本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。買い手との面談から帰ってきた新人のメモを見ると、たいてい「年商3億〜10億、関東、製造業、黒字」といった条件の羅列で終わっています。これは聞いたのではなく、書き取っただけです。条件は変わりますが、その条件が出てくる判断の物差しは簡単には変わりません。物差しさえ分かっていれば、条件から外れた案件でも「これは見るはずだ」と判断できます。本稿では、買収基準を引き出すためのヒアリングの順序と質問を、面談の場でそのまま使える形で書きます。

ヒアリングの目的|「条件」ではなく「判断の物差し」を得る

買い手ヒアリングの成果物は、条件表ではありません。「この会社は、どういうときに買うと決めるのか」を説明できる状態です。両者の違いを具体的にすると、こうなります。

条件の記録物差しの記録
書かれ方年商3億〜10億、関東、製造業自社工場の稼働に余力があり、加工の内製化を進めたい。だから同じ加工技術を持つ会社なら規模は小さくてもよい
使える場面条件に合う案件を機械的に照合するとき条件から外れた案件が出たとき、当てるべきかを判断できる
賞味期限短い。半年で変わる長い。経営方針が変わらない限り続く

物差しが分かっていれば、「年商2億で条件外だが、御社が内製化したい加工をやっている会社が出ました」という一本の連絡ができます。この一本を出せるかどうかが、買い手から信頼される担当者とそうでない担当者の分かれ目です。

順序の設計|会社の話→戦略の話→基準の話→手続きの話

初対面でいきなり「どんな会社を買いたいですか」と聞くと、返ってくるのはたいてい過去に見た案件の条件です。順序を設計してください。私は次の4段階で進めます。

  • 第1段:会社の話(15分)——沿革、事業の中身、直近の業績の方向、組織の状況。相手が話しやすく、こちらの理解の土台になる
  • 第2段:戦略の話(20分)——これから何を伸ばしたいか、何が足りないか、なぜ自前でやらないのか。ここが物差しの源泉
  • 第3段:基準の話(20分)——具体的にどういう会社なら見るのか。第2段で聞いた戦略に紐づけて確認する
  • 第4段:手続きの話(15分)——検討の進め方、社内の決裁、資金、スケジュール

この順序の要は第2段です。「なぜ自前でやらないのか」という質問は、買収の必然性を浮かび上がらせます。自前でできるが時間がかかる、人が採れない、許認可が取れない、顧客との関係が作れない——出てきた答えがそのまま買収動機になり、こちらの案件提案の切り口になります。

初回面談全体の設計は「初回面談の進め方」と重なる部分があります。合わせて読んでください。

買収基準を引き出す質問例

そのまま使える質問を、段ごとに並べます。全部聞く必要はありません。相手の答えに応じて深掘りする順を選んでください。

戦略の話を掘る質問

  • 「今後3年で、いちばん伸ばしたい事業はどれですか。その理由は何ですか」
  • 「その事業を伸ばすうえで、今いちばん足りていないものは何ですか」(人・設備・顧客・技術・許認可・エリア)
  • 「それは自前で用意するとどれくらい時間がかかりますか。買うほうが早いのはどの部分ですか」
  • 「これまで検討して、見送った案件はありますか。何が理由でしたか」

基準の話を掘る質問

  • 「規模は、何を基準に見ていますか。売上ですか、利益ですか、人員数ですか」
  • 「赤字でも、条件が合えば検討の対象になりますか。どういう赤字なら見られますか」
  • 「社長が引退される案件と、しばらく残っていただける案件では、評価は変わりますか」
  • 「絶対に外せない条件を一つだけ挙げるとしたら何ですか。逆に、譲れる条件はどれですか」
  • 「不動産や借入がついてくる場合、どこまでなら受け止められますか」

最後の二問は特に効きます。「絶対に外せない一つ」を聞くと、条件表の中の優先順位が一気に見えます。譲れる条件が分かれば、条件から少し外れた案件を持ち込む余地も判断できます。

建前と本音を見分ける|過去の検討事例を聞く

ヒアリングの答えには、必ず建前が混ざります。「良い会社ならどこでも」「基本的には何でも見ます」という返答は、多くの場合、社内で基準が固まっていないか、答えたくないかのどちらかです。これを見分ける最も確実な方法は、過去の実際の検討事例を聞くことです。

