「契約書に署名した日が、会社を引き渡す日ではないのですか」——最終契約のスケジュール説明を受けた経営者様から、しばしばいただく質問です。

M&Aでは、最終契約を締結する日(サイニング)と、代金の決済と株式の引渡しを行う日(クロージング)が、別の日になることがあります。同じ日に行う取引もありますが、どちらになるかによって、売り手の準備も、抱えるリスクも変わってきます。本稿では、なぜ両者が分かれるのか、その間に何が行われるのか、そして期間中のリスクが契約でどう扱われるのかを整理します。

同日で終わる取引と、間が空く取引

まず、二つの型を確認しておきましょう。

同日クロージングは、最終契約の締結と決済を同じ日に行う形です。株主が少なく、許認可の手続も不要で、取引先の同意も要らない——そうした条件が揃っている案件では、この形が採られます。売り手にとっては、署名したその日に対価を受け取れるという明快さがあり、契約から決済までのリスクも生じません。

分離型は、サイニングとクロージングの間に一定の期間を置く形です。中小企業のM&Aでも、次のような事情があると分離型になります。

分離が必要になる事情内容
許認可・行政手続事業に必要な許認可について、事前の届出や承認が求められる業種がある
取引先の同意チェンジオブコントロール条項がある重要契約について、相手方の承諾を得る必要がある
金融機関との調整借入の承諾、経営者保証の解除、担保の扱いについて調整が必要な場合
会社内部の手続株主総会や取締役会での株式譲渡承認、株主名簿の整備、名義株の解消など
買い手側の準備買収資金の調達、社内の最終承認、独占禁止法上の届出が必要な場合の待機期間
売り手側の整理役員貸付金の清算、不要資産の処分、対象外とする資産の移管

つまり、分離型になるのは「決済の前に済ませておかなければならない作業がある」からです。期間の長さも、その作業の内容によって決まります。どちらの型になるかは案件の事情次第であり、一般的な日数を申し上げることはできません。

クロージングの前提条件(CP)という仕組み

サイニングとクロージングが分かれる取引では、契約書に「クロージングの前提条件」(CP:Conditions Precedent)という条項が置かれます。これは、決済を行うために満たされていなければならない事柄のリストです。条件が満たされていなければ、相手方は決済を拒否できます。

売り手側が満たすべき前提条件として、次のようなものが挙げられます。

  • 表明保証が、クロージング日においても重要な点で真実かつ正確であること
  • クロージングまでに履行すべき誓約事項が、重要な点で履行されていること
  • 株式譲渡について、取締役会または株主総会の承認が得られていること
  • 指定された役員が辞任届を提出していること
  • 必要な許認可の手続、取引先の同意が得られていること
  • 役員貸付金の清算など、個別に定められた事項が完了していること
  • 重大な悪影響を及ぼす事象が生じていないこと

これらの条件を満たす実務は、売り手にとってクロージングまでの主要な仕事になります。何を、誰が、いつまでに行うかを一覧にして管理することが不可欠です。具体的な進め方は「クロージング条件を満たす作業|売り手側の準備」で詳しく扱っています。

なお、条件が満たされない場合でも、相手方がその条件を放棄して決済に進むことは可能です(ウェイバー)。軽微な未充足であれば、実務上はそのように処理されることもあります。

期間中のリスクをどう分けるか|MAC条項と解除

サイニングからクロージングまでの間、会社の所有者はまだ売り手です。しかし、この期間に会社に何か起きたら、その影響を誰が負うのか。契約はこの点についても定めを置きます。

重大な悪影響がないこと(MAC条項)。対象会社の財政状態や事業に重大な悪影響を及ぼす事象が生じていないことを、クロージングの前提条件とする定めです。大規模な災害で主要工場が稼働できなくなった、主要取引先を失った、といった事態が生じた場合に、買い手が取引の実行を見直せるようにするものです。

売り手として確認すべきは、「重大な悪影響」の定義の広さです。定義が広ければ、買い手が決済を拒める場面が増えます。逆に、景気変動や業界全体に及ぶ事象など、対象会社固有ではない要因を除外する定めが置かれていれば、売り手にとっては予測可能性が高まります。

解除条項。一定の事由が生じた場合に、契約を解除できる旨の定めです。前提条件が一定期日までに満たされない場合、相手方に重大な違反があった場合などが典型です。あわせて、解除期限(ロングストップ・デート)——この日までにクロージングできなければ契約は終了する、という日——が設定されることもあります。

期間が長引くほど、双方にとって不確実性は増します。売り手としては、前提条件の数を必要最小限に絞り、期間を短くすることが、取引を確実に着地させるうえで有利に働きます。どの条件が本当に必要なのかは、契約交渉の段階で検討する価値があります。

※ 本稿はサイニングとクロージングに関する一般的な実務の考え方をご紹介するものであり、個別の法務アドバイスではありません。前提条件やMAC条項の解釈、解除の可否は契約の文言と事実関係によって異なります。実際のご検討にあたっては、必ず弁護士等の専門家にご確認ください。

