本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。M&Aの実務で、若手が最初に直面する倫理的な難所が「リスク情報をいつ出すか」です。売り手は言いたくない。仲介者は案件を進めたい。しかし隠せば、必ず後で表面化します。私が後輩に最初に伝えるのは、この問題は「出すか隠すか」ではなく「いつ、どう出すか」の設計であるということです。本稿では、開示すべき情報の切り分け、タイミングの設計、書き方の型、売り手への説明、そして隠した場合の帰結までを整理します。

リスクは「出すか隠すか」ではなく「いつ、どう出すか」

前提として、隠すという選択肢は存在しません。デューデリジェンス(DD)は買い手が費用をかけて専門家に依頼する調査であり、労務・税務・法務のプロが資料と現場を見ます。中小企業の実務で起きがちな未払残業代、名義株、簿外の保証、許認可の不備は、いずれもDDで見つかる代表格です。「見つからないかもしれない」に賭ける仲介者は、その時点で職業人として失格です。

したがって設計すべきは次の三点になります。

  • いつ出すか:打診段階か、IM段階か、基本合意前か、DD段階か
  • どう出すか:書面か口頭か、どの粒度で、誰から誰へ
  • 何と一緒に出すか:事実だけを出すのか、対応策や見通しとセットで出すのか

この設計ができると、リスク情報は「案件を壊すもの」から「信頼を積み上げる材料」に変わります。実際、早い段階で正直に開示した案件のほうが、後半の交渉が安定します。

先に出すべき情報と、段階を分けてよい情報

切り分けの基準は、「それを知っていたら、買い手は検討そのものをやめたか」です。答えがイエスなら、早く出す。ノーなら、段階を分けてよい。

区分タイミング
前提を覆す情報係争中の重大な訴訟、許認可の取消・停止の可能性、主要顧客からの取引終了通知、債務超過の状況打診〜IM段階で必ず開示
価格に大きく影響する情報未払残業代の可能性、退職給付の引当不足、多額の簿外保証、名義株の存在、税務上の懸念IM〜基本合意前までに開示
条件設計に影響する情報チェンジ・オブ・コントロール条項のある主要契約、キーパーソンの退職意向、設備更新の必要性トップ面談〜基本合意前
DDで詳細を詰める情報個別契約の細目、在庫の品目別状況、労務管理の運用実態DD段階で資料開示
秘密保持上、段階を要する情報顧客名、従業員の個人情報、技術情報NDA締結後、段階的に。マスキングや閲覧限定も検討

注意してほしいのは、最下段の「秘密保持上、段階を要する情報」と、リスクの隠蔽は別物だということです。顧客名を後半まで開示しないのは正当な情報管理ですが、その顧客との取引が終了予定であることを伏せるのは隠蔽です。混同しないでください。

タイミングの設計|四つの節目で考える

実務では、四つの節目でリスク情報の棚卸しをします。

  • ①受託時:売り手へのヒアリングで論点を洗い出す。この段階で把握できた事実を一覧にし、開示方針を売り手と決める
  • ②IM作成時:資料に書く事実を確定する。書かないと決めた事項は、その理由を記録に残す
  • ③基本合意前:価格と主要条件が固まる直前。ここまでに「価格に影響する情報」は出し切る。ここを過ぎてから出ると、価格の再交渉になります
  • ④DD開始時:資料開示とあわせて、既知の論点を整理して提示する。買い手側専門家が発見する前に、こちらから出す

特に③が勘所です。基本合意の前に出せば「条件を決める材料」ですが、後に出せば「約束を覆す事情」になります。同じ事実でも、受け取られ方がまったく違う。基本合意前にすべて出し切る——これを社内の規律にしてください。基本合意の意義は「基本合意書の作成実務」を参照してください。

なお、①の段階で洗い出せるかどうかは、ヒアリングの質にかかっています。「何か問題はありますか」と聞いても出てきません。「残業時間の管理はどうされていますか」「株主名簿に載っている方で、実際にはご出資いただいていない方はいらっしゃいますか」——具体的に聞いてください。

リスクの書き方|事実・背景・現状・対応の四段

リスクを資料に書くときの型を示します。四段構成です。

  • ①事実:何が、いつから、どの程度あるのか。数字が分かるものは数字で
  • ②背景:なぜそうなったのか。業界慣行か、過去の経緯か、管理体制の問題か
  • ③現状:現在どう対応しているか。是正に着手しているなら、その進捗
  • ④対応の見通し:今後どう扱うか。譲渡前に解消するのか、契約で手当てするのか、買い手の判断に委ねるのか

例を挙げます。「①一部の従業員について、時間外労働の割増賃金の算定方法に見直しの余地がある。②固定残業代を導入した際の設計に起因するもので、◯年から現在まで同じ運用が続いている。③◯年◯月に社会保険労務士に相談し、就業規則の見直しに着手している。④想定される負担額の試算と是正の方針について、専門家の助言を踏まえてご説明したい」

