本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。基本合意(LOI)の締結後に始まるデューデリジェンス(DD)は、仲介者の段取り力が最も露骨に試される局面です。資料が出てこない、質問が散らばる、売り手が疲弊する、発見事項で空気が凍る——DDで案件が失速する原因の多くは、調査の中身ではなく「流れの設計」にあります。ここでは先輩が後輩に教えるつもりで、資料リストの仕分け、VDRの設計、Q&Aの回し方、売り手の負担軽減、発見事項の整理、そして仲介者が答えてはいけないことまでを、そのまま現場で使える型として書きます。DDそのものの基礎は「デューデリジェンス(DD)とは」を先にお読みください。

DDの全体像と仲介者の立ち位置|「調査する人」ではなく「流れを作る人」

まず立ち位置を正確に持ってください。DDは買い手が自らの費用で会計士・弁護士・税理士・社会保険労務士などの専門家を起用して行う調査であり、仲介者は調査の主体ではありません。仲介者の役割は、必要な情報が正確に、迅速に、両当事者に公平な形で流れるようにする「交通整理」です。具体的には次の三つに集約されます。

  • 資料の段取り:買い手側専門家の資料リストを売り手が対応できる形に翻訳し、収集・整理・開示を進める
  • Q&Aの管理:質問と回答を一元管理し、漏れ・重複・口頭のやり取りをなくす
  • 温度差の調整:発見事項が出たとき、両当事者の受け止め方の差を埋め、対応の選択肢を整理する

裏返すと、仲介者がやってはいけないことも明確です。資料の内容を自分の判断で修正すること、売り手の代わりに回答を「作る」こと、発見事項の重大性を断定することです。これらは後述の「答えないべきこと」につながります。

資料リストの整え方|買い手のリストを4つに仕分ける

買い手側専門家から届く資料依頼リストは網羅的で、上場企業を前提にした項目も混ざっています。これをそのまま売り手に転送すると、経営者は「うちにはこんなものはない」と圧倒され、初動が止まります。仲介者が最初にやる仕事は、リストの翻訳と仕分けです。私は次の4分類で仕分けるよう教えています。

分類典型例仲介者の動き
A. すぐ出せる定款、登記事項証明書、決算書・申告書、株主名簿、主要契約書仲介契約時に集めておき、DD初日に一括開示できる状態にする
B. 作成が必要組織図、取引先別売上一覧、従業員名簿(属性付き)、借入明細雛形を仲介者が用意し、売り手は数字を埋めるだけにする。顧問税理士と分担を決める
C. 存在しない内部統制文書、各種規程類、取締役会議事録(実際に開催していない場合)「該当なし」と正直に回答。代替となる確認方法(運用の口頭説明+メモ)を提案する
D. 開示時期を調整顧客名入りの契約、従業員の個人情報、技術情報マスキングや後半開示、閲覧限定など、秘密保持の観点で開示方法を両者と合意する

仕分けが終わったら、リストを「番号・資料名・分類・依頼日・回答期限・担当者・ステータス」の列を持つ管理表に作り替えます。この番号は後述のVDRのフォルダ番号とQ&Aシートの参照番号に共通で使うので、DDの最初に固定してください。もう一つ大切なのは、「存在しない」を売り手に恥じさせないことです。中小企業に規程類が揃っていないのは普通のことで、急ごしらえで書類を作らせるほうがはるかに危険です。

VDR(データルーム)のフォルダ設計とファイル命名

VDRは専用サービスでも、権限管理のできるクラウドストレージでも構いません。大事なのはツールではなく設計です。守るべき原則は三つ。買い手の専門家が迷わない、更新が追える、後から証跡として使える、です。

フォルダ構成の型

  • 01 会社基本(定款・登記・株主・議事録)
  • 02 財務・税務(決算書・申告書・月次試算表・固定資産台帳)
  • 03 事業(取引先一覧・受注状況・主要契約書)
  • 04 人事・労務(就業規則・従業員名簿・給与台帳・勤怠)
  • 05 法務(訴訟・許認可・知的財産・保証関係)
  • 06 資産・不動産(登記・賃貸借契約・リース)
  • 07 IT・システム(ライセンス・保守契約)
  • 08 Q&A・追加資料(質問番号に紐づけて格納)

運営ルール

  • ファイル名は「資料番号_資料名_日付」の型に統一する(例:02-03_2025年度決算書_20260901.pdf)
  • 差し替えは上書きせず版を残す。旧版は「旧」フォルダへ移し、更新履歴(掲載ログ)に記録する
  • 閲覧権限は買い手側の専門家ごとに設定し、ダウンロード制限やウォーターマークを使えるなら使う
  • 掲載ログは仲介者が一枚のシートで持ち、「いつ・何を・誰の依頼で」掲載したかを残す
  • アクセスログを定期的に確認し、閲覧されていない資料があれば買い手側に「確認済みか」を尋ねる

掲載ログは地味ですが、クロージング後に「その資料は開示されていなかった」という争いを防ぐ唯一の証拠になります。表明保証の開示除外(後述)にも直結するので、必ず残してください。

Q&Aシートの回し方|一枚で管理し、口頭回答を禁じる

DDの品質は、Q&Aの管理でほぼ決まります。メールのやり取りで質問を受けていると、必ず漏れと重複が起き、誰が何をどう答えたか分からなくなります。質問と回答は一枚のシートで一元管理する——これが鉄則です。

シートの列

No / 分野(財務・法務・労務など) / 質問 / 質問者 / 質問日 / 回答期限 / 回答 / 回答者 / 添付資料No / ステータス(未着手・確認中・回答済・該当なし) / 追加質問の親No。この列構成にしておくと、買い手側の複数の専門家が同時に質問しても破綻しません。

