店舗や工場、事務所を借りて事業をしている会社は、いずれ返すときに元の状態に戻す義務を負っています。内装を撤去し、設備を外し、床や壁を直す費用です。契約によって範囲は違いますが、借りている間ずっと、この義務は付いて回ります。
会計には、この義務を負債として先に計上する考え方があります。資産除去債務と呼ばれるものです。中小企業では計上していない会社が多く、M&Aの調査で初めて金額が見積られることがよくあります。どういう論点になるのかを整理します。
何が義務になっているのかは、契約書で決まる
まず確かめるのは賃貸借契約です。原状回復の範囲は契約ごとに違い、同じ「原状回復」という言葉でも意味が変わります。
- 入居時の状態に戻す。何もない状態(スケルトン)に戻すのか、前の内装がある状態に戻すのかで金額が大きく違います。
- 通常の損耗を除くか。使っていれば傷むのは当然という前提があるか、全部直すのかで変わります。
- 造作を残せるか。次の借主が使うなら、撤去せずに済むことがあります。逆に「必ず撤去」と書いてあれば費用が確定します。
- 敷金・保証金との関係。償却の定めがある場合、戻らない分が決まっています。
契約書を見ないまま金額を話しても意味がありません。複数の物件を借りている会社では、物件ごとに条件が違うのが通常です。一覧にして、どの物件がどういう条件かを整理するところから始まります。
金額の見積り方
見積りは、面積・内装の作り・設備の種類で変わります。飲食店の厨房、工場の生産設備、クリニックの医療設備が入っている物件は、撤去に費用がかかります。逆に、事務所として普通に使っている物件は相対的に軽くなります。
見積る方法は3つあります。①工事業者に見積りを取る ②過去に退去した物件の実績を使う ③単価の目安に面積を掛ける。精度は①が高く、手間もかかります。
加えて、すぐ退去するわけではないという点があります。契約が10年残っているなら、費用が出るのは10年後です。会計ではこれを現在の価値に割り戻して計上します。ただ、M&Aの交渉では「いつ出るか」より「いくら出るか」のほうが扱われやすく、割り戻さない金額で話が進むこともあります。
重要なのは、金額の根拠を双方が見られる形にすることです。根拠のない見積りは、下げる理由として使われるだけになります。
M&Aでどう扱われるか
株式を買う形では、会社が負っている原状回復の義務は会社に残ります。したがって買い手は、その分を価格から引くか、補償の対象にするかを求めます。デットライクアイテム(借入ではないのに引かれる項目)の1つとして扱われる形です。
事業を買う形では、賃貸借契約を引き継ぐかどうかで変わります。引き継ぐなら義務も移り、引き継がないなら売り手側に残ります。貸主の承諾が必要なので、契約の移転そのものが論点になります。
さらに、買い手がその物件を使い続けるのかで意味が変わります。使い続けるなら原状回復は遠い将来の話ですが、統合で閉じる予定なら近い将来の支出です。買い手の計画によって、同じ義務の重さが変わります。
これは交渉の材料になります。閉じる予定の店舗がある場合、その分の費用を誰が持つかを決めることになります。
計上していないこと自体が問題か
中小企業の会計では、資産除去債務を計上していないことが珍しくありません。会計の基準の適用範囲と、中小企業が使う会計の指針の扱いが違うためです。計上していないこと自体が誤りとは言えません。
問題になるのは、金額を誰も把握していない場合です。契約書がどこにあるか分からない、物件ごとの条件を整理していない、過去の退去でいくらかかったかの記録が無い。この状態だと、買い手は安全側に大きく見積ります。
逆に、計上していなくても一覧と見積りがある会社は、話が早く済みます。「計上しているか」ではなく「把握しているか」が見られるところです。
なお、原状回復の費用は賃貸借の終了時に実際に発生します。会計上の計上の有無とは別に、いずれ払うお金として存在しています。この点が、計上の議論より実務的に重い部分です。
売り手として先にやること
順序は次のようになります。
1. 借りている物件を全部一覧にする。所在、面積、契約の期間、更新の条件、原状回復の定め、敷金・保証金の額と償却の定め。
2. 原状回復の範囲を契約ごとに書き出す。スケルトンか、造作を残せるか、通常損耗を除くか。
3. 重い物件だけ見積りを取る。全部取る必要はありません。面積が大きい、設備が重い物件から当たります。
4. 敷金・保証金の戻る見込みを並べる。原状回復の費用と、戻ってくる敷金は別に計算されます。相殺されるとは限りません。
この整理は、M&Aのためだけの作業ではありません。退去や移転を考えるときにも同じ一覧が要ります。会計・税務の扱いは個別の事情で変わるため、具体的な処理は税理士に確認してください。
自社の建物であっても、似た論点が出ることがあります。アスベストを含む建材が使われている建物では、解体や改修の際に法令に沿った処理が必要で、費用が大きくなります。調査では建築の年代から確認されることがあるため、図面や過去の調査の記録を揃えておいてください。