「株主総会は、家族で食卓を囲みながら決めてきた」「取締役会という会議を開いた記憶がない」「取引先とは注文書と請書だけで何十年もやってきた」——中小企業の事業承継のご相談では、こうしたお話をごく普通に伺います。会社が滞りなく回ってきた以上、書面がなくても実務上の支障はなかったのでしょう。しかし、M&Aの場面では、買い手は書面を通じて会社を理解します。本稿では、議事録・押印・登記という三つの切り口から、書面の不備がデューデリジェンスでどう問題になり、事前に何を整えておけるのかを整理します。就業規則や取引契約書といった規程・契約類の整備については「社内規程・契約書が未整備の会社|DDで指摘される前にできること」で扱っていますので、本稿は会社の意思決定と権利関係を示す書面に絞ってお伝えします。
「書面が残っていない」がM&Aで問題になる理由
買い手が書面を求めるのは、形式を重んじているからではありません。次の三つを確認する必要があるからです。
第一に、売主が本当に株式を売れる立場にあるか。買い手は株式を取得して会社の支配権を得ます。その株式が誰のもので、どのような経緯で移ってきたのかが確認できなければ、取引そのものが成り立ちません。過去の株式の移動が総会や取締役会の承認を経ているか、その記録が残っているかは、この確認の中核です。
第二に、過去の決定が後から覆されないか。会社の重要な決定が適切な手続を経ていなかった場合、後日その効力を争われる可能性が理論上は残ります。買い手は、譲り受けた後に予期しない紛争が起きることを最も嫌います。
第三に、会社の管理の水準を測るため。これは意外に大きな要素です。書面が整っている会社は、他の領域も整っているだろうと推測されます。逆に、基本的な書面が見当たらない会社では、「では、簿外の債務や口約束も、把握できていないのではないか」という見方につながります。書面の不備は、それ自体の金額以上に、調査全体の目線を厳しくする作用があります。
ただし、誤解のないよう申し添えます。中小企業のデューデリジェンスは、書面の不備が見つかることを前提に行われています。不備があるから破談になる、という単純な話ではありません。実務では、その扱いを協議しながら前に進みます。決定的なのは、不備の有無ではなく、経営者様がそれを把握しているかどうかです。買い手の調査全体の流れは「デューデリジェンスとは|M&Aで買い手が調べること」をご覧ください。
議事録|株主総会・取締役会が書面で残っていない場合
買い手が特に確認する議事録
過去のすべての議事録が同じ重みで見られるわけではありません。実務上、重点的に確認されるのは次のようなものです。
- 株式の譲渡承認に関する決議。中小企業の株式の多くには譲渡制限が付されています。過去に株式が移動している場合、その都度の承認が確認されます。
- 募集株式の発行(増資)に関する決議。資本金が増えている期があれば、その根拠が問われます。
- 役員の選任・退任に関する決議。登記の内容と対応しているかが見られます。
- 定款変更に関する決議。商号や目的、機関設計を変更した経緯です。
- 役員報酬の決定に関する決議。税務上の論点にもつながります。
- 利益相反となる取引の承認。会社と経営者様個人との間の貸借や不動産の賃貸などです。
- 多額の借財や重要な財産の処分に関する決議。大型の借入や不動産の売買です。
反対に、定時株主総会での計算書類の承認については、決算が申告されている以上、実質的な確認は比較的軽く済むことが多いといえます。
「残っていない」にも程度がある
ひとくちに残っていないといっても、実態はさまざまです。
| 状態 | 実務上の扱われ方 |
|---|---|
| 会議は開いており、議事録も作ったが所在が分からない | 探索のうえ、見つからない範囲を特定する。関係者の記憶や周辺資料で経緯を補える場合が多い。 |
| 会議は開いていたが、議事録を作っていない | 参加者と決定内容を整理し、事実関係を説明する。当時の決定が有効であったことを示す周辺資料を集める。 |
| 会議自体を開いていない | 最も慎重な対応を要する。何が行われ、何が行われなかったのかを正確に把握したうえで、弁護士と是正の方針を協議する。 |
| 株主が一人、または家族のみ | 実質的に全員の意思が一致していたことが示せる場合、論点として軽くなることがある。 |
どの状態にあるかによって、取るべき対応は変わります。まずは「どの決議について、どの状態なのか」を年ごとに整理することから始まります。M&Aそのものに必要となる機関決定の手続については「M&Aで必要な株主総会・取締役会の決議|株式譲渡承認の実務」で詳しく解説しています。
押印|誰が、誰と、いつ結んだのかが分からない書類
議事録と並んで論点になりやすいのが、契約書や書類の押印です。中小企業でよく見つかるのは、次のような状態です。
押印そのものがない。署名だけ、あるいは記名のみで押印がない契約書。これは直ちに無効になるという性質のものではありませんが、成立の経緯を後から示しにくくなります。
署名者の権限が確認できない。契約書の記名が当時の代表者以外の名前になっている、あるいは肩書きの記載がない。相手方から見て、その方に締結の権限があったのかが分かりません。
会社名義と個人名義が混在している。事業用の賃貸借契約や車両のリース、商標登録などが経営者様個人の名義になっているケースです。創業期の流れでそうなったまま、見直されていないことがほとんどです。これは押印の問題を超えて、譲渡の対象に含まれるかどうかの問題になります。
日付がない、または遡っている。締結日が空欄のまま保管されている契約書は珍しくありません。日付が実際の締結時期と食い違っている場合は、より慎重な扱いが必要です。
差し替えられた版が複数ある。どれが最終版か分からない状態です。相手方が保管している版と内容が違えば、後日の紛争になり得ます。
買い手が確認するのは、押印の有無そのものよりも、その契約が誰との間で、どの条件で、今も有効に続いているのかです。押印がなくても、注文書・請書、請求と入金の記録、メールのやり取りなど、実態を示す資料が揃っていれば、多くの場合は説明がつきます。逆に、押印された立派な契約書があっても、その後の運用が契約と違っていれば、そちらが論点になります。
登記と実態のずれ|見落とされやすい三つの型
登記事項証明書は、買い手が最初に取り寄せる資料のひとつです。ここで実態とのずれが見つかると、他の書面への疑いにも波及します。よくあるのは次の三つです。
役員の任期が切れたまま
役員には任期があり、期間が満了すれば改めて選任し、登記する必要があるとされています。ところが、家族経営の会社では、この手続が長年行われないまま放置されていることがあります。登記の懈怠には過料が科される可能性があるとされており、また、任期満了後の意思決定の有効性についても整理が必要になります。
本店所在地や事業目的が実態と違う
移転したのに登記を変更していない、あるいは、実際に行っている事業が登記された目的に含まれていない。後者は、許認可の要件との関係で問題になることもあります。
すでに退任した役員や、亡くなった方が登記に残っている
先代が亡くなられた後、役員登記がそのままになっているケースです。相続の手続と併せて整理する必要があります。
いずれも、登記事項証明書を一通取り寄せて読み合わせるだけで確認できます。売却を意識し始めたら、まず取得して現状を確認されることをお勧めします。あわせて、株主名簿と実際の株主が一致しているかも確認してください。名義株が残っている場合の考え方は「名義株とは|放置するリスクとM&A前の整理方法」で扱っています。
議事録の是正、登記の変更、契約の締結し直しなど、本稿で触れた対応は、いずれも個別の事情によって適切な方法が異なります。実行にあたっては、弁護士・司法書士・税理士等の専門家に必ずご相談ください。
今からできる整備と、してはいけない対応
まず、棚卸しをする
整備の第一歩は、作ることではなく、数えることです。次の順で確認します。
- 登記事項証明書を取得し、記載と実態を突き合わせる
- 定款の原本(または写し)の所在を確認する
- 株主名簿の有無と、記載内容が現状と合っているかを確認する
- 過去の株式の移動を、時期・当事者・株数で一覧にする
- 残っている議事録を年ごとに並べ、欠けている年と決議を特定する
- 主要な取引先・賃貸人・金融機関との契約書の所在と押印の状況を一覧にする
- 会社名義でない事業用資産(不動産、車両、商標など)を洗い出す
この一覧ができた時点で、作業の大半は終わっています。買い手からの質問の多くは、この一覧で答えられます。
今後の運用を正す
過去にさかのぼって完全にきれいにすることは、多くの場合できません。しかし、今日から先の運用を正すことは、いつでもできます。定時株主総会を開いて議事録を作る、重要な決定は取締役会(または株主総会)に諮って記録に残す、契約書は押印して両者で保管する。こうした運用を1年、2年と積み上げれば、「この会社は途中から管理を整えた」という事実そのものが説明材料になります。
してはいけない対応
開いていない会議の議事録を、後から作ること。これは避けるべきです。実在しなかった会議の記録を作成することは、事実と異なる書面を作る行為にほかなりません。デューデリジェンスでは、紙の質、押印の状態、他の書類との整合性から、後から作られたことが分かる場合があります。そして、それが判明したときの信頼の損なわれ方は、議事録がないことよりはるかに深刻です。
契約書の日付を実際と違う日にすること。同様の理由で避けるべきです。
不備を伏せたまま交渉に入ること。先に開示された不備は、条件の調整材料にはなっても、信頼を損ないません。調査で発覚した不備は、金額の問題を超えた疑念を生みます。また、譲渡契約では売り手が一定の事項について表明保証を行うのが通常であり、事前に開示しておけば、その範囲を対象から外す形で整理できる場合があります。事前開示は、売り手ご自身を守る行為でもあります。詳しくは「表明保証とは|M&A契約における売り手の責任範囲と補償」をご覧ください。
まとめ|過去は説明で、未来は運用で
議事録がない、押印がない、登記が古いまま——こうした状態は、中小企業では決して例外的なものではありません。これらを理由にM&Aを諦める必要はまったくありません。
整理すると、対応は二つに分かれます。過去については、正確に把握して説明する。未来については、今日から運用を正す。この二つを押さえていれば、書面の不備は乗り越えられる論点です。
そして、時間があるほど選べる手が増えます。株式の移動の経緯を確かめるにも、名義を会社に整えるにも、登記を直すにも、相手方や専門家の協力と一定の期間が必要です。売却を具体的に考え始めた段階で棚卸しに着手すれば、譲渡までに主要な部分は整えられます。自社全体の点検については「売却前の自社チェックリスト|買い手に見られる観点を自分で点検する」もあわせてご覧ください。
当社プラチナパートナーズは、中小企業の事業承継・会社売却をご支援しています。相談料・着手金・月額報酬は0円です。書面の整備が進んでいない段階からのご相談も歓迎しており、必要に応じて弁護士・司法書士等の専門家と連携しながら準備を進めます。