この書き方には三つの効果があります。第一に、事実と評価が分離される。仲介者が重大性を断定しないで済みます。第二に、対応の議論に進める。買い手は価格反映、表明保証、特別補償、クロージング前の是正といった選択肢を検討できます。第三に、売り手の姿勢が伝わる。隠していないこと自体が信頼になります。

逆に避けるべきは、「軽微な問題があります」といった評価だけの記述と、「問題ありません」という断定です。仲介者は事実を伝える人であって、重大性を判定する人ではありません

売り手に開示を促すときの説明

実務で一番難しいのは、資料の書き方ではなく、売り手に開示を納得していただくことです。オーナーが開示をためらう理由は、おおむね次のいずれかです。

  • 恥ずかしい:管理が行き届いていないことを知られたくない
  • 価格が下がる:不利な情報で評価が落ちると考えている
  • 従業員に迷惑がかかる:労務の問題が表沙汰になることを恐れている
  • 大した問題ではないと思っている:業界では普通のことだと考えている

理由によって説明を変えます。「恥ずかしい」には、中小企業で広く見られる事象であり、買い手も想定していることを伝えます。「価格が下がる」には、後から判明したほうが下がり幅は大きく、案件自体が飛ぶこともあると具体的に説明します。「従業員に迷惑」には、開示先が限定され、秘密保持契約で守られていることを説明します。「大した問題ではない」には、買い手側の専門家がどう見るかは別であることを伝えます。

そして、必ず「隠したときに起きること」を具体的に話す。抽象的に「良くないですよ」と言っても伝わりません。伝え方の技術は「悪い知らせの伝え方」を参照してください。

それでも開示を拒まれ、その情報が買い手の判断に重大な影響を与えるものであるなら、仲介者は案件の進め方そのものを再検討しなければなりません。受託を続けるかどうかの判断も、仲介者の職業上の責任です。

隠した場合に何が起きるか|表明保証と信頼の話

最後に、隠した場合の帰結を整理します。三つの層で問題が起きます。

①契約上の問題

最終契約では、売り手が一定の事項について事実であることを表明し保証します。開示されていない事実が後に判明すれば、表明保証違反として補償請求の対象になり得ます。逆に、DDで開示した事項は「開示済み」として保証の対象から除外される設計が採られることもあります。つまり、開示は売り手を守る仕組みでもあるのです。この構造は「表明保証とは」に詳しく書いています。

②案件進行上の問題

DDの終盤で重大な事実が判明すると、価格の再交渉、条件の厳格化、最悪の場合は破談になります。それまでに双方が費やした時間と、買い手が負担した専門家費用は戻りません。案件が壊れる典型例は「案件が壊れるパターン」にまとめています。

③信頼の問題

そして最も重いのがこれです。隠していたと受け取られた瞬間、それまでに積み上げた説明のすべてが疑われます。「他にも隠していることがあるのでは」と。一つの隠蔽は、開示済みの情報の信頼まで巻き添えにします

仲介者自身の責任も問われます。事実を知りながら開示しなかった、あるいは矮小化して伝えた場合、両当事者の判断を誤らせたことになります。中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)が求める誠実な業務遂行の観点からも、許されるものではありません。

私は後輩に、こう言っています。「言いにくいことを先に言える人が、最後まで信頼される」。リスクの開示設計は、テクニックである以前に、この仕事に対する姿勢そのものです。職業倫理の全体像は「M&A仲介の職業倫理」を参照してください。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における会計・税務・法務の判断は、公認会計士・税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.離れる買い手はいます。しかしそれは、後で判明すれば同じく離れる買い手です。先に開示した場合との違いは、離れる時期と、それまでに双方が費やす時間と費用です。デューデリジェンスの段階まで進んでから重大な事実が判明すると、専門家費用や社内工数が無駄になり、売り手の評判にも影響します。早く正直に出すことは、結果として売り手を守ります。
A.基準は「買い手が知っていれば判断が変わりうる情報かどうか」です。金額の大小だけで決めないでください。少額でも、繰り返し発生している労務問題や、許認可に関わる不備は判断を大きく左右します。逆に、日常的な取引上の軽微な事象まで網羅する必要はありません。判断に迷う場合は、書かない理由を説明できるかを自問し、説明できなければ書くという運用が安全です。
A.まず、消極的な理由を聞きます。恥ずかしい、価格が下がる、従業員に迷惑がかかる——理由によって説明が変わります。そのうえで、デューデリジェンスで判明する可能性の高さと、判明したときに何が起きるかを具体的に伝えます。それでも開示を拒まれ、その情報が買い手の判断に重大な影響を与えるものである場合は、仲介者として案件の進め方そのものを再検討する必要があります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら