会社ごと譲る場合、総務も経理もシステムも一緒に移るので、翌日から業務は回ります。ところが事業の一部を切り出して譲る場合、話が変わります。
給与計算は親会社の総務がやっていた。受発注は親会社のシステムに乗っていた。請求書は親会社の名前で出していた。電話も親会社の番号だった。これらは切り出した事業の側には存在しません。買い手が自分で揃えるまでの間、売り手が代わりに続ける必要があります。
その約束を書いた文書が、TSA(Transition Services Agreement・移行サービス契約)です。
何を支えるのかを一覧にする
まず、切り出す事業が親会社の何に依存しているかを洗い出します。実務でよく出るものを挙げます。
- 基幹システム。受発注、在庫、生産管理。1つのシステムに全事業が乗っていると、分けるのに時間がかかります。
- 経理・給与計算。会計ソフト、給与計算、社会保険の手続き。
- 通信・ネットワーク。電話番号、インターネット回線、メールのドメイン。
- 物流・倉庫。同じ倉庫に全事業の在庫が入っている場合。
- 許認可。親会社の許可で営業していた部分。
- 保険・リース。包括で契約している場合。
- 建物の一部。同じ建物の中で分かれている場合。
この一覧を作らないまま契約を結ぶと、クロージングの後に「これも頼まないと動かない」が次々に出ます。そのときに条件を決めると、売り手の言い値になりやすく、揉めます。
期間と、終わらせる仕組み
TSAは一時的な契約です。したがって期間を決めます。
項目ごとに期間が違うのが通常です。給与計算は3か月、システムは12か月、電話番号は6か月といった形です。システムの移行がいちばん長くなります。
重要なのは、終わらせる仕組みを入れておくことです。延長を認めるのか、認めるなら何回までか、延長したときの料金は上がるのか。
料金を段階的に上げる設計が使われることがあります。最初の6か月は実費相当、その後は上乗せ、という形です。買い手が移行を急ぐ動機になり、売り手が長く縛られることも防げます。
逆に、延長の定めが無いと困るのは買い手です。移行が間に合わなかったときに、業務が止まります。「延ばせない」ことは買い手のリスクで、「延々と続く」ことは売り手のリスクです。両方を見て期間を決めます。
料金の決め方
料金は、実費を基準にするのが一般的です。給与計算なら1人あたりいくら、システムなら利用の規模に応じていくら、という形です。
ここで論点になるのは、人の時間をどう数えるかです。売り手の総務担当が片手間でやっている業務は、原価が見えません。かといって無償にすると、売り手の社内で「なぜ他社の仕事をしているのか」という話になります。
実務では、担当者の人件費を時間で割って、かかった時間を掛ける形が使われます。そのためには時間を記録する必要があり、これ自体が手間です。項目ごとに月額の定額にしてしまうほうが、運用は楽になります。
あわせて、第三者に払う費用の扱いを決めます。システムのライセンス料、回線の費用、倉庫の賃料。これらは実費をそのまま請求する形が分かりやすくなります。
売り手側の負担を軽く見ない
売り手にとってTSAは、売った後も仕事が続くという意味です。しかも、売った事業の人は買い手に移っているので、残った人が対応します。
実際に起きやすいのは次のことです。買い手から問い合わせが来るが、答えられる人がもう居ない。システムの操作を頼まれるが、担当が辞めている。請求や支払いの処理が月末に集中する。
したがって、誰が対応するのかを社内で決めておく必要があります。決めずに契約すると、残った総務や経理に負担が集中します。
加えて、やらないことも書きます。新しい開発はしない、業務の改善には応じない、問い合わせの窓口は1つ、回答は営業日の何日以内。範囲を書かないと、際限なく広がります。
情報の取り扱いも決めます。売り手が買い手の事業のデータを扱い続ける形になるので、秘密保持と、終了後のデータの返還・消去を定めます。
逆向きのTSAもある
向きが逆になる場合もあります。売った事業の側に、残る会社が依存していた場合です。
例えば、切り出した工場で残る事業の製品も作っていた、切り出した部門が全社の品質管理をしていた、といった形です。この場合、買い手が売り手に対してサービスを提供します。
また、双方向になることもあります。売り手がシステムを提供し、買い手が製造を請け負う。その場合は1つの契約にまとめるか、2本に分けるかを決めます。
どちらの向きでも、価格の交渉と切り離して考えるのが難しいのがこの契約です。「TSAを無償で」という条件が価格の交渉材料になることがあります。明確にするなら、料金を別に決めて、価格とは分けて書くほうが後で揉めません。
いつ作り始めるか
TSAは、最終契約の付属として結ばれるのが通常です。しかし内容を考え始めるのは、もっと前です。
順序としては、①基本合意の前後に「何が親会社に依存しているか」の一覧を作る ②調査の中で買い手と範囲を詰める ③最終契約と同時にTSAを締結する、という流れになります。
①を飛ばすと、調査の途中で依存関係が次々に出てきて、期間と価格の前提が崩れます。事業譲渡や会社分割を検討し始めた時点で、依存の一覧を作るのが実務的です。
なお、株式を譲る形(会社ごと譲る)であれば、TSAが要らないことも多くあります。ただしグループの中の1社を譲る場合は、親会社への依存が同じように出ます。グループを組んでいる会社では、形にかかわらず確認が必要です。
契約の内容と範囲は個別の事情で変わります。実際の設計は弁護士に確認してください。