本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。買い手向けの提案資料は、IMとは目的が違います。IMが「検討に必要な情報を網羅する資料」なら、提案資料は「検討するかどうかを決めてもらう資料」です。ここを混同して、いきなり分厚いIMを送りつけると、読まれずに終わります。本稿では、買い手が資料を読む状況の理解から、最初の1ページの設計、稟議を前提とした構成、相手別の組み替えまでを扱います。IMそのものの設計は「企業概要書(IM)作成の実務」をご覧ください。
買い手は、どんな状況で資料を読むのか
資料を作る前に、読まれる状況を具体的に想像してください。買い手の担当者は、多くの場合こういう状況にいます。
- 本業を持ちながら、M&Aの検討を兼務している
- 複数の案件を並行して見ており、一件あたりに割ける時間は短い
- 自分では決裁できず、上長や役員に説明する必要がある
- 過去に検討して見送った案件が何件もあり、目が肥えている
- 社内で「なぜこの案件か」を説明できなければ、そもそも上げられない
この状況から導かれる結論は明快です。短時間で判断でき、そのまま社内で使える資料が求められている。逆に言えば、口頭の補足がないと意味が通らない資料、要点が後半にある資料、判断材料が欠けている資料は、その時点で脱落します。
買い手との関係づくりについては「買い手の開拓」も参照してください。継続的な関係がある相手なら、資料の粒度も調整できます。
最初の1ページで伝える三つのこと
提案資料の勝負は1ページ目です。ここで伝えるべきは三つに絞られます。
| 要素 | 内容 | 書き方 |
|---|---|---|
| ①この会社は何屋か | 誰に、何を、どう提供して稼いでいるか | 一文で言い切る。大分類ではなく、工程や商材まで |
| ②規模と収益の型 | 売上・利益の水準、収益がストック型かフロー型か | 数字は必要な粒度で。収益の型を一言添える |
| ③なぜ御社に | この買い手にとっての接点、想定される組み合わせの効果 | 断定せず「◯◯の可能性がある」と示す |
三つ目が、提案資料をIMと分ける最大の違いです。IMは誰が読んでも同じ資料ですが、提案資料は相手ごとに③を書き換えます。「御社の販路と、本件の製品群には重なりが少なく、補完関係が見込まれる可能性があります」——この一文があるかないかで、読まれる確率が変わります。
ただし、シナジーを断定してはいけません。買い手の事業を完全に把握しているわけではないからです。仮説として提示し、判断は相手に委ねる。この距離感を守ってください。
稟議で回ることを前提に構成する
担当者が関心を持ったら、次は社内での説明です。ここで資料がそのまま使えるかどうかが、案件の進み方を左右します。稟議で問われる項目に沿った構成を意識してください。
- ①案件の概要:何をしている会社か、規模、所在エリア、譲渡理由
- ②事業内容:ビジネスモデル図、顧客構成、強みを示す事実、現場写真
- ③財務:3期推移、調整後の収益力、資産負債の要点
- ④組織・人:人員構成、キーパーソン、譲渡後の体制の想定
- ⑤想定される論点:既知のリスクと、その扱いの方向性
- ⑥組み合わせの可能性:買い手にとっての意味(仮説として)
- ⑦条件と進め方:希望条件の概要、想定スケジュール、次の手順
⑤を入れることに、抵抗を感じる人もいるでしょう。しかし既知の論点を先に示す資料のほうが、社内では通りやすい。担当者が上長に「リスクは把握しています」と言えるからです。何も書かれていない資料は、稟議の場で「リスクは確認したのか」と聞かれ、担当者を困らせます。開示の設計は「リスク情報の開示設計」を参照してください。
そして、⑦の「次の手順」を必ず書く。関心を持った担当者が、次に何をすればよいかが分かるようにします。ここが空白だと、社内で止まります。
相手のタイプ別に組み替える
同じ案件でも、買い手のタイプによって関心の重心が違います。構成の順序と厚みを変えてください。
| 買い手のタイプ | 関心の重心 | 厚くする部分 |
|---|---|---|
| 同業(近接エリア) | 顧客と設備の重なり、人材の獲得 | 顧客構成、設備一覧、技術者の構成、商圏 |
| 同業(異なるエリア) | エリア展開、拠点の獲得 | 立地、商圏、拠点の状態、地域での取引関係 |
| 川上・川下の事業者 | 工程の内製化、供給の安定 | 工程フロー、対応可能な仕様、生産能力と余力 |
| 異業種(多角化) | 収益の安定性、経営体制の自立度 | 収益の型、幹部の構成、オーナー依存の分解、承継可能性 |
| 投資会社 | 収益の再現性、成長の余地、出口 | 3期以上の推移、指標、成長施策の余地、管理体制 |
ここで大事なのは、内容を変えるのではなく、順序と厚みを変えるということです。相手によって事実の書き方を変えたり、都合の悪い部分を落としたりしてはいけません。同じ事実を、相手の関心の順に並べ替える。これが組み替えの正しい意味です。投資会社への対応は「ファンドが買い手のときの実務」も参照してください。
盛り込みすぎを避ける|削る基準を持つ
資料作成で最も難しいのは、書くことではなく削ることです。基準を持たないと、際限なく厚くなります。私が使っている基準は三つです。
- ①判断に使われるか:その情報がないと、買い手は判断できないか。「あったら親切」程度なら別紙へ
- ②裏付けがあるか:根拠資料で示せない情報は載せない。推測は書かない
- ③この相手に関係するか:相手の事業と接点のない情報は、量を増やすだけ
削った情報は捨てるのではなく、補足資料や別紙に回します。「詳細は別紙◯をご参照ください」と書いておけば、関心のある買い手は見ます。本体を薄く、別紙を厚く。この構造が、読み手の時間を守ります。
もう一つ、沿革と理念は短く。創業からの歴史を数ページ書いた資料をときどき見ますが、買い手の判断にはほとんど寄与しません。歴史が今の収益にどうつながっているか(長期の取引関係、蓄積された技術、地域での立場)を数行で書けば十分です。
送付後のフォローと、資料の更新
資料は、送って終わりではありません。実務は送った後に始まります。
- 受領確認と、読む時期の確認:「いつ頃ご覧いただけそうですか」と聞いておくと、フォローの時期が決まる
- 質問を記録する:同じ質問が複数の買い手から出たら、資料に足りない情報がある証拠
- 見送りの理由を聞く:規模、地域、業種、時期——理由が分かれば、次の案件の打診先選定に活きる
- 検討状況を定期的に確認する:社内のどの段階にあるか。止まっているなら、何が足りないか
- 資料を更新する:決算が確定した、月次が出た、状況が変わった。古い数字のまま検討が続くのは危険
特に資料の更新は忘れられがちです。検討が数か月に及ぶと、送った資料の数字が古くなります。決算期をまたいだのに旧年度の数字で議論が続き、デューデリジェンスで最新の数字が出てきて条件が変わる——これは避けられる事故です。版番号と作成日を入れ、更新したら差し替えを依頼してください。
そして最後に。提案資料の質は、その前の理解の質を超えません。会社を分かっていない人が作った資料は、どれだけ体裁を整えても薄い。現場を見て(「現地写真・図面の使い方」)、事実で書く(「IMの事業パートの書き方」)。ここに戻ってください。