  • 「直近で検討された案件はどんな会社でしたか。どこまで進んで、なぜ止まりましたか」
  • 「社内で反対が出るとしたら、どういう理由で出そうですか」
  • 「これまでに買収された会社はありますか。うまくいった点と、苦労された点は何でしたか」

過去の話には、条件表には書かれない本当の基準が現れます。「前回は労務のリスクが出て社内が慎重になった」と聞ければ、次に持ち込む案件では労務面の整理を先に済ませておくべきだと分かります。「経営陣が現場に行ける距離でないと反対される」と聞ければ、地理の基準が本当は厳しいことが分かります。

逆に、答えが一切具体化しない相手は、検討の実体がまだない可能性を織り込んでおきます。その場合は、リストの第一陣ではなく第二陣に置き、関係を続けながら判断材料を増やしていくのが現実的です。

聞きにくいことの聞き方|資金・決裁・スケジュール

新人がいちばん飛ばすのが第4段の手続きの話です。「失礼にあたるのでは」と思うようですが、順序と言い方さえ守れば、まったく失礼にはなりません。むしろ、聞かないまま話を進めて後で止まるほうが、双方にとって損失です。

決裁の聞き方

「実際に案件をお持ちしたとき、社内ではどういう順番でご検討いただく形になりますか。ご決裁はどなたまで上がりますか」——これは相手を疑う質問ではなく、こちらの段取りを合わせるための質問として自然に聞けます。取締役会の開催頻度、投資委員会の有無、親会社の承認が要るかまで確認できると、スケジュールの精度が上がります。

資金の聞き方

「資金は自己資金でお考えですか、それとも金融機関からの調達も組み合わせますか。ご相談される金融機関はもう決まっていますか」——調達方法を聞く形にすると、資力を疑う質問になりません。詳しい確認の手順は「買い手の資金力をどう確認するか」にまとめています。

スケジュールの聞き方

「決算期はいつですか」「今期中に決めたいなど、時期のご希望はありますか」。決算期は、買い手の意思決定が動きやすい時期を推測する材料になります。急ぎの事情がある場合は、その理由まで聞けると打診の順番に反映できます。

記録と共有|ヒアリングを社内の資産にする

ヒアリングは、記録して初めて資産になります。面談当日中に、次の項目でまとめてください。

  • 会社概要と面談者(役職・決裁上の位置づけ)
  • 戦略と、足りないもの(第2段の回答)
  • 買収基準:絶対条件/優先条件/譲れる条件の三段で書く
  • 過去の検討事例と、止まった理由
  • 手続き:決裁ルート、想定する資金の組み方、時期の希望
  • 次のアクションと、次回接触の目安時期

特に「絶対条件/優先条件/譲れる条件」の三段書きを徹底してください。条件を一列に並べたメモは、後から読んだ人が優先順位を読み違えます。三段に分けてあれば、別の担当者でも「これは当てるべきだ」と判断できます。

そして、聞いた条件には必ず日付を打つこと。買い手の方針は決算や人事で変わります。半年以上前の条件は、そのまま使わず一度確認の連絡を入れるのが実務の作法です。記録の運用そのものは「買い手ロングリストの精度を上げる」で書いたマスターリストの考え方と一体で回してください。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的な判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.条件そのものより先に、なぜ買うのかという戦略の話を聞くことをおすすめします。「今後伸ばしたい事業は何か」「そのために足りないものは何か」「なぜ自前でやらないのか」を押さえると、条件が出てくる背景まで理解できます。条件だけを書き取ると、条件から少し外れた良い案件を持ち込む判断ができなくなります。
A.過去の実際の検討事例を尋ねてください。「直近で検討された案件はどんな会社でしたか」「どこまで進んで、なぜ止まりましたか」と聞くと、条件表には出てこない実際の基準が見えてきます。それでも具体化しない場合は、検討の実体がまだない可能性を織り込み、第一陣ではなく関係構築を続ける先として位置づけるのが現実的です。
A.聞き方と順序を守れば失礼にはなりません。資力を疑う質問ではなく、こちらの段取りを合わせるための質問として尋ねるのが基本です。「資金は自己資金と金融機関からの調達のどちらでお考えですか」「社内ではどなたまでご決裁が上がりますか」といった形であれば自然に確認できます。むしろ確認しないまま進めて途中で止まるほうが、売り手にも買い手にも負担になります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら