M&Aの費用というと、仲介手数料やデューデリジェンスに関わる費用が思い浮かびます。しかし実際には、その前の準備段階でも費用が発生します。株主名簿の整理、名義株の解消、議事録の整備、未登記事項の解消、労務の点検——これらを放置したままDDを迎えると、指摘され、価格の交渉材料にされ、結果としてより大きな費用を払うことになります。本稿では、準備段階の費用を優先順位をつけて整理します。
準備にお金をかける理由
なぜ、売却の前に費用をかけて整理する必要があるのか。理由は三つあります。
第一に、DDで指摘されると価格に影響するからです。株主が確定していない、議事録がない、未払残業の可能性がある——こうした事項は、買い手から見ればリスクです。リスクは価格の引き下げか、補償の要求として跳ね返ります。
第二に、後で直すほうが高くつくからです。交渉が始まってから慌てて整理すると、時間がないため専門家に依頼せざるを得ません。事前であれば、自社の人手で対応できる範囲が広がります。
第三に、そもそも取引が成立しなくなることがあるからです。株主が確定できない、所在不明の株主がいるという状態では、買い手は株式を取得できません。準備は費用ではなく、成立の前提条件という側面があります。
自社の状態を点検する観点は「売却前の自社チェックリスト」で整理しています。まずは現状を把握するところから始めてください。
優先度が最も高い|株式に関する整理
準備の中で最優先なのが、誰が株主かを確定させることです。ここが曖昧だと、取引そのものが成立しません。
| 論点 | 放置した場合の影響 | 関わる専門家 |
|---|---|---|
| 株主名簿が現状と合っていない | 誰から株式を買うかが確定しない | 弁護士・司法書士 |
| 名義株がある | 名義人から権利を主張される可能性 | 弁護士・税理士 |
| 所在不明の株主がいる | 全株式を取得できない | 弁護士 |
| 相続で分散している | 相続人全員の同意が必要になる | 弁護士・税理士 |
| 株券発行会社のまま | 株券の交付が必要。紛失していると手続が要る | 司法書士 |
このうち名義株は、古い会社で頻繁に見られる論点です。設立時に発起人が必要だったため、親族や知人の名義を借りたというケースです。実質的な出資者は誰かという問題になり、税務上の論点も生じます。
集約のために株式を買い取る場合、その資金も必要になります。また、買取価格の設定によっては課税関係が生じることがありますので、必ず税理士にご確認ください。詳しくは「名義株とは」「株式が分散している会社の売却」をご覧ください。
次に優先すべき|書類の整備
株式の次に取り組むべきは、会社の書類です。DDで必ず求められる資料が揃っているかを確認します。
- 株主総会・取締役会の議事録——過去の重要な決議が書面で残っているか
- 登記事項——役員の任期満了による重任登記が漏れていないか
- 主要な契約書——取引基本契約、賃貸借、リース、業務委託
- 就業規則・労働条件通知書——最新の内容で整備され、届出がされているか
- 許認可——有効期限、変更届の提出状況
- 固定資産台帳と現物——帳簿と実際の資産が一致しているか
とくに役員の重任登記漏れは、中小企業で非常によく見られます。任期ごとに登記が必要であるにもかかわらず、行われていないケースです。放置していると過料の対象となり得ますし、DDでは必ず指摘されます。
これらの整備には司法書士や弁護士への依頼費用が発生することがあります。ただし、DDの最中に慌てて対応するより、事前に計画的に進めるほうが費用も時間も抑えられます。関連する論点は「議事録・押印書類が残っていない会社」「社内規程・契約書が未整備の会社」で扱っています。
労務と会社・個人の資金の整理
三つ目の領域が、労務と会社と個人の資金の混在です。どちらも、DDで金額に直結する指摘を受けやすい領域です。
労務では、未払残業代、社会保険の加入状況、就業規則と実態の乖離などが論点になります。未払残業代は金額として大きくなり得るため、価格の交渉に直接影響します。社会保険労務士や弁護士による点検が有効です。詳しくは「労務デューデリジェンスとは」をご覧ください。
会社と個人の資金の混在では、役員貸付金・役員借入金、私的な経費の計上、社宅や車両の扱いなどが論点になります。解消には資金が必要になることもあり、税務上の影響も生じます。
これらは時間をかけて解消すべき性質のものです。譲渡の直前に一気に処理すると、かえって不自然に見えます。「役員借入金・役員貸付金がある会社の売却」「社宅・車両・保険など私的な経費」で整理しています。税務上の取扱いは税理士にご確認ください。
費用をかける順序
すべてを一度に行う必要はありません。優先順位をつけて進めてください。
| 順序 | 取り組み | 理由 |
|---|---|---|
| 1 | 株主の確定(名簿、名義株、所在不明) | 取引成立の前提。時間がかかる |
| 2 | 登記の是正(役員の重任など) | 放置すると過料の対象になり得る |
| 3 | 労務の点検 | 金額として大きくなり得る |
| 4 | 議事録・契約書の整備 | DDで必ず求められる |
| 5 | 会社と個人の資金の整理 | 時間をかけて解消する |
| 6 | 許認可・資産台帳の確認 | 比較的短期間で対応できる |
1と2は、専門家に依頼する費用がかかっても、先に着手すべき領域です。取引の成立可否と、法令上の義務に関わるためです。
3から6は、自社の人手で進められる部分も多くあります。時間があれば、自分たちでできることが増える——これが早期着手の最大の利点です。
いつから始めるか
「いつから準備すればよいか」というご質問には、「思い立ったときから」とお答えしています。理由は単純で、早いほど選択肢が多いからです。
株主の整理には、相手方との交渉が必要になります。時間がなければ不利な条件で応じざるを得ません。労務の是正にも時間が要ります。会社と個人の資金の整理は、数年かけて進めるほうが自然です。
一方で、準備を理由にM&Aの検討そのものを先送りする必要はありません。相談と準備は並行して進められます。現状を整理したうえで、何をいつまでに行うかの計画を立てるほうが、確実に前に進みます。
準備の全体像は「企業価値を高める磨き上げ」「企業価値を上げるために売却1年前からできること」で整理しています。
当社では、ご相談の初期段階で現状を確認し、優先して着手すべき事項と、その順序をお伝えしています。相談料・着手金・月額報酬は0円ですので、準備の段階からご相談いただけます。税務・法務の判断は、税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。