M&A仲介は、売り手と買い手の双方と契約し、双方から報酬を受け取る「双方受託」の形態です。この構造に利益相反のおそれがあることは、中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)でも指摘され、依頼者からも率直に問われるようになりました。私たち仲介の実務者は、この問いに「中立ですから大丈夫です」と答えて済ませてはいけません。本稿は、双方受託という構造の中で、アドバイザー本人が現場でどう振る舞い、何を記録すれば、売り手・買い手の双方に誠実でいられるのかを、先輩が後輩に教えるつもりで具体的に書いたものです。これから仲介会社で働こうとしている方にも、入社前に知っておいてほしい内容です。

双方受託の構造を、自分の言葉で説明できるか

最初に確認したいのは、担当者自身が双方受託の構造を、依頼者に対して自分の言葉で説明できるかどうかです。構造は単純です。売り手はできるだけ高く売りたい。買い手はできるだけ安く買いたい。その両者の間に立ち、両者から報酬を受け取るのが仲介者です。したがって仲介者は、売り手のためだけに価格をつり上げることも、買い手のためだけに値切ることもできない。これが利益相反のおそれの正体です。

加えて、仲介者の報酬は成約時に発生します。「条件がどうであれ、まとめたほうが自分の報酬になる」という誘因が構造に埋め込まれていることも、依頼者は理解しています。この二つを隠さずに説明したうえで、「では、あなたはどう振る舞うのか」を語れる担当者だけが、依頼者から信頼されます。両手取引の構造そのものについては「M&A仲介の両手取引とは」で依頼者向けに整理していますので、自分の説明と読み比べてみてください。

新人によくある誤りは、「私たちは中立です」を安心材料として提示することです。中立とは「どちらの代理人でもない」という事実の言い換えにすぎず、利益相反のおそれを打ち消す言葉にはなりません。むしろ「中立であるがゆえに、あなただけの味方にはなれません」と伝えるほうが、依頼者は正しく身構えることができ、結果として関係が長持ちします。

「どちらの味方でもない」が言い訳にならない場面

現場では、「中立だから何も言わない」が最も楽な選択に見える場面が数多くあります。しかし、それは中立ではなく職務放棄です。典型的な場面と、やってはいけない対応、望ましい対応を整理します。

場面やってはいけない対応望ましい対応
売り手から「いくらで売れますか」と聞かれた買い手の予算を知っているので、その上限を答える。または成約しやすい低めの額を答える評価の考え方と、市場で想定されるレンジ、そのレンジの根拠を示す。特定の買い手の予算は言わない
買い手から「売り手の下限はいくらですか」と聞かれた売り手が内々に話した「ここまでなら」を伝える「それはお答えできません」と明言し、代わりに買い手側の評価根拠を整理して提示する
買い手が発見したリスク(未払残業・偶発債務など)を売り手が軽く見ている成約のために「よくあることです」と流すリスクの意味と、最終契約の表明保証・補償で扱われ得ることを売り手に説明し、専門家への確認を勧める
一方の依頼者から「相手に言うな」と言われた事実がある言われたとおり黙るその事実が相手の判断に重要なら、開示しなければ取引を進められないことを本人に説明し、開示の方法を一緒に考える
売り手が従業員の処遇を強く望んでいるが、買い手は明言を避けている「大丈夫だと思います」と売り手を安心させる買い手に明確な回答を求め、書面(基本合意・最終契約)に落とす。答えない場合は、その事実を売り手に伝える

共通しているのは、一方の利益のために動かないことと、両者が正しく判断できる材料を揃えることの二つです。中立とは沈黙ではなく、双方に対して同じ水準の誠実さで情報と選択肢を提示することです。

価格交渉での立ち位置|価格を決めず、判断材料を揃える

価格交渉は、利益相反が最も先鋭化する局面です。ここでの立ち位置を、私たちは次の四つの原則で教えています。

原則1:価格を決めるのは当事者。仲介者は決めない

「この価格でまとめましょう」と仲介者が言った瞬間、どちらかの利益を代弁したことになります。仲介者が示すのは価格ではなく、評価の考え方、類似する条件の一般的な相場観、そして「この価格になると相手はこう考えるだろう」という見通しです。最終の数字は、必ず当事者本人に決めてもらいます。

原則2:根拠を一方の都合で作らない

売り手向けには高めの評価根拠、買い手向けには低めの評価根拠を、それぞれ用意してしまう担当者がいます。これは双方をだましていることと変わりません。評価の考え方は一つに統一し、同じ資料を双方に見せられる状態にしておきます。「相手には見せられない資料」を作った時点で、何かが間違っています。

原則3:双方に「妥当性のレンジ」を同じ言葉で説明する

売り手には「このレンジより上は買い手がつきにくい理由」を、買い手には「このレンジより下は売り手が応じにくい理由」を、同じ評価の枠組みから説明します。レンジの内側でどこに着地するかは、当事者間の交渉と、雇用や取引継続などの非価格条件との組み合わせで決まります。

原則4:成約を急ぐ自分を疑う

交渉が膠着したとき、「ここで妥協してもらえばまとまる」と感じたら、その感覚を一度疑ってください。それは依頼者のための判断か、自分の成約のための判断か。判断に迷ったら上長に相談し、相談した事実を記録します。自分一人で決めないことが、最も確実な利益相反の防止策です。

情報の非対称の扱い|事実は隠さず、戦術は持ち込まない

仲介者は、売り手・買い手のどちらよりも多くの情報を持っています。この非対称をどう扱うかが、誠実さの分かれ目です。

三種類の非対称を区別する

  • 売り手が知っていて買い手が知らない情報——簿外債務、主要取引先との関係悪化、キーパーソンの退職意向など
  • 買い手が知っていて売り手が知らない情報——買収後の事業計画、拠点統廃合の予定、経営陣の処遇方針など
  • 仲介者だけが知っている情報——他の候補先の存在、各候補の意向表明の内容、一方が内々に語った希望額など

