オーナー企業では、会社と個人の境目が曖昧になりやすいものです。社長の自宅を社宅として借り上げている、私用にも使う車を会社名義で保有している、経営者を被保険者とする生命保険料を会社が負担している、ご家族が役員として名を連ねている——いずれもよくある形です。これらは会社の経費として計上され、そのぶん利益は小さく見えます。M&Aの評価では、この「実態は事業に必要でない支出」を調整して本来の収益力を測ります。本稿では、どこまでが調整の対象となるのか、そして売却前に何を整理すべきかを整理します。
なぜ私的な支出が評価の論点になるのか
買い手が知りたいのは、自分がこの会社を経営したとき、いくらの利益が残るかです。現経営者様の私生活に紐づく支出は、経営者が交代すれば発生しなくなります。したがって、その分は利益に足し戻して考えるのが合理的です。この調整後の利益を「実質利益」や「正常収益力」と呼びます(実質利益(正常収益力)とは)。
この調整は、売り手にとって有利に働く可能性があります。決算書上の利益が小さくても、調整によって収益力が大きく見えることがあるからです。特に中小企業では、節税の観点から利益を抑える経営が長年続いていることも多く、その分の調整余地は小さくありません。
ただし、調整は「主張すれば通る」ものではありません。買い手が納得できる根拠を示せて初めて、価格の議論に乗ります。
典型的な項目|社宅・車両・保険・交際費・家族名義
| 項目 | ありがちな形 | 評価上の論点 |
|---|---|---|
| 社宅・住宅 | 経営者やご家族の住居を会社が借り上げ・保有 | 事業に必要か。譲渡対象に含めるか切り離すか |
| 車両 | 私用中心の高級車、家族名義の使用 | 事業用途の実態。譲渡前に個人へ移すか |
| 生命保険 | 経営者を被保険者とする保険料の負担 | 解約返戻金の扱い、契約者変更の可否 |
| 交際費 | 事業関係とそれ以外が混在 | 取引に必要な部分と私的な部分の区分 |
| 家族の役員報酬 | 実務に関与していない親族への支給 | 職務の実態があるか(家族従業員の給与) |
| 別荘・会員権等 | 保養所名目の不動産、ゴルフ会員権 | 事業への貢献。非事業用資産として切り離す対象か |
いずれも「あってはならないもの」ではありません。適法に処理されている限り、経営の一形態です。M&Aで問題になるのは、それが整理されないまま買い手に引き継がれること、そして説明できないことです。
足し戻せるもの・足し戻せないもの|線引きは「根拠」
調整が認められるかどうかを分けるのは、次の三つの条件です。
- 事業との関連が薄いことを客観的に示せるか——用途、使用者、頻度などが資料で説明できるか
- 経営者交代後に確実になくなる支出か——買い手が経営しても同じ支出が続くなら、足し戻せない
- 金額が特定できるか——「だいたいこれくらい」では調整の対象になりにくい
足し戻しが通りやすい例
実務に関与していない親族への役員報酬、経営者専用の車両に係る費用、私的利用が明確な保養施設の維持費、経営者個人を受取人とする保険の保険料など、支出の相手方と用途が特定できるものです。
足し戻しが難しい例
交際費のうち取引先との関係維持に使われている部分、経営者が実際に担っている職務に対応する報酬部分、事業運営に必要な車両費など、経営者が代わっても同種の支出が必要になるものです。「社長の報酬を全額足し戻す」という主張は通らず、後任者に相応の報酬が必要である以上、その水準は差し引いて考えられます(役員報酬をどうするか)。
また、金額が大きいほど、買い手は根拠資料を求めます。総勘定元帳、契約書、使用実態が分かる資料をそろえておくことが、調整を通すための前提になります。
売却前に整理すべきもの、急いで動かないほうがよいもの
整理を進めておきたいもの
- 経理と私費の区分——今期以降は事業に関係のない支出を会社から切り離し、決算書を「そのまま説明できる」状態に近づける
- 非事業用資産の把握——社宅、別荘、会員権、投資有価証券などを一覧化し、譲渡対象に含めるか切り離すかの方針を決める
- 契約関係の確認——保険契約の契約者・受取人、車両のリース契約、不動産の賃貸借契約の名義と条件
- 家族の関与状況の整理——役員・従業員としての職務内容と支給額の実態を明確にする
自己判断で急いで動かないほうがよいもの
一方で、資産を会社から個人へ移す、保険を解約する、名義を変更するといった行為は、税務上の影響を伴います。売却の直前に大きな資産移動を行うと、その処理自体が買収監査で論点となり、かえって疑念を招くこともあります。
また、非事業用資産は「必ず切り離すべきもの」とも限りません。買い手が社宅や車両を引き継いで活用する意向を持つこともあり、切り離しの要否は相手が決まってから判断したほうが合理的なケースもあります。順序としては、まず一覧化と実態把握、方針決定は譲渡設計とセットでが原則です。
まとめ|「隠す」ではなく「説明できる」状態に
- 私的な支出は、経営者交代でなくなる分だけ利益に足し戻して評価される
- 足し戻しが通るかは「関連の薄さ・交代後の消滅・金額の特定」の三点で決まる
- 経理と私費の区分、非事業用資産の一覧化は早めに着手する価値がある
- 資産の移動や保険の解約は税務の影響を伴う。自己判断での直前操作は避ける
私的な支出があること自体は、中小企業では珍しいことではなく、買い手も織り込んで検討します。問題になるのは、実態が把握されていないこと、説明資料がないこと、そして直前に不自然な動きがあることです。逆に言えば、整理して説明できる状態にしておくだけで、評価は目に見えて安定します。
当社プラチナパートナーズでは、無料相談の中で、決算書のどこに調整余地があるかを一緒に確認し、資料の整え方をご案内しています。売却を決める前の段階でも歓迎ですので、お気軽にご相談ください。