この期間、売り手は何をしているか

実務的な視点で、サイニングからクロージングまでの売り手の作業を並べてみます。

社内手続の実行。株式譲渡の承認決議、株主名簿の確認、議事録の作成。定款に株式の譲渡制限がある会社では、この承認手続が必須です。「M&Aで必要な株主総会・取締役会の決議|株式譲渡承認の実務」をご覧ください。

書類の準備。印鑑証明書、登記事項証明書、役員の辞任届、株主名簿、定款の写し。取得に日数がかかるものもありますので、必要書類の一覧を早めに受け取っておくことが大切です。

個別に求められた整理。役員貸付金の清算、事業に関係のない資産の処分、名義の変更など、契約で定められた事項を実行します。

金融機関との調整。借入がある場合、金融機関への説明と、経営者保証の取扱いについての調整が必要になります。保証の解除は売り手にとって極めて重要な事項ですので、決済までに確実に段取りをつけてください。

従業員への説明準備。多くの案件では、クロージングの直前または直後に従業員へ開示します。誰が、いつ、どの順番で、何を話すかを、買い手と打ち合わせて決めておきます。「会社売却を従業員にいつ・どう伝えるか|開示のタイミングと注意点」もご参照ください。

そして、通常どおりの経営。誓約事項に従い、事前承諾が必要な行為を避けながら、日々の事業を維持します。この期間は緊張が続きますが、会社の価値を保つことが、最後の仕事でもあります。

売り手として気をつけたいこと

この期間について、実務を通じて特にお伝えしたい点が三つあります。

第一に、署名した時点ではまだ終わっていないという認識を持つこと。最終契約書に署名すると、大きな達成感があります。しかし、決済が完了するまで取引は確定していません。前提条件が満たされなければ、そこで止まる可能性もあります。気を緩めず、残りの作業を確実に進めてください。

第二に、予定している行為を先に伝えておくこと。この期間に予定している決算の確定、賞与の支給、設備の更新、契約の更新といった行為が、事前承諾の対象になっていないか。契約交渉の段階で洗い出し、必要なら例外として明記しておけば、後で慌てずに済みます。

第三に、期間を延ばす要因を早く潰すこと。前提条件の充足に時間がかかるほど、双方の不安は増し、予期しない出来事が起きる余地も広がります。書類の取得、行政手続、金融機関との調整など、着手できるものは契約締結前から準備を進めておくことをおすすめします。

なお、当社の報酬体系では、相談料・着手金・月額報酬は0円、中間金は基本合意の時点で成功報酬額の10%をお預かりし、成約時に成功報酬から全額を差し引きます(基本合意後に不成立となった場合、返金はいたしません)。ただし、基本合意後に不成立となった場合、返金はいたしません。この点も含めて、取引を確実に着地させることの重要性をご理解いただければと思います。

まとめ|署名から決済までが、最後の工程

サイニングとクロージングが分かれるのは、決済の前に片づけておかなければならない作業があるからです。許認可、取引先の同意、金融機関との調整、社内手続——いずれも、会社を確実に引き渡すために必要な準備です。

この期間、売り手は前提条件を満たす作業を進めながら、通常どおりの経営を維持するという二つの仕事を同時にこなすことになります。負担は小さくありませんが、ここを丁寧に進めることが、決済日を予定どおり迎えるための条件です。

クロージング当日の流れについては「クロージングとは|M&A最終契約後の手続きと当日の流れ」で詳しく整理しています。あわせてご覧ください。

当社プラチナパートナーズでは、契約締結から決済までの工程管理を、譲渡企業様と並走しながらお手伝いしています。何を、いつまでに、誰が行うのか。一覧にして進捗を追う地味な作業こそ、この局面では最も価値があると考えています。どうぞお気軽にご相談ください。

よくあるご質問

A.同日クロージングであれば、締結日に決済まで完了します。一方、許認可の手続や取引先の同意取得、金融機関との調整、社内の承認手続などが必要な場合は、締結日と決済日が分かれます。どちらになるかは案件の事情によりますので、日程の見通しは契約交渉の段階でアドバイザーを通じて確認しておいてください。
A.相手方は決済を拒否でき、契約に定められた解除事由に該当すれば契約が終了することもあります。ただし、軽微な未充足であれば相手方がその条件を放棄して決済に進むこともあります。いずれにせよ、前提条件は売り手にとってクロージングまでの主要な仕事ですので、何を誰がいつまでに行うかを一覧にして管理することが重要です。
A.多くの契約には、対象会社に重大な悪影響を及ぼす事象が生じていないことをクロージングの前提条件とする定め(MAC条項)が置かれます。通常の業績変動が直ちに該当するわけではありませんが、定義の広さによって買い手が決済を見直せる場面は変わります。景気変動など対象会社固有でない要因を除外する定めがあるかを含め、契約交渉の段階で弁護士等の専門家にご確認ください。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら