本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者に向けた実務教材です。中小企業では、会社の資産とオーナー個人の生活が、長い年月をかけて自然に重なっていることがあります。社宅、車両、法人契約の保険、会員権、別荘、美術品。これらは違法なものではなく、税務上も適正に処理されていることがほとんどです。ただし、譲渡にあたっては「事業に必要なもの」と「オーナー個人に帰属すべきもの」を分けて示す必要があります。分けないまま進むと、買い手は判断ができず、価格の前提も定まりません。ここでは、切り分けの手順と、資料への書き方を型にします。

なぜ切り分けが要るのか|買い手は「事業に要るもの」を買う

買い手が取得しようとしているのは、事業を継続するために必要な資産と負債です。事業と関係の薄い資産が含まれていると、次の三つが起きます。

  • 価格の前提が定まらない:実質の純資産にも、実態の損益にも影響する。どちらの前提で話しているかが揃わない
  • 承継後の維持費が生じる:使わない資産の管理費・保険料・税負担が、買い手の負担として残る
  • オーナーが手放すつもりのないものが含まれる:思い入れのある資産が譲渡対象に入ってしまい、クロージング直前に問題になる

三つ目は実務でよく起きます。たとえば、会社名義の車をオーナーが引き続き使う前提でいたのに、譲渡対象に含まれたまま進んでいた、というような事態です。「オーナーが持って出るもの」を早い段階で一覧にしておくだけで、多くの摩擦が防げます。

また、実態の損益を示すうえでも切り分けは必要です。事業に関係の薄い費用は、実態損益を見る際の調整対象になります。調整の考え方は「EBITDAの実務」を参照してください。

典型的な項目|何を見て、何を聞くか

切り分けの対象になりやすい項目と、確認の観点を挙げます。

項目確認する観点見る資料
社宅・役員住宅誰が居住しているか、賃料の負担関係、規程の有無賃貸借契約、社宅規程、給与の処理
車両誰が使用しているか、業務利用の割合、譲渡後の扱い固定資産台帳、保険、車検証
法人契約の生命保険契約者・被保険者・受取人、解約返戻金、譲渡後の必要性保険証券、解約返戻金の推移表
ゴルフ・リゾート会員権業務での利用実態、時価と簿価の差会員権の名義、直近の相場資料
絵画・骨董・貴金属事業との関係、保管場所、評価の方法固定資産台帳、購入時の資料
別荘・遊休不動産使用実態、維持費、譲渡後の扱い登記事項、固定資産税の通知
親族への給与実際の勤務実態、職務の内容賃金台帳、組織図

聞き方には注意が要ります。「これは私的なものですね」と決めつけないこと。役員住宅も車両も、業務上の必要から持っている場合があります。「譲渡後も事業で必要になりますか」と、承継後の視点で伺うのが実務の型です。この聞き方なら、オーナーも判断しやすくなります。

切り分けの三つの道|どれを選ぶかは当事者が決める

事業に必要でないと整理された資産の扱いには、三つの道があります。

道筋内容検討が必要なこと
譲渡前にオーナーへ移す会社からオーナー個人が買い取る、または現物で処理する価格の妥当性、会社側と個人側の課税、手続と時期
会社に残したまま価格で調整する譲渡対象に含めたうえで、価格の前提として扱う買い手が承継後の維持を受け入れるか
譲渡までに処分する第三者に売却する、解約する時期、売却損益の影響、買い手への説明

いずれの道も、会社と個人の双方に税務上の影響が生じます。とくに譲渡前に個人へ移す場合、価格の設定が論点になります。アドバイザーは選択肢と、それぞれで検討が必要になる事項を整理して示すところまでを担い、具体的な適用と手続は税理士にご確認いただきます。

実務での進め方は、クロージングから逆算した期限を先に決めることです。譲渡直前に処理しようとすると、時間の制約から不利な条件で処分することになります。基本合意の前後で方針を固め、最終契約までに実行するのが標準的な流れです。

