長年堅実に利益を積み上げてきた会社では、借入がほとんどなく、現預金が厚く積み上がっていることがあります。「この現金は、売却価格に上乗せされるのか」「売る前に配当で受け取ったほうがよいのか」——現預金が多い会社の売却では、必ずこの論点が出てきます。本稿では、現預金がM&Aの評価でどう扱われ、余剰資金をどう整理するのが合理的かを、実務の観点から整理します。

現預金は評価にどう効くのか

企業価値評価の基本構造では、株式価値は事業価値から純有利子負債を差し引いた金額として求められます。ここでいう純有利子負債とは、借入から現預金等を差し引いた実質的な借入残高です。したがって、借入より現預金のほうが多い会社では、この差し引きがマイナス、すなわち現預金の超過分が株式価値に加算されるという関係になります。

ただし、加算されるのは「事業に必要のない現預金」に限られる、というのが実務の考え方です。事業を回すために手元に置いておかなければならない資金は、いわば事業の一部であり、抜き取れば事業が回らなくなります。この切り分けが、現預金が多い会社の評価における最大の論点です。借入側の考え方は「借入金が多い会社の評価」で解説しています。

事業に必要な運転資金と、余剰資金の切り分け

では、いくらまでが「必要」で、いくらからが「余剰」なのでしょうか。決まった基準はありませんが、買い手は次のような観点から判断します。

  • 資金繰りの波——月次の入出金にどれだけの振れ幅があるか。賞与や納税、季節性のある仕入など、一時的に大きく出ていく月に耐えられる残高か
  • 売掛と買掛のずれ——入金より支払が先行する事業では、その差額を埋める資金が常に必要になる
  • 取引や入札の要件——一定の自己資本や資金力が取引条件になっている業種では、残高そのものが事業の前提になる
  • 近い将来の確定的な支出——決定済みの設備更新や、支給が予定される退職金など

これらを踏まえて必要額を見積もり、それを超える部分が余剰資金として扱われます。売り手としては、月次の資金繰り実績を数年分示せるようにしておくことが有効です。「これだけの資金がないと回らない」という主張も、「これは余剰だ」という主張も、根拠となる数字があって初めて説得力を持ちます。

余剰現預金があるときの3つの整理方法

余剰資金の扱いには、大きく三つの方向があります。どれが適切かは、税務上の影響、買い手の資金調達、株主構成によって変わります。

1. そのまま会社に残して譲渡する

最もシンプルな方法です。余剰現預金の分だけ株式の対価が大きくなるため、経営者様は株式譲渡の対価としてまとめて受け取ることになります。手続が単純で、買い手にとっても分かりやすい形です。一方、買い手にとっては買収に必要な資金が大きくなるため、資金調達の負担が増える点は留意が必要です。

2. 譲渡前に配当として受け取る

譲渡前に剰余金の配当を行い、余剰資金を株主に移してから会社を譲渡する方法です。株式の対価はその分小さくなります。ただし配当は配当所得として課税され、株式譲渡益の課税(20.315%)とは取り扱いが異なりますので、手取りの比較は必ず事前に試算が必要です。

3. 役員退職慰労金として支給する

経営者様が退任される場合、役員退職慰労金の支給によって余剰資金を整理する方法もあります。会社にとっては損金となり、受け取る側の課税上の取り扱いも配当とは異なります。ただし、金額の相当性、株主総会決議、支給時期など、要件を丁寧に満たす必要があります。

いずれの方法も税務上の判断を伴い、最適解は個々の事情によって異なります。自己判断で先に動かず、譲渡の設計とあわせて検討することが重要です。

※本稿は一般的な考え方の整理であり、個別の税務・法務の取り扱いは前提となる事実関係により異なります。実行にあたっては税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。

現預金が多い会社ならではの注意点

名義が会社でない預金・会社名義の個人資金

実質的には経営者様個人のお金が会社名義で管理されている、あるいはその逆というケースがあります。買収監査では必ず確認される点で、整理されていないまま進むと、権利関係の不明確さとして減額や条件付けの理由になります。早い段階で実態を明らかにし、必要な整理を行っておくべきです。

使途の説明がつかない出金

まとまった出金の使途が説明できない場合、買い手は「他にも見えていないものがあるのではないか」と考えます。金額の大小以上に、透明性への疑念を生むことが問題です。過去の大口取引については、経緯を説明できるようにしておきましょう。

事業に関係のない資産

現預金だけでなく、投資有価証券、事業に使っていない不動産、経営者様専用の車両や保険なども、事業とは切り離して考えられます。これらをどう扱うかは、価格の議論と並行して整理します。私的な支出の扱いについては「社宅・車両・保険など私的な経費」もご参照ください。

「現金が多い会社は買われやすい」と言えるか

現預金が厚いことは、財務の健全性と、これまでの経営の堅実さを示す材料になります。この点は買い手からも好意的に受け止められます。

ただし、現預金が多いことそのものが買収の動機になるわけではありません。買い手が求めているのは事業であり、現金は価格として支払う対象です。「現金が多いから高く売れる」というより、「現金の分だけ価格が大きくなり、その資金を用意できる買い手に候補が絞られる」と理解するほうが実態に近いでしょう。

そのため、余剰資金が大きい会社では、買い手候補の資金調達力も含めて相手を選ぶ視点が必要になります。場合によっては、譲渡前に余剰資金を整理して価格規模を調整することが、候補の幅を広げる方法にもなります。

まとめ|余剰資金は、売却設計の重要な変数

  • 現預金は、事業に必要な分を超える部分が株式価値に加算されるのが基本
  • 必要額の主張には、月次の資金繰り実績など根拠となる数字が要る
  • 余剰資金は「残す・配当する・退職金として支給する」の三択。税務の比較が不可欠
  • 名義の不明確な預金や使途不明の出金は、金額以上に信頼の問題になる

余剰資金の扱いは、手取り額にも、買い手候補の幅にも影響する重要な変数です。当社プラチナパートナーズでは、税理士等の専門家とも連携しながら、譲渡の設計段階から余剰資金の整理方針をご提案しています。まずは無料相談で現状をお聞かせください。

よくあるご質問

A.事業に必要のない余剰部分については、株式価値に加算されるのが基本的な考え方です。株式価値は事業価値から借入と現預金の差額(純有利子負債)を差し引いて求めるため、借入より現預金が多ければ、その超過分は加算される関係になります。ただし、事業を回すために必要な運転資金は事業の一部と考えられ、加算の対象から外れます。必要額の見立てには、月次の資金繰り実績などの根拠が求められます。
A.一概には言えません。配当として受け取る場合と、株式譲渡の対価としてまとめて受け取る場合とでは課税上の取り扱いが異なり、株主の状況によって有利不利が変わります。役員退職慰労金として整理する方法もあります。いずれも税務の判断を伴いますので、自己判断で先に実行せず、譲渡の設計とあわせて税理士等の専門家を交えて比較検討することをおすすめします。
A.その面はあります。余剰資金が大きいほど株式の対価も大きくなり、買い手に求められる資金調達の負担が増えるためです。結果として候補が絞られることはあります。対策としては、資金力のある買い手候補を広く探索する方法と、譲渡前に余剰資金を整理して価格規模を調整する方法があります。どちらが適切かは事業内容やご希望の条件によりますので、早い段階でご相談ください。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら