株式の価格は、事業の価値から有利子負債を引いて計算するのが基本の形です。この「引くもの」に、借入金以外のものが入ってきます。
デットライクアイテム(負債に類するもの)と呼ばれる項目です。帳簿では借入金の欄にありませんが、買った側が買った直後に払わなければならないお金なので、価格の計算では借入と同じように扱われます。売り手から見ると「なぜこれが引かれるのか」と感じる部分で、交渉で最も揉めるところの1つです。何が入りうるのかを先に知っておくと、準備ができます。
なぜ借入と同じに扱われるのか
考え方は単純です。買った直後に出ていくお金は、買う価格の一部とみなすということです。
例えば、従業員への未払いの残業代が1,000万円あるとします。帳簿には載っていないかもしれませんが、買った会社はそれを払うことになります。だとすれば、買い手から見れば1,000万円を借入と一緒に引いた金額が、実際に払える上限です。
逆に言えば、これらは「隠れた借金」ではなく「まだ精算していない支払い」です。会社が悪いことをしていたという意味ではなく、中小企業では珍しくない状態です。論点は、それを誰が負担するかという配分の話になります。
したがって、交渉では「あるか無いか」ではなく「いくらで、誰が持つか」が焦点になります。価格から引く形にするのか、売り手が先に精算するのか、契約で補償の対象にするのかです。
よく論点になる項目
実務で挙がりやすいものを並べます。
- 未払いの残業代。労働時間の記録が無い、固定残業代の設計に無理がある、管理監督者の範囲が広すぎる、といった場合に見積られます。
- 退職金・退職給付の積立不足。退職金の規定があるのに、引当も外部積立もしていない場合。
- リース債務。会計の処理によっては貸借対照表に出ていないことがあります。
- 税金・社会保険料の滞納と分納。分納の約束をしている場合、残りの金額が対象になります。
- 役員からの借入。返す前提なら負債です。資本に振り替える話になることもあります。
- 未消化の有給休暇。買収後に消化されると人件費として出ます。
- 原状回復の義務。賃借している物件を返すときの費用。
- 訴訟・紛争の見込み額。相手がいて金額が見込める場合。
- 設備の更新が差し迫っている分。これは負債ではありませんが、同じように価格から引かれる形で扱われることがあります。
どれも「調査で出てくるもの」です。調査の前に自分で把握しておくかどうかで、交渉の立ち位置が変わります。
売り手が先に手を打てるもの
いくつかは、譲渡の話を始める前に片付けられます。
税金・社会保険料の滞納。分納を終わらせておけば、論点そのものが消えます。残っていると、買い手は「他にも何かあるのでは」と見ます。
役員借入。返すのか、資本に振り替えるのか、譲渡の対価から精算するのかを先に決めます。
労働時間の記録。過去は変えられませんが、記録を整え、固定残業代の設計を見直すことで、将来の分の見積りを小さくできます。記録が無い期間は、買い手が一律に多く見積もります。
使っていない設備・在庫。処分しておけば、評価を下げる要因が減ります。
逆に、手を打てないものもあります。退職給付の積立不足は、短期間で埋められません。この場合は「ある」ことを先に伝え、金額の見方を話し合うほうが、調査で出てくるより条件が良くなります。
現金の扱いも一緒に決まる
負債を引く計算では、同時に手元の現金をどう扱うかが論点になります。現金は足す側ですが、全額を足せるわけではありません。
事業を回すのに必要な分は、買った後も会社に置いておく必要があります。これを超える分だけが、実質的に自由な現金です。どこまでが必要かは、月々の支払いの規模と入金の周期で変わります。
運転資本の扱いも同じです。売掛金・在庫・買掛金は季節で動くので、どの時点の数字を基準にするかで金額が変わります。期末の数字が年間の平均から離れている会社では、ここが交渉になります。
これらをまとめて調整する仕組みが、価格調整の条項です。契約を結ぶ時点と実際に引き渡す時点で数字が動くため、その差をどう精算するかを先に決めておきます。
交渉での扱い方
この論点で大事なのは、金額の多寡より、算定の根拠を共有することです。買い手が出してきた見積りに根拠がなければ、根拠を聞きます。逆に、根拠のある見積りに対して「そんなはずはない」と言っても進みません。
よく使われる整理は3つです。
- 価格から引く。金額が確定しているものに向きます。
- 売り手が先に精算する。滞納や役員借入のように、譲渡までに消せるものに向きます。
- 契約で補償の対象にする。金額が確定していない、起きるかどうか分からないものに向きます。発生したときに売り手が負担する形です。
3つめは「起きなければ払わない」ので、売り手に有利に働く場面があります。一方で、期間と上限を決めておかないと、いつまでも責任が残ります。
労務・税務・会計の判断は個別の事情で変わります。実際の算定は、税理士・社会保険労務士・弁護士に確認してください。