回し方の五つのルール

  • バッチで受ける:質問は随時ではなく、決めた締切ごとにまとめて受け付ける。売り手が一つずつ対応させられて疲弊するのを防ぐ
  • 回答は売り手が書く:仲介者は表現を整え、誤解を招く言い回しを直すだけ。事実の内容は絶対に変えない
  • 回答前に専門家が見る:税務・法務に関わる回答は、売り手の顧問税理士・弁護士が目を通してから出す
  • 「確認中」と「該当なし」を区別する:曖昧な空欄を残さない。該当なしは理由を一言添える
  • 口頭回答を禁じる:マネジメントインタビューや現地視察で口頭で答えた内容も、必ずシートに戻して書面化する

マネジメントインタビューを設定するときは、仲介者が同席して議事メモを取り、両当事者に共有します。後で「言った・言わない」になる典型の場面だからです。

売り手の負担を減らす工夫

売り手の経営者は通常業務と並行してDDに対応しており、しかも社内で案件を知る人は限られています。負担が限界を超えると、回答が遅れ、機嫌が悪くなり、最悪の場合「もうやめたい」につながります。仲介者にできる工夫は、実はDDが始まる前に集中しています。

  • 仲介契約時に基本資料を集める:A分類の資料は案件化の段階で預かり、DD開始と同時に開示できるようにしておく
  • 優先順位を伝える:買い手側に「まず何を見たいか」を確認し、売り手には期限順ではなく重要度順で依頼する
  • 重複を排除する:会計士と税理士が同じ資料を別々に求めてくることは多い。仲介者が束ねて一回で済ませる
  • 定例の進捗確認を置く:週次など決まった間隔で、管理表を見ながら「残り」を確認する。都度の連絡より負担が軽い
  • 顧問税理士との分担を決める:財務・税務資料は税理士が直接VDRに掲載できるよう権限を渡す
  • 社内で誰に知らせるかを整理する:経理担当者を巻き込む場合は、秘密保持の説明と役割の限定を仲介者が一緒に設計する
  • 現地視察の段取りを引き受ける:日程・動線・従業員への見せ方まで仲介者が組み、売り手は当日いるだけにする

なお、労務や税務のDDは中小企業で発見事項が出やすい分野です。事前に「労務DD」「税務DD」の論点を仲介者が把握しておくと、売り手への事前ヒアリングで地雷を先に見つけられます。

発見事項の扱い方と、仲介者が「答えない」べきこと

発見事項が出たら

未払残業代、簿外の保証債務、チェンジ・オブ・コントロール条項のある契約、許認可の不備——発見事項はほぼ必ず出ます。出たときの手順は決まっています。

  • まず事実確認を先行させる。買い手側の指摘をそのまま売り手にぶつけず、「こういう指摘があるが事実関係はどうか」と確認する
  • 対応の選択肢を並べる:価格への反映/表明保証・特別補償での手当て/クロージング前の是正/クロージング前提条件化/買い手の受容
  • 両当事者に選択肢を提示し、どの手当てで折り合えるかを調整する。仲介者は「どれが正しい」とは言わない
  • 合意した内容は最終契約(SPA)に落とし込む。経緯を「最終契約(SPA)の交渉実務」の論点表に引き継ぐ

簿外債務の扱いは「簿外債務とは」を、表明保証の構造は「表明保証とは」を参照してください。

仲介者が答えないべきこと

新人が最もやりがちな失敗は、善意で「答えてしまう」ことです。次の四つは、聞かれても答えないでください。

  • 法的・税務的な見解の断定:「この契約は問題ありません」「課税されないと思います」——「専門家に確認のうえ書面で回答します」と受ける
  • 売り手が知らない事実の推測回答:「たぶんこうです」は事実ではない。売り手に確認して書面で返す
  • 安心させるための断定:「大丈夫です」は仲介者が言える言葉ではない
  • 他方当事者の交渉上の本音や許容範囲:仲介者は両者の間に立つ。片方の手の内を他方に伝えることは信頼の破壊であり、中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)が求める利益相反への配慮にも反する

そして最後に、発見事項を隠す・矮小化することは絶対にしないでください。売り手の表明保証違反となり、仲介者自身の責任も問われます。誠実な開示は売り手を守るためでもあります。「M&Aの失敗事例に学ぶ」で紹介する典型的な失敗の多くは、DDの段階で「言わなかったこと」から始まっています。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.「該当なし」と明記して回答するのが基本です。中小企業には内部統制文書や規程類が整備されていないことは珍しくなく、存在しないこと自体は隠すべき事実ではありません。仲介者がすべきなのは、代わりに何を見れば同じ確認ができるか(たとえば規程がなければ実際の運用を口頭説明とメモで補う)を売り手と相談し、買い手側専門家に提案することです。急ごしらえで書類を作ることは勧めません。
A.仲介者は見解を述べず、「売り手の顧問弁護士(税理士)に確認のうえ書面で回答します」と受け止めるのが原則です。仲介者が断定した見解が後に誤りと判明した場合、両当事者の判断を誤らせた責任を問われかねません。事実の確認と回答の取りまとめまでが仲介者の役割で、評価や見解は専門家と当事者に委ねます。
A.発見事項が出ること自体は通常のことで、それだけで中止になるわけではありません。対応の選択肢は、価格への反映、表明保証や特別補償での手当て、クロージング前の是正、クロージングの前提条件化、そして買い手が受容する、のいずれかに整理できます。仲介者は事実確認を先行させ、選択肢を並べて両当事者に示し、どの手当てで折り合えるかを調整します。事実を隠す・矮小化することだけは避けてください。

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執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら