企業概要書(IM: Information Memorandum)は、秘密保持契約を結んだ買い手候補に、売り手企業の全体像を伝える資料です。買い手はこの資料をもとに、意向表明を出すかどうか、どのような条件で出すかを判断します。本稿では、買い手がIMをどの順番で読み、どこで判断するかから逆算して、章立て、数値の正規化、強み・弱みの書き方、写真・図表、開示範囲の判断、オーナー確認までを、作成者の実務として解説します。ノンネームシートとの関係は「ノンネームシートと企業概要書(IM)とは」を参照してください。
IMは「買い手が読む順番」で設計する
買い手——事業会社の経営企画担当や投資会社の担当者——は、IMを頭から順に精読するわけではありません。最初に見るのは、エグゼクティブサマリーと財務ハイライトです。そこで「検討に値するか」を判断し、値すると判断した場合に、事業内容→財務詳細→組織→リスクへと読み進めます。最後に「なぜ売るのか」「何を望んでいるのか」を確認して、意向表明の方針を決めます。
この読み方から、IMの設計原則が導かれます。
- 冒頭で案件の骨子(何の会社・規模・収益力・譲渡理由・希望条件)を伝え、そこだけ読んでも判断できるようにする
- 各章の冒頭に、要点を1〜2行置く
- 数値は正規化した状態で示し、根拠は脚注や付属資料に回す
- 買い手から質問が来そうな点は、先回りして書く
そして最も大切な原則は、IMは「売り込み資料」ではなく「判断資料」だということです。誇張はデューデリジェンス(DD)で必ず露見し、価格の引き下げや信頼の失墜につながります。正確で、読みやすく、判断に必要な情報が揃っている——それがよいIMです。
章立ての標準形
当社が標準とする章立てと、各章の作成上のポイントを示します。案件によって章の取捨選択はありますが、順番は買い手の読み方に合わせて固定します。
| 章 | 内容 | 作成上のポイント |
|---|---|---|
| 1. エグゼクティブサマリー | 案件の骨子、投資ハイライト | 最後に書く。ここだけで判断できる密度に |
| 2. 会社概要 | 商号・所在地・沿革・株主構成・組織図・許認可 | 沿革は事業の転換点を中心に。譲渡対象の株式を明確に |
| 3. 事業内容 | 事業セグメント、商品・サービス、ビジネスモデル、収益構造 | 「誰に・何を・どう届け・どこで儲かるか」を図で |
| 4. 市場・競合 | 市場の動向、競合との位置づけ、自社の強み | 公的統計・業界団体の資料を出典付きで。数値の創作をしない |
| 5. 顧客・取引先 | 主要顧客の構成比、取引年数、契約形態、仕入先 | 顧客名の開示は段階的に(初期は業種・規模で表現) |
| 6. 組織・人材 | 役員・幹部、従業員構成、雇用条件、キーパーソン | 個人名は必要最小限。労務の状況は正直に |
| 7. 財務情報 | 数期分の損益・貸借の推移、正規化後の収益力、設備投資、借入 | 正規化の根拠を明示。実績と計画を分ける |
| 8. 事業計画 | 今後の見通し、成長余地、シナジー仮説 | 根拠のある範囲で。過度に楽観的な計画は逆効果 |
| 9. 譲渡の背景と希望条件 | 譲渡理由、希望スキーム、譲渡後の関与、従業員への希望 | オーナーの言葉で。個人事情は必要な範囲で |
| 10. リスク・留意事項 | 訴訟・偶発債務・許認可の更新・オーナー依存など | 隠さない。現状の対応も併記 |
| 付属資料 | 決算書、主要契約の概要、設備一覧、不動産の概要 | 本文の根拠として参照できる形に |
数値の正規化|役員報酬・一過性損益の扱い
中小企業の決算書には、税務を意識した処理やオーナー個人の事情が混在しており、そのままでは「事業が本来持つ収益力」を表しません。IMでは、決算数値と並べて「正規化(正常化)した収益力」を示します。
主な調整項目
- 役員報酬——オーナーの報酬を、譲渡後に想定される水準(後任の経営者・幹部の報酬)に置き換える。高すぎても低すぎても調整する
- オーナー関連経費——個人的性格の強い交際費・車両費・保険料など
- 一過性の損益——補助金収入、固定資産の売却損益、災害損失、退職金など
- 親族の給与——実態のない給与、逆に実態に比べて低すぎる給与
- 地代家賃——オーナー所有の不動産を会社が使っている場合、相場との差額
- 減価償却——償却不足があれば、正規の償却額に引き直す
- 節税目的の保険——保険料の損金処理と解約返戻金の扱い
正規化は「利益を増やす方向」だけの作業ではありません。実態より利益を大きく見せる調整は、DDで必ず突かれます。調整項目は一つずつ、根拠(金額・期間・確認した資料)を脚注に書き、買い手が検証できる形にします。実質利益の考え方は「実質利益(正常収益力)とは」、EBITDAの整理は「EBITDAとは」で解説しています。
正規化の作業は、顧問税理士と連携して行います。会計処理の意図が分からない項目を、推測で書いてはいけません。
強み・弱みの書き方|弱みを隠さない理由
強みは「事実」で語る
「技術力が高い」「顧客との関係が強い」という抽象語は、買い手に何も伝えません。「主要顧客との取引年数はいずれも長期にわたる」「特定の加工工程を自社内で完結できる」「有資格者が複数在籍し、許認可の維持に支障がない」のように、確認できる事実で書きます。買い手は、「その強みは、オーナーが去っても残るか」を見ています。オーナー個人の人脈や技能に依存する強みは、そのまま弱みにもなります。
弱みを書かないIMは信頼されない
弱みを書かないIMは、買い手に「何か隠している」と読まれます。買い手はDDで必ず見つけますし、後で見つかった弱みは、書いてあった弱みより何倍も重く扱われます。オーナー依存、特定顧客への集中、設備の老朽化、人員の高齢化、労務の課題などを、現状・影響・現在の対応・改善余地の型で書いてください。弱みは買い手にとって「自分たちが解決できる余地」であり、シナジーの源泉でもあります。
オーナーが弱みの記載を嫌がることがあります。そのときは、「DDで見つかった場合の価格引き下げと信頼失墜のほうが、はるかに大きい」と説明し、納得を得てください。それでも書けないと言われた項目は、そのこと自体を上長に報告し、進め方を相談します。
写真・図表・開示範囲の判断
写真
外観・工場・店舗・設備・製品の写真は、買い手の理解を大いに助けます。ただし、看板・社名・車両のナンバー・従業員の顔・所在地が分かる背景は、加工するか使用しません。
図表
ビジネスモデル図、組織図、売上構成(セグメント別・顧客別)、数期の推移グラフは、文章より速く正確に伝わります。数値は表とグラフの両方で示し、グラフの印象操作(軸の切り方など)をしないでください。
開示範囲は段階で設計する
IMは秘密保持契約後の資料ですが、すべてを書くものではありません。当社では、開示を3段階で設計します。
- 初期IM(意向表明前)——顧客名は業種・規模で表現、単価・原価率は概観、個人名は役員のみ
- 詳細開示(意向表明後・優先交渉先に)——顧客名、契約条件、詳細な人員情報、主要契約の内容
- DD(基本合意後)——原資料の開示
判断の基準は3つです。漏洩したときの被害の大きさ、買い手が意向表明を出すのに本当に必要か、そして買い手候補が競合である場合の特別な配慮(顧客名・単価は原則非開示)。この設計は、必ずオーナーと合意して決めます。
オーナー確認と社内チェック
配布前に、次の項目を確認します。作成者以外の担当者または上長が行い、指摘は記録に残します。
- エグゼクティブサマリーだけで、案件の骨子と魅力が伝わるか
- 決算数値と正規化後の数値が並記され、調整項目ごとに根拠の脚注があるか
- 強みは事実で書かれ、弱みは現状と対応とセットで書かれているか
- 数値・記述に、ノンネームシートや後の説明と矛盾がないか
- 写真に社名・人物・所在地が写り込んでいないか
- 開示段階(初期IM/詳細開示/DD)に応じた情報になっているか
- 出典のない市場データ・統計を書いていないか
- 事実の誤り・誇張・推測の記載がないか(オーナーによる全文確認)
- 顧問税理士に正規化の内容を確認したか
- 版管理(バージョン・日付・配布先)がされているか
オーナー確認は、全文が対象です。IMの内容は、最終契約における表明保証の基礎になります。オーナーが「知らない」内容が入っていてはなりません。とりわけ「譲渡の背景と希望条件」の章は、オーナー自身の言葉で書かれているかを丁寧に確認してください。IMの財務情報は、そのまま簡易株価算定の前提にもなります。算定の実務は「簡易株価算定の実務」で解説しています。