買収の検討が基本合意まで進むと、次はデューデリジェンス(DD)です。このときほぼ必ず出てくるのが「どこまで調べればよいのか」という問いです。調べれば調べるほど安心ではありますが、費用も時間も無限にあるわけではなく、売り手の対応負担にも限りがあります。本稿では、調査範囲(スコープ)を何を基準に決めるのか、簡易な確認で足りる場合と広げるべき場合の線引き、そして範囲を絞ったときに残るリスクをどう手当てするかを整理します。DD全体の流れについては「買い手のデューデリジェンス|調査範囲・費用・進め方の実務」もあわせてご覧ください。

調査範囲は「予算」ではなく「論点」から決める

範囲の決め方には二つの流儀があります。一つは「これくらいの予算で収まる範囲にする」という決め方、もう一つは「この会社で判断を左右しそうな論点はどこかを先に洗い出し、そこに手を厚くする」という決め方です。実務として機能するのは後者です。予算から入ると、重い論点に薄い調査を当ててしまい、軽い論点に同じだけの労力を使うという配分の失敗が起きやすくなります。

論点から設計するには、DDに入る前の材料を読み込む作業が欠かせません。企業概要書、決算書三期分、トップ面談での説明、現地の印象——この段階で「この会社はここが危ういのではないか」という仮説をいくつか立てます。仮説がないままDDに入ると、専門家から出てきた報告書を読んでも、どこが重要なのかを判断できません。

もう一つ意識したいのは、調査範囲は買い手側の事情でも変わるという点です。同じ会社を買うのでも、同業として取り込む買い手と、初めてその業界に入る買い手とでは、自力で判断できる領域が違います。自社の事業部門が中身を読める領域は薄くしてよく、読めない領域は外部の目を入れる——この振り分けが、結果として費用対効果を高めます。

範囲を決めるのは、専門家ではなく買い手自身の仕事です。専門家に「一般的にはどこまでやりますか」と尋ねれば、当然ながら網羅的な提案が返ってきます。それを取捨選択できるのは、買収の目的と、買った後に何をするつもりかを知っている買い手だけです。

範囲を決める前に整理しておく四つの材料

スコープ設計の前提として、次の四つを言葉にしておくと判断がぶれません。

  • 買収の目的——顧客基盤が欲しいのか、人材や技術が欲しいのか、許認可や拠点が欲しいのか
  • 価格の前提——どの数字を信じて価格を出したのか。その数字が崩れると判断が変わるのはどこか
  • 買った後の運営体制——現経営者に残ってもらうのか、自社から人を送るのか
  • 許容できないリスクの種類——金額の大小ではなく、性質として飲めないものは何か

たとえば「顧客基盤が欲しい」という買収であれば、顧客との契約がどうなっているか、取引が属人的でないか、チェンジオブコントロール条項の有無といった点が中心の論点になります。一方で「許認可と拠点が欲しい」のであれば、許認可の承継可否と不動産の権利関係が最優先になり、顧客構成の分析はそこまで深くなくてもよい、という判断があり得ます。

価格の前提を書き出す作業も有効です。営業利益に役員報酬の一部を足し戻して価格を組み立てたのなら、その足し戻しが妥当かを検証することが財務DDの最重要テーマになります。逆に、純資産を基準に価格を組んだのなら、資産の実在性と簿外債務の有無に重点が移ります。何を検証すればよいかは、価格の作り方が決めているのです。

許容できないリスクを先に決めておくと、撤退の判断も速くなります。たとえば「反社会的勢力との関係が疑われる事実が出たら、金額の大小にかかわらず撤退する」「粉飾の痕跡が出たら撤退する」といった線です。これを事前に社内で合意しておくと、DDの終盤で情に流された判断をしにくくなります。

簡易な確認にとどめてよい場合

すべての案件にフルスコープのDDが必要なわけではありません。次のような条件が重なるときは、領域を絞った簡易な確認で進める判断があり得ます。

  • 譲渡価格が小さく、想定されるリスクの最大額が自社の体力の範囲に収まる
  • 事業がシンプルで、取引先も従業員も少なく、確認すべき契約が限られている
  • 買い手自身が同じ業界で事業を営んでおり、事業の中身を自力で読める
  • 株式ではなく事業譲渡で、引き継ぐ資産と契約を個別に選べる
  • 不動産や在庫といった重い資産を持たず、貸借対照表が単純である

とりわけ事業譲渡は、原則として買い手が引き継ぐ対象を選べるスキームですので、対象外とした債務や契約に関する調査の必要性は相対的に下がります。ただし従業員の転籍、許認可の取り直し、取引先との契約の巻き直しといった別の手間が生じますので、「調査が軽くなる=楽になる」わけではありません。スキームごとの違いは「株式譲渡と事業譲渡どちらで買うか|買い手から見た比較」でも整理しています。

簡易にする場合でも、省いてはいけない確認があります。株式を取得するなら株主名簿と名義株の有無、事業に許認可が要るならその承継可否、労働集約的な事業なら未払残業代の有無です。これらは金額の大小にかかわらず、取引そのものの成否や、買収後の事業継続に直結します。

逆に言えば、簡易にできるのは「起きても取り返しがつく」領域だけです。取り返しがつかない領域は、案件が小さくても手を抜けません。

範囲を広げるべきサインはどこに出るか

次のような兆候があるときは、当初の想定より範囲を広げる判断が必要になります。

  • 決算書の数字が、現地で見た事業規模の実感と合わない
  • 短期間に会計事務所や主要な役員が交代している
  • 売上の大半が一社または一人の営業に依存している
  • 関連会社やオーナー個人との取引が多く、資金の流れが入り組んでいる
  • 簡単に出てくるはずの資料が、理由の説明なく遅れる

とくに関係会社間の取引が多い会社は、単体の決算書だけを見ても実態がつかめません。グループ全体で人件費や家賃を按分している、在庫を行き来させている、資金を融通している——こうした構造があると、買収後に対象会社だけが切り離されたときの損益が、決算書の姿とは別物になることがあります。この場合は、対象会社単体としての収益力を組み直す作業まで範囲に含めるべきです。

資料が出てこないこと自体もサインです。悪意があるとは限らず、単に作成していないだけのことも多いのですが、いずれにせよ「管理が行き届いていない会社」であることは分かります。管理が弱い会社ほど、簿外の債務や労務の未整備が潜んでいる確率は上がります。範囲を広げる判断材料として扱ってよい情報です。

範囲を広げると決めたら、その時点で売り手と仲介会社に伝え、日程を組み直します。黙って質問だけを増やすと、売り手の負担が読めないまま膨らみ、関係が硬くなります。「ここが読み切れないので追加で見たい」と理由を添えて伝えるほうが、結果として協力を得やすくなります。

領域ごとに深度を変えるという発想

スコープの設計は「やる・やらない」の二択ではありません。同じ財務DDでも、三期分の試算表を突き合わせるだけの確認と、勘定科目の内訳まで遡って証憑を確認する作業とでは、深さがまったく違います。領域ごとに深度を三段階くらいに分けて設計すると、費用と安心のバランスを取りやすくなります。

深度やること向いている場面
確認資料の有無と整合性を見る。疑問点を質疑応答で解消するリスクが小さいと見込まれる領域
検証数字の裏づけとなる証憑や現物を抽出して突き合わせる価格の前提に関わる領域
精査過年度に遡り、網羅的に証憑を確認し、金額を再計算する判明済みの問題や、撤退基準に触れる領域

この表を専門家との打ち合わせに持ち込み、「この領域は検証まで、この領域は確認まで」と合意しておくと、見積りの前提が明確になり、後から作業が膨らむことも防げます。専門家側も、どこに時間を使うべきかが分かるため、報告書の質が上がります。

費用については、依頼する領域の数、対象会社の規模と拠点数、資料の整備状況、調査の深度によって大きく異なります。一律の目安を申し上げられる性質のものではありませんので、範囲と深度を固めたうえで複数の専門家から見積りを取り、内容を比べてご判断ください。

なお、DDの費用は成約に至らなかった場合でも発生します。だからこそ、DDに入る前のトップ面談や条件のすり合わせで買収の意思を固めておくことが、結果的に無駄な支出を抑えることにつながります。

まとめ|範囲を絞ったら、残したリスクを契約で手当てする

調査範囲を絞るということは、見ていない領域を残すということです。そこを放置すると、絞った意味が「安く済んだ」だけになってしまいます。見ていない領域は、最終契約の表明保証や特別補償、あるいはクロージング前提条件で手当てするのが実務の基本です。「調べなかったので分からない」ではなく「調べない代わりに、事実と違ったら売り手に補償してもらう」と設計を変えるわけです。

ただし、補償は相手に支払い能力があって初めて機能します。譲渡対価を受け取った売り手が、その後どの程度の資力を保つのかは案件によって異なりますので、補償の実効性をどう確保するかまで含めて考える必要があります。補償の枠組みについては「最終契約で買い手が確認する条項|表明保証と補償の設計」をご覧ください。

範囲の設計は、専門家に丸ごと委ねられる作業ではありません。買収の目的、価格の前提、買った後の体制を知っているのは買い手だけであり、その三つが範囲を決めるからです。手間はかかりますが、ここに時間を使った案件ほど、DDの結果を意思決定に使える形で受け取れます。

なお、本稿の内容は一般的な考え方の整理です。個別の税務・法務の取扱いについては、必ず税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。当社プラチナパートナーズでは、買い手企業様のスコープ設計のご相談、専門家のご紹介とコーディネート、発見事項を踏まえた条件交渉まで一貫してご支援しています。

よくあるご質問

A.調査範囲を最終的に決めるのは買い手です。専門家は候補となる調査項目を提案できますが、買収の目的・価格の前提・買収後の運営体制を知っているのは買い手だけであり、その三つが範囲を左右するためです。仲介会社は、案件の性格に応じた論点の洗い出しと専門家との調整をお手伝いします。
A.狭めること自体は選択肢ですが、「調べなかった領域」をそのまま放置しないことが条件です。表明保証や特別補償、クロージング前提条件といった契約上の手当てに振り替えることで、調査を絞った分のリスクを埋める設計にします。なお、株式の権利関係、許認可の承継可否、未払残業代の有無は、案件が小さくても確認しておくべき領域です。
A.依頼する領域の数、対象会社の規模と拠点数、資料の整備状況、調査の深度によって大きく異なるため、一律の目安を申し上げることは差し控えています。範囲と深度を固めたうえで複数の専門家から見積りを取得し、作業前提を比べてご判断ください。なお当社の仲介手数料は、相談料・着手金・月額報酬が0円で、成功報酬は移動総資産レーマン方式(最低2,000万円・税別)、基本合意時の中間金は成功報酬額の10%で、成約時に成功報酬から全額を差し引きます(基本合意後に不成立となった場合、中間金の返金はいたしません)。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら