Web制作会社の経営者様から、「会社の価値をどう見られるのか分からない」というご相談をよくいただきます。工場も設備も在庫もない。資産の大半は人と、これまで積み上げてきた取引先との関係。財務諸表を見ても、事業の実力が読み取りにくい——これはWeb制作をはじめとする受託型のクリエイティブ事業に共通する特徴です。本稿では、Web制作会社のM&Aで買い手が何をどう見るのか、そして譲渡を検討する側が何を整えておくべきかを、収益構造・属人性・外注体制・継続契約という四つの観点から整理します。
Web制作会社のM&Aが増えている背景
Web制作領域でM&Aが検討される理由は、事業承継だけではありません。買い手側にも明確な動機があります。
人材の獲得
デザイナー、フロントエンド・バックエンドのエンジニア、ディレクター。これらの職種は採用競争が激しく、必要な人数と質を揃えるには時間がかかります。すでに機能しているチームを丸ごと迎え入れられることは、買い手にとって大きな価値です。
機能の補完
広告やマーケティングを手がける事業者が制作機能を取り込む、システム開発を手がける事業者がデザインとフロントエンドの力を加える、といった補完的な組み合わせが考えられます。互いの弱みを埋め合う形は、統合後の絵が描きやすいパターンです。
顧客基盤の獲得
制作会社が持つ取引先との関係は、そのまま新しい提案の入口になります。既存の顧客に自社のサービスを提案できるという発想は、買い手にとって分かりやすい動機です。
後継者不在は業種を問わない課題で、帝国データバンクの2025年調査では後継者不在率は50.1%とされています。レコフデータによれば2025年のM&A件数は5,000件を超え、2年連続で過去最多となりました。IT・Web領域は、買い手側の動機がはっきりしている分野のひとつです。関連する領域については「IT・SaaS企業のM&A」もあわせてご参照ください。
受託とストック|収益構造の違いが評価を分ける
Web制作会社の企業価値を考えるうえで、最初に整理すべきは収益がどのように発生しているかです。
| 収益の種類 | 内容の例 | 買い手から見た特性 |
|---|---|---|
| 受託(フロー) | サイト制作、リニューアル、キャンペーンサイトなど、案件ごとに発生する収益 | 案件が終われば収益も終わる。将来の見通しを立てにくいが、単価は大きくなりやすい |
| 保守・運用(ストック) | 月額の保守契約、サーバー管理、コンテンツ更新代行など | 継続的に発生するため見通しを立てやすい。積み上がった分だけ安定性の評価につながる |
| 自社サービス | 自社で開発・提供しているツールやサービスの利用料 | 成長性が評価されうる一方、開発・維持のコストと市場性を個別に見られる |
受託型が中心の会社であっても、それが不利というわけではありません。買い手が見るのは、「繰り返し発生している部分がどれだけあるか」です。同じ取引先から毎年発注が続いている、リニューアル後も運用の相談が来ている、紹介による新規案件が安定して入ってきている——こうした継続性を示せれば、フロー型であっても将来の見通しは立ちます。
そのために整理しておきたいのが、取引先別・年度別の売上推移です。上位の取引先が売上の何割を占めるか、そのうち何社が複数年にわたって継続しているか。この数字が、事業の安定性の説明そのものになります。特定の一社に依存している場合は、その関係の継続性について買い手が必ず質問しますので、あらかじめ説明を用意しておくとよいでしょう。企業価値の考え方については「企業価値評価の考え方」で解説しています。
属人性をどう扱うか
Web制作会社のM&Aで、買い手が最も注意深く見るのが属人性です。制作の品質も、顧客との関係も、人に紐づいているのがこの業態の本質だからです。
経営者への集中
小規模な制作会社では、経営者が営業の窓口であり、ディレクターであり、時には制作者でもあるという状態が珍しくありません。この場合、買い手は「経営者が退いた後に受注と制作が回るのか」を確認します。
実務上は、譲渡後も一定期間は前経営者が関与して引き継ぎを行う設計がよく用いられます。ただしそれは移行期間の措置であり、最終的には他のメンバーが役割を担える形にする必要があります。譲渡を検討し始めた段階から、営業の窓口や制作の判断を移せる部分から移していくことが、実務的な準備になります。
キーパーソンの残留
経営者以外にも、特定のデザイナーやエンジニアが事業の中核を担っているケースがあります。買い手はその人材が承継後も残るかを重視します。譲渡条件の交渉においても、キーとなる人材の処遇や継続勤務の意向が論点になることは珍しくありません。
組織として動いている部分を示す
属人性を完全になくすことはできませんし、その必要もありません。重要なのは、何が属人的で、何が組織として回っているのかを説明できることです。案件管理の仕組み、制作フローの標準、レビューの体制、ナレッジの蓄積。こうした仕組みが機能している部分を示せれば、買い手は引き継ぎの絵を描きやすくなります。
