複数の買い手から条件が提示され、金額が近い水準で並んだ。このとき、何を基準に選べばよいのでしょうか。実務では、提示額の差が数パーセントの範囲に収まることは珍しくありません。そして、その差よりも大きな違いが、価格以外の項目に潜んでいることがよくあります。比較の軸を整理します。
まず、提示額を同じ土俵に並べ直す
比較の第一歩は、金額を「同じ条件の数字」に直すことです。意向表明書の金額は、そのままでは比べられないことがあります。
典型的なのは、価格の前提が異なる場合です。役員退職慰労金を別に支払う前提の金額と、それを含んだ金額。純資産の増減による調整があるものと、ないもの。借入金の扱いが織り込まれているかどうか。前提が違えば、表面の金額が高いほうが手取りで劣るということが起こります。
さらに、税金の扱いも比較に影響します。株式の譲渡対価として受け取る部分と、役員退職慰労金として受け取る部分では、課税の仕組みが異なります。手取りベースでの比較を行うには、税務の検討が欠かせません。この論点は「役員退職金を活用した会社売却」でも扱っています。
※ 課税関係は個別の事情によって異なります。手取り額の試算にあたっては、必ず税理士等の専門家にご確認ください。
支払いの方法と時期を確認する
同じ金額でも、いつ、どのような形で受け取るかによって、実質的な価値は変わります。
最も単純なのは、クロージング時に全額を現金で受け取る形です。一方で、一部を数年にわたって分割する、業績の達成度に応じて追加の対価を支払う(アーンアウト)、株式の一部を残して段階的に譲渡する、といった設計が提案されることもあります。
これらは一概に悪い条件ではありません。将来の成長を対価に反映できる場合もあります。ただし、受け取れるかどうかが譲渡後の業績や買い手の意向に左右されるという点は、必ず理解しておく必要があります。アーンアウトの考え方は「アーンアウト条項とは」をご覧ください。
比較の際は、「確実に受け取れる金額」と「条件付きの金額」を分けて並べてください。総額では上回っていても、確実な部分では下回るという提示は、実際によくあります。
従業員・取引先・屋号の扱い
多くの経営者様にとって、価格と同じかそれ以上に重いのがこの部分です。意向表明書には、雇用の維持、処遇の方針、拠点の継続、屋号の扱いといった項目が書かれることがあります。
ただし、意向表明書の記載は多くの場合、法的拘束力を持ちません。ですから、書かれた文言だけを見るのではなく、その裏づけを確認することが重要です。買い手が過去に買収した会社で、実際に雇用や拠点をどう扱ってきたか。統合の方針として、どの程度の期間を見ているか。面談の場で具体的に尋ねる価値があります。
また、「当面は維持します」という表現の「当面」が何年を指すのかは、買い手によって理解が異なります。曖昧なまま合意すると、後で認識のずれが表面化します。重要な項目については、基本合意書や最終契約書にどう書き込むかを含めて検討してください。譲渡後の統合の進み方は「PMI(統合プロセス)とは」で解説しています。
社長自身の関与と、経営者保証の扱い
譲渡後に社長がどのくらい会社に残るかは、買い手ごとに考え方が大きく違います。すぐに退任してよいという買い手もあれば、三年程度は残ってほしいという買い手もあります。ご自身の希望と合っているかは、金額と同じ重さで検討すべき項目です。
残る場合には、役職、報酬、業務の範囲、そして退任の時期をどう決めるかまで確認します。「顧問として関与」とだけ書かれていて、実態が決まっていないというケースは少なくありません。引き継ぎの設計は「引き継ぎ計画の作り方」をご覧ください。
もう一つ、必ず確認すべきなのが経営者保証の扱いです。会社の借入に個人保証をつけている場合、その解除がいつ、どのような形で行われるのかは、譲渡の実質的な条件です。買い手が金融機関と交渉する前提なのか、クロージングの条件とするのか。ここが曖昧な提示は、金額が高くてもリスクを抱えます。詳細は「経営者保証の解除」で解説しています。
実行までたどり着けるかどうか
見落とされやすい、しかし決定的に重要な軸が、その買い手が本当に取引を完了させられるかという点です。どれほど条件が良くても、途中で止まれば意味がありません。
確認したい点は主に四つです。第一に、資金の裏づけです。自己資金で賄うのか、金融機関からの借入を前提とするのか。借入前提であれば、金融機関との調整がどの段階にあるのかを確認します。第二に、社内の意思決定です。意向表明が取締役会の承認を経たものか、担当部門の意向にとどまるのか。
第三に、M&Aの経験です。過去に買収を実行した経験がある企業は、調査や契約の進め方に見通しを持っています。初めての買収であれば、丁寧に進める分だけ時間がかかる傾向があります。第四に、必要な許認可や届出の有無です。規模によっては独占禁止法上の届出が必要になることもあります(「M&Aと独占禁止法」)。
なお、これらの検討期間がどれくらいかかるかは案件によって異なります。期間の長短そのものより、途中で止まる要因がどこにあるかを見極めることが重要です。
まとめ|金額だけを並べても、比べたことにならない
提示された条件を比べるときは、まず前提を揃えて手取りベースの金額に直します。そのうえで、支払いの方法と時期、従業員・取引先・屋号の扱い、社長自身の関与と経営者保証の解除、そして実行までたどり着けるかという確実性を並べて見ます。
金額の差が数パーセントにとどまるとき、これらの項目の違いは、しばしばその差を上回ります。とくに経営者保証の解除と実行確実性は、うまくいかなかったときの影響が大きい項目です。
当社では、各社の提示条件を同じ形式に整理し、手取りの試算や、書かれていない前提の確認まで含めてご説明しています。どこを重視するかは経営者様のご判断ですが、比べるための材料は揃えてお出しします。