中小企業では、役員報酬は「いくらもらうか」ではなく「会社にいくら残すか」の裏返しとして決められてきました。税負担、社会保険料、生活費、そして会社の資金繰り——さまざまな事情を勘案して、経営者様ご自身の判断で決めておられるのが実情です。ところが、会社を譲る場面になると、この役員報酬が評価の論点として浮上します。「売却前に報酬を下げて利益を大きく見せたほうがよいのか」というご質問もよくいただきます。本稿では、買い手が役員報酬をどう扱うのかという仕組みから、見直しの考え方を整理します。
役員報酬は、そのままでは評価に使われない
結論から申し上げると、買い手は決算書の営業利益をそのまま使いません。中小企業の決算には、経営者様の判断で決まっている費用が含まれているため、それを実態に引き直したうえで「この会社が本来生み出している利益はいくらか」を算定します。これを正常収益力、あるいは実質利益と呼びます。
したがって、売却の直前に役員報酬を下げても、その分だけ評価が上がるわけではありません。買い手は「報酬が下がった理由」を確認し、下げた分を戻して考えるのが通常です。むしろ、直前期だけ不自然に報酬を下げていると、決算内容の信頼性そのものを疑われかねません。
逆に、報酬が高いままだと利益が小さく見えて損をするのか、といえば、それも違います。買い手は高すぎる部分を加算して評価します。つまり、報酬の水準は「調整される前提」で見られているのです。
この考え方の全体像は「実質利益(正常収益力)とは」で解説していますので、あわせてご覧ください。
買い手はどう調整して「実力の利益」を見るのか
実務では、次のような項目が調整の対象になります。
| 調整の対象 | 買い手の考え方 |
|---|---|
| 役員報酬 | 経営者が退任した後、その役割を担う人に支払う報酬はいくらか、という水準に置き換えて考える。 |
| 親族役員・従業員の報酬 | 実際の職務内容に見合っているか。勤務実態が乏しい場合は費用を除いて考える。 |
| 役員保険料 | 事業の運営に必須でない部分は、費用から除いて考える。 |
| 個人所有不動産の地代家賃 | 相場と比べて高い・低い場合、相場水準に引き直す。 |
| 交際費・車両費等 | 私的な性格が強い支出は、費用から除いて考える。 |
| 一時的な損益 | 資産の売却益、保険の解約返戻金、特別な補助金などは、経常的な利益から除く。 |
ここで重要なのは、役員報酬の調整が「ゼロにする」ことではない、という点です。経営者様が担ってこられた職務を、譲渡後は誰かが担うことになります。買い手が後任として人を置くなら、その人件費が必要です。したがって、調整後の利益は「経営者の報酬をすべて足し戻した利益」ではなく、「後任にかかる相応の人件費を引いた利益」になります。
この点は、売り手と買い手の見解が分かれやすい部分です。経営者様が営業も技術も資金繰りもすべて担っている場合、後任は一人では務まらず、複数名の採用が必要になることもあります。その分は利益から引かれます。逆に、既に組織で回っており、経営者様の職務が限定的であれば、引かれる金額は小さくなります。
報酬が高すぎる場合・低すぎる場合、それぞれの論点
報酬が高い場合
会社の利益をほぼすべて役員報酬として受け取り、法人の利益はわずか、という会社は少なくありません。この場合、決算書上の利益は小さくても、調整後の実質利益は大きくなります。買い手も理解している構造ですから、心配は不要です。
ただし、注意点があります。役員報酬が高い状態が続くと、法人に利益が蓄積されず、純資産が小さくなります。純資産をもとにした評価の考え方を併用する場面では、この点が影響することがあります。また、報酬として受け取った資金が個人に移っている分、会社に残る現預金は少なくなります。
報酬が低い場合
逆に、報酬を抑えて法人に利益を残してきた会社では、決算書上の利益は大きく見えます。しかしこの場合、買い手は「後任の人件費」を引いて考えますから、その分だけ評価上の利益は下がります。「利益が出ているのに評価が思ったより低い」と感じる背景には、この調整があります。
もうひとつ、報酬が低い場合には、役員退職金の算定に影響することがあります。退職金の適正額は、最終の報酬月額や在任年数などを用いて説明されることが多いためです。譲渡の直前に報酬を大きく下げると、退職金の水準にも影響しうるという点は、あらかじめ念頭に置いておくべきです。詳しくは「役員退職金を活用した会社売却」をご覧ください。
見直すときの実務上の注意点
そのうえで、役員報酬を見直すこと自体が有効な場面はあります。たとえば、実態と乖離した報酬設定になっている場合や、勤務実態のない親族に報酬が支払われている場合です。こうした状態は、デューデリジェンスで必ず論点になりますから、譲渡の1〜2年前から整理しておくほうが、説明が容易になります。
見直しにあたっては、次の点にご注意ください。
- 変更の時期に制約があります。法人税法上、役員給与を損金に算入するための要件として、定期同額給与などの取り扱いが定められており、事業年度の途中での変更には一定の制約があるとされています。原則として事業年度開始から一定期間内の改定が想定されているため、思い立ったときにすぐ変更できるとは限りません。
- 社会保険料に影響します。報酬の変更は、標準報酬月額を通じて社会保険料に影響します。会社の負担と個人の手取りの双方が変わるため、総合的に見る必要があります。
- 説明できる理由が必要です。変更する場合は、その理由を説明できるようにしておきます。「職務内容が変わったため」「実態に合わせたため」といった合理的な理由があれば、買い手も納得します。
- 直前期の操作は避けます。譲渡交渉が始まってから数字を動かすことは、信頼を損なう行為です。買い手は過去数期の推移を見ますから、直近だけ変わっていれば必ず気づきます。
役員退職金・保険・親族への報酬との関係
役員報酬の議論は、単独ではなく、周辺の論点とあわせて考える必要があります。
役員退職金は、譲渡の際に検討されることの多い論点です。譲渡対価の一部を退職金として受け取る設計が採られる場合があり、税負担の観点から検討されます。ただし、退職金の額が適正かどうか、支給の手続が適切かといった点は税務上の論点になりますので、必ず顧問税理士と設計してください。
役員保険については、契約者・被保険者・受取人の関係と、解約返戻金の状況が確認されます。譲渡に伴い契約を個人に移すのか、会社に残すのかは交渉事項になります。
親族への報酬は、実態の確認が必要です。実際に業務に従事していない方に報酬が支払われている場合、買い手は費用から除いて利益を見ますし、譲渡後はその支払いが止まることを前提にします。ご家族の生活に影響する場合もありますので、早めに整理と話し合いをしておくべき部分です。
役員借入金・貸付金も、あわせて確認しておきたい項目です。会社から経営者様への貸付が残っている場合、譲渡までに精算するのが通常です。詳しくは「役員借入金・役員貸付金がある会社の売却」で解説しています。
役員報酬の改定時期、損金算入の要件、退職金の適正額、社会保険の取り扱いは、いずれも個別の事情と制度の内容によって判断が異なります。実行前に顧問税理士・社会保険労務士等の専門家に必ずご確認ください。
まとめ|数字を操作するのではなく、実態を説明する
売却を見据えた役員報酬の考え方は、「どう見せるか」ではなく「どう説明するか」に尽きます。買い手は必ず調整して実力の利益を見ますから、直前の操作は効果がないばかりか、信頼を損ないます。
むしろ有効なのは、報酬・保険・地代・親族の給与といった経営者様に関わる費用を洗い出し、「これらは譲渡後には不要になる」「この部分は後任の人件費として必要になる」と整理して示すことです。この整理ができている会社は、交渉が速く、価格の合意にも至りやすくなります。
当社プラチナパートナーズは、中小企業の事業承継・会社売却をご支援しています。相談料・着手金・月額報酬は0円です。実質利益の整理や、譲渡を見据えた報酬・退職金の設計についても、顧問税理士と連携しながら初期段階からご相談いただけます。