業界の会合で、あるいは取引の席で、「うちで引き受けましょうか」と言われた。悪い話ではありませんが、その場で応じてはいけません。最初に何をすべきかを整理します。
その場では答えない
まず、これだけ守ってください。その場で数字を口にしない。
「いくらくらいですか」と聞かれて、つい「3億円くらいでしょうか」と答える。この一言が、その後の交渉の上限になります。後から「実は5億円で」と言っても、相手の頭には最初の数字が残ります。
言うべきは「考えたことがなかったので、少し整理させてください」です。興味を否定する必要はありません。ただ、その場で条件の話に入らない。これだけで立場が変わります。
なぜ声がかかったのかを考える
相手が打診してくる理由には、いくつかのパターンがあります。
純粋に事業を伸ばしたい。エリア、技術、人材、許認可。欲しいものが明確にある場合です。
安く買えると見ている。後継者がいない、業績が落ちている、経営者が高齢である。弱っていると見られている可能性です。
情報が欲しいだけ。買収の話を口実に、内部の数字を見たいという動機もあり得ます。
どれかを判断するのは難しいのですが、後ろ二つの可能性を常に置いておいてください。
秘密保持契約を先に結ぶ
話を進めるなら、資料を出す前に秘密保持契約(NDA)です。例外はありません。
同業者であることが、ここでは特に重要です。相手は、あなたの会社の情報を事業に使える立場にいます。主要な取引先、原価、利益率、キーマンの名前。これらが競合に渡ることの意味を考えてください。
契約には、目的外使用の禁止、従業員の引き抜きの禁止、検討終了後の資料返還・破棄を入れます。ひな型に任せず、引き抜き禁止条項が入っているかは必ず確認してください。
出す情報に順番をつける
NDAを結んでも、いきなり全部を出す必要はありません。段階を踏みます。
第1段階。業種、規模感、おおよその売上、譲渡を検討する理由。会社名を伏せた概要レベル。
第2段階。決算書3期分、事業の概要、従業員数。ここで相手の本気度がわかります。
第3段階。取引先別の売上、原価の内訳、キーマンの情報。これは基本合意やそれに準ずる段階に達してからです。
同業者相手に、いきなり第3段階を出さないこと。相手が「検討をやめた」と言ったとき、情報だけが残ります。
価格の妥当性を、どう判断するか
相手から金額が提示されたとして、それが妥当かどうかは自社では判断できません。
比較対象がないためです。他にいくらで買う人がいるのかを知らないまま、目の前の一社の提示を評価することはできません。
実務では、他の候補にも当たって比較するのが基本です。相対取引だけで進めると、「他ならもっと高かったかもしれない」という疑問が最後まで残ります。
「声をかけてくれた相手に悪い」と感じる方がいますが、比較するのは当然の手順です。相手も、自社が買うときは比較しています。
直接交渉の難しさ
仲介を入れずに二者で進めることも可能です。手数料はかかりません。ただし、実務上の難しさがあります。
言いにくいことが言えない。「価格が低い」「従業員の処遇を確約してほしい」。顔の見える関係で直接言うのは、想像以上に難しいものです。
決裂したときに関係が残る。同業者であれば、その後も業界で顔を合わせます。条件で揉めた記憶が残ります。
手続きの抜けが出る。契約書、表明保証、クロージングの条件。専門家なしで組むと、後から問題が出ます。
仲介を入れるべきかの判断
それでも直接進めてよい場面はあります。金額が小さく、相手を十分に知っていて、弁護士が契約書を見る体制がある場合です。
逆に、次のいずれかに当てはまるなら、間に入れることをお勧めします。
金額が数億円規模になる。従業員の処遇について確約を取りたい。相手の財務内容がわからない。価格が妥当か判断できない。言いにくい条件がある。
とくに最後の一つです。直接言えば角が立つことを、間に入る者が言う。これが仲介の実務的な価値のひとつです。
断る場合も、丁寧に
検討の結果、進めないと決めることもあります。
このとき、理由を詳しく説明する必要はありません。「社内で検討しましたが、現時点では考えておりません」で十分です。
受け取った情報があれば返却・破棄し、こちらが出した資料の扱いも確認します。NDAの効力は、検討を終えた後も続きます。
そして、取引関係がある相手なら、そちらは変わらず続けることを伝えてください。買収の話と日々の取引は別です。ここを曖昧にすると、business上の関係まで冷えます。