従業員への説明のタイミングと伝え方は、この業態では特に慎重さが求められます。転職の選択肢が多い職種であるだけに、不安を与えれば離職につながりかねません。詳しくは「M&Aと従業員への説明」をご参照ください。
外注体制と成果物の権利の整理
Web制作では、案件の一部または大部分を外部のパートナーに委託することが一般的です。この外注体制も、デューデリジェンスで確認される領域です。
外注そのものは問題視されない
外注を活用していること自体が評価を下げるわけではありません。買い手が見るのは次の点です。
- 安定性——継続的に依頼できる関係が築けているか、繁忙期にも供給力を確保できるか
- 依存度——特定の外注先に過度に依存していないか、その先が離れたときに代替できるか
- 品質管理——外注した成果物のレビューや検収の仕組みがあるか
- 契約——業務委託契約が書面で交わされ、条件が明確になっているか
成果物の権利の帰属
制作した成果物の著作権が誰に帰属するのか、クライアントとの契約でどう定められているのか、外注先との間ではどう整理されているのか。これらは買い手が必ず確認する事項です。
実務では、契約書の記載が曖昧なまま長年運用されているケースも見受けられます。譲渡を検討する段階で、クライアントとの契約書、外注先との業務委託契約書を一度点検し、権利関係の記載を確認しておくことをおすすめします。使用しているソフトウェアやフォント、素材のライセンスが適正に管理されているかも同様です。
著作権をはじめとする知的財産権の帰属、ライセンスの適法な利用範囲、契約書の解釈は、個別の契約内容によって結論が変わります。本稿の記述は一般的な整理であり、具体的な判断については弁護士等の専門家にご確認ください。
継続保守契約をどう評価するか
月額の保守・運用契約は、Web制作会社の事業価値を支える重要な要素です。買い手にとっては将来の収益が読める部分であり、評価の対象として重視されます。
ただし、「月額契約があるから安定している」と単純に言い切れるわけではありません。買い手は次のような点を確認します。
- 契約の実態——書面の契約があるのか、慣行として継続しているだけなのか
- 契約期間と更新条件——自動更新か都度更新か、解約の通知期間はどうなっているか
- 継続年数——各契約がどれだけの期間続いているか、直近で解約が増えていないか
- 提供している内容——実際にどのような業務を行っており、それに見合う対価になっているか
- 採算——保守にかかっている工数と収入のバランス、実質的な利益が出ているか
- 技術的な引き継ぎやすさ——使用している技術やサーバー環境、ドキュメントの整備状況
特に見落とされやすいのが最後の点です。保守契約が存在しても、その運用が特定の担当者の頭の中にしかなければ、引き継ぎは容易ではありません。管理しているサイトの一覧、サーバーやドメインの情報、技術構成の記録を整理しておくことは、それ自体が事業価値の説明材料になります。
収益の評価にあたっては、経営者様個人に関わる費用や一時的な費用を調整した実質的な利益で見るのが一般的です。この考え方は「実質利益(正常収益力)の考え方」で詳しく解説しています。
譲渡前に整えておきたい準備
Web制作会社の譲渡を検討するにあたり、早めに着手しておきたい準備を整理します。
- 取引先別・年度別の売上を出す——上位取引先の構成比、継続年数、フローとストックの内訳
- 保守契約の一覧化——契約先、月額、開始時期、契約書の有無、提供内容、担当者
- 契約書の点検——クライアントとの契約、外注先との業務委託契約、権利の帰属に関する記載
- ライセンス管理の確認——使用しているソフトウェア、フォント、素材の利用条件
- 人員と役割の可視化——誰がどの案件のどの工程を担当しているか、経営者に集中している役割は何か
- 技術情報の整理——管理サイト一覧、サーバー・ドメイン情報、開発環境とドキュメント
これらは買い手に説明するための資料であると同時に、経営者様ご自身が自社の実態を把握し直す作業でもあります。準備すべき資料の全体像は「M&Aに必要な書類」で整理していますので、あわせてご覧ください。
まとめ|「人と関係」を説明できる形にする
Web制作会社の価値は、貸借対照表にはほとんど現れません。価値の実体は、働く人と、積み上げてきた取引先との関係にあります。だからこそ、その二つを言葉と数字で説明できる形に整えることが、M&Aの準備そのものになります。
属人性があること、外注を活用していること、受託中心であること——これらは隠すべき弱点ではなく、正確に説明すべき事実です。実態を明らかにしたうえで、それを引き継げる相手を選ぶ。その順序で進めることが、経営者様にとっても、働くメンバーにとっても、最も納得のいく着地につながります。全体の流れは「M&Aの流れ」を、検討開始の目安は「M&Aを検討すべきタイミング」をご参照ください。