法人契約の保険|扱いを誤ると影響が大きい

切り分けの中でも、法人契約の生命保険は扱いが複雑で、金額の影響も大きい項目です。確認すべきは次の点です。

  • 契約の構造:契約者・被保険者・受取人が誰か。被保険者がオーナーである契約は、承継後の扱いを決める必要がある
  • 解約返戻金:現時点の返戻金と、今後の推移。実質の純資産を見るうえでの論点になる
  • 退職金との関係:退職慰労金の原資として想定されているか。そうであれば、支給の予定とあわせて整理する
  • 譲渡後の必要性:買い手にとって必要な保障か、それとも継続する理由がないか

資料には、契約の一覧と解約返戻金の現在額を、事実として記載します。「解約して受け取る前提」といった見込みを書かないでください。解約の時期や方法によって会社の損益と課税に影響が出るため、前提を置いた記載は誤解のもとになります。

役員退職慰労金として支給する設計を検討する場合も同様です。支給できるかどうか、いくらが相当かは、規程・株主総会の決議・税務上の取扱いに関わる論点であり、税理士・弁護士の確認が前提です。アドバイザーは、論点があることを早い段階で示し、検討の場を設けるところを担います。

資料への書き方と、オーナーへの伝え方

資料には、次の形で一覧にします。

  • 項目・簿価・時価の把握状況:時価が未把握なら、未把握と書く
  • 事業との関係:事業に必要、一部必要、必要でない の別と、その理由
  • 譲渡後の想定:譲渡対象に含める/オーナーが引き取る/処分する/未定
  • 関連する費用:維持費、保険料、租税公課などの年間額

この表があると、買い手は価格の前提を組み立てやすくなり、質問が減ります。逆にこの表がないと、DDで一項目ずつ質問が来て、そのたびにオーナーに確認する往復が発生します。

オーナーへの伝え方については、評価をしないことが唯一で最大の原則です。長年の経営のなかで形づくられたものであり、税務上も適正に処理されてきたことがほとんどです。「整理が必要です」ではなく、「譲渡後もこの資産が事業に必要かどうかで分けていきます。社長が持って出られるものは、早めに決めておくほうが選択肢が広がります」と、オーナーの利益から説明してください。実際、期限に余裕があるほど、条件のよい選択ができます。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における税務・法務・労務の適用は、税理士・弁護士・社会保険労務士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.譲渡対象に含めるか、譲渡前に個人へ移すか、処分するかの三つを整理してお示しします。個人へ移す場合は価格の設定が論点になり、会社と個人の双方に税務上の影響が生じるため、具体的な適用は税理士にご確認いただきます。重要なのは時期で、クロージング直前に決めようとすると時間の制約から不利な条件になります。基本合意の前後で方針を固め、最終契約までに実行するのが標準的な流れです。
A.契約者・被保険者・受取人、解約返戻金の現在額、退職慰労金の原資として想定されているかどうかを事実として記載します。解約して受け取る前提といった見込みは書かないでください。解約の時期や方法によって会社の損益と課税に影響が生じ、前提を置いた記載は誤解を招きます。役員退職慰労金の支給を検討する場合も、規程や決議、税務上の取扱いに関わるため、税理士・弁護士の確認を前提に進めます。
A.私的かどうかを判定するのはアドバイザーの役割ではありません。確認するのは、その支出が譲渡後の事業に必要かどうかです。事業に必要でないと整理されたものは、実態の損益を示す際の調整対象として、根拠とともに記載します。聞き方も、これは私的なものかと尋ねるのではなく、譲渡後も事業で必要になるかと伺ってください。承継後の視点に置き換えると、オーナーも判断しやすくなります。
A.クロージングから逆算して、最終契約までに実行できるよう、基本合意の前後で方針を固めるのが標準です。譲渡直前に処理しようとすると、時間の制約から不利な条件で処分することになります。方針が決まっていない項目があっても構いませんが、資料には未定である旨を記載し、いつまでに決めるかを買い手と共有しておくと、後の交渉で蒸し返されにくくなります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら