引き継ぎリストに沿って受領し、保管責任者を決める
- 取得価額の内訳を整理する:買収に要した費用のうち、株式の取得価額に含めるものと期間費用にするものを、支出の都度区分して記録する
- PMIで経理ルールを揃える:計上基準や締めのタイミングを早期に統一し、期ズレの芽を摘む
まとめ|「説明できる状態」で残しておく
M&A後の税務対応の要点を整理します。
- M&Aは金額の大きな取引であり、売り手個人・対象会社・買い手法人のそれぞれの申告で確認される論点がある
- 中心となるのは株式の譲渡価格の妥当性と役員退職金の相当性。いずれも金額の当否より決定の過程を説明できるかが問われる
- 買い手側ではのれん(資産調整勘定)の扱いが論点。株式譲渡では税務上ののれんは生じず、事業譲渡等では資産調整勘定として計上され一定期間で均等に損金算入される
- 名義株・役員貸付の整理は、整理したこと自体より整理の方法と経緯が問われる
- クロージングをまたぐ期ズレは、契約上の日付と経理処理の方針を事前に共有しておくことで防げる
- 最大の備えは、資料を保存し、後から第三者に説明できる状態にしておくこと。特に売り手は、会社を離れた後に手元に何も残っていない事態を避ける
M&Aの税務は、譲渡の直前に慌てて整えられるものではありません。名義株や役員貸付の整理、取得費の資料の確認、退職金の設計といった論点は、検討を始めた早い段階から顧問税理士と並走して進めるのが結果的に最も負担の少ない進め方です。
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