扱いのルール

一つ目については、買い手の判断に重要な事実を隠したまま進めることはできません。売り手に対して「開示しないと後で表明保証違反として大きな問題になる」と説明し、開示の仕方を一緒に整えます。売り手が頑なに拒む場合は、案件を進められない旨を伝える覚悟が要ります。

二つ目については、買い手に対して、売り手が重視している事項(雇用・社名・取引先)への回答を明確にするよう求めます。曖昧な回答を「前向きに検討」と美化して売り手に伝えることはしません。

三つ目が最も難しい部分です。他の候補の存在や意向表明の内容を、一方の交渉を有利にする「戦術」として使ってはいけません。「別の候補はもっと高い額を出しています」と買い手に言う、「買い手は実はもっと出せます」と売り手に言う。どちらも、仲介者が交渉の当事者になってしまった状態です。事実として伝えるべきこと(複数の候補が検討中である、という状況)と、戦術として使ってはいけないこと(具体的な相手の数字)を、社内で線引きしておきます。

秘密保持の観点からの情報管理は「秘密保持の運用実務」で扱っています。利益相反管理と情報管理は、実務では表裏一体です。

記録の残し方|後から自分を守るのは記録だけ

利益相反が問題になるのは、多くの場合、取引が終わった後です。「あのとき仲介者はこう言った」という当事者の記憶と、担当者の記憶が食い違ったとき、担当者を守るのは記録だけです。逆に言えば、記録がなければ、誠実に振る舞っていたことを証明できません。

案件記録に残す項目(利益相反の観点)

  • 面談・電話・メールの日時、相手、同席者
  • 双方に伝えた事実と、伝えなかった事実(理由付き)
  • 価格・条件について当事者が自ら決めた旨と、その経緯
  • 一方から「相手に言うな」と言われた事項と、その後の対応
  • 判断に迷って上長に相談した事項と、相談の結論
  • 依頼者側の専門家(顧問税理士・弁護士)の関与状況
  • 契約前の利益相反に関する説明の日時と方法

記録は「後で書く」と必ず抜けます。面談後、移動中や次の予定の前の短い時間に、事実だけを箇条書きで残す習慣をつけてください。感想や評価は不要です。「誰が、何を、いつ言ったか」だけを書きます。記録の書き方は「案件パイプライン管理の実務」の週次レビューとも連動します。

社内での利益相反管理|個人の誠実さに頼らない仕組み

利益相反の管理を、担当者個人の誠実さに委ねる会社は、いずれ問題を起こします。誠実な担当者でも、成約のプレッシャーの中では判断が揺れるからです。組織としての仕組みを、少なくとも次の観点で整えてください。

上長による交渉局面のレビュー

意向表明の受領、基本合意の条件確定、最終契約の主要条件確定の各局面で、担当者以外の者が「双方に同じ材料を示しているか」「価格を担当者が誘導していないか」を案件記録で確認します。

依頼者側の専門家の関与を歓迎する文化

仲介者が構造上担えない「依頼者だけの味方」の役割は、依頼者側の顧問税理士・弁護士が担うのが健全です。担当者がこれを嫌がる会社は、囲い込みで案件をまとめようとしている会社です。当社は依頼者側の専門家の関与を歓迎する旨を「中小M&Aガイドライン遵守宣言」で明示しており、担当者はそれを面談の場で自ら勧めます。

成約インセンティブとの距離

成約が報酬に直結する評価制度は、どの仲介会社にも一定程度あります。だからこそ、評価の際に「成約したか」だけでなく「記録が残っているか」「双方への説明が均質だったか」を見ることが、利益相反管理の実効性を左右します。M&A仲介業界への批判の多くは、この点が欠けたときに生じています。批判の背景については「M&A仲介は『やばい』のか」もあわせてお読みください。

本稿は仲介実務者向けの運用の考え方を述べたものであり、個別案件における法的な義務や責任の範囲は、所属組織のコンプライアンス担当および弁護士にご確認ください。

まとめ|誠実さは「姿勢」ではなく「運用」で示す

双方受託の構造は変えられません。変えられるのは、その構造の中での振る舞いと、それを支える仕組みです。価格を決めず判断材料を揃える。事実は隠さず、戦術は持ち込まない。判断に迷ったら一人で決めず、すべてを記録に残す。そして組織として、それをレビューする。誠実さは「私は誠実です」と言うことではなく、こうした運用の積み重ねで示すものです。それができる担当者は、依頼者にとっても、同僚にとっても、信頼できる存在になります。

よくあるご質問

A.いいえ。何も言わないことは中立ではなく職務放棄です。仲介者は価格そのものを決めませんが、評価の考え方、想定されるレンジとその根拠、相手側がどう受け止めるかの見通しを、売り手・買い手の双方に同じ枠組みで説明する責任があります。最終の数字を決めるのは当事者本人です。
A.その情報が買い手の判断に重要な事実であれば、開示しないまま取引を進めることはできません。開示しなかった場合に最終契約の表明保証違反などとして売り手自身に大きな問題が及ぶことを説明し、開示の仕方を一緒に整えます。それでも拒まれる場合は、案件を進められない旨を伝え、そのやり取りを記録に残します。
A.「誰が、いつ、何を言ったか」という事実を箇条書きで残すことが基本です。特に、双方に伝えた事実と伝えなかった事実(理由付き)、価格や条件を当事者自身が決めた経緯、判断に迷って上長に相談した事項は必ず残してください。感想や評価は不要です。面談直後に短時間で書く習慣が、後から自分を守ります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら