本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。新規開拓でも紹介でも、初回の接触で「いますぐ検討したい」という経営者はごく一部です。大半は「いつかは考えないといけないが、今ではない」。この層とどう付き合うかが、二年目以降のアドバイザーの成績を決めます。本稿では、長期フォローの設計を書きます。接触の記録の残し方は「顧客管理と接触履歴の残し方」を、断られた直後の所作は「断られた後の対応」を併せてお読みください。
この仕事の成果は、時間差で返ってくる
会社の譲渡は、外的な要因で決まるものではありません。後継者の意思がはっきりする、体調が変わる、主要な取引に変化が起きる、事業環境が変わる、家族と話す機会が生まれる。きっかけは内側から来ます。だから、こちらにできるのは急がせることではなく、そのときに思い出してもらえる場所にいることです。
後継者不在率が50.1%(帝国データバンク2025年調査)という数字は、裏を返せば、承継について考えなければならない経営者が広く存在しているということです。しかし顕在化の時期は各社ばらばらで、こちらが選べません。二年後、五年後に動く相手を、どれだけ抱えていられるか。これが積み上げになります。
ここで新人が陥りやすいのが、短期の成果だけを追って、フォロー層を捨ててしまうことです。名刺は溜まるのに、二年後に連絡できる相手が一人もいない。一方、地道に記録して連絡を続けている人には、ある日突然「そろそろ相談したい」という電話が来ます。この差は運ではなく、設計の差です。
動かない理由を見極める|四つの類型
「今ではない」の中身は、実は四つに分かれます。類型が違えば、フォローの仕方も変わります。
| 類型 | 状態 | フォローの方向 |
|---|---|---|
| 時期の問題 | 意思はあるが、業績・後継者の見極め・家族の事情で時期が来ていない | 節目の時期を聞き、その前後に連絡する。準備事項を先に伝えておく |
| 情報の不足 | 選択肢や手続き、費用の見当がつかず、判断できない | 判断材料を継続的に提供する。急がせず、読み物として渡す |
| 心理的な抵抗 | 従業員への申し訳なさ、創業者としての葛藤、家族への説明の難しさ | 時間が要る。共感を示し、事例ではなく考え方を伝える |
| 関心がない | 本当に検討していない。あるいは別の道(親族内承継等)を選んでいる | 深追いしない。年に一度の挨拶程度にとどめるか、対象から外す |
この見極めは、初回の接触で聞き出しておくべきことです。「今ではない」と言われたときに、「差し支えなければ、どういう状況になったらお考えになりますか」と一問だけ聞く。この答えが、その後数年のフォロー設計を決めます。
三つ目の心理的な抵抗は、時間だけが解くことがあります。急かさず、しかし忘れられない距離を保つ。この距離感の作り方が、長期フォローの本質です(「オーナーの心理に寄り添う」参照)。
連絡の間隔と、口実の作り方
間隔に絶対の正解はありませんが、原則は二つです。間隔を空けすぎないことと、毎回同じ用件で連絡しないこと。
目安としては、関心のある層で数か月に一度、そうでない層で年に一度から二度。ただし回数より、相手にとって意味のあるタイミングを選ぶほうがはるかに効きます。
タイミングの手がかり
- 決算期の翌月。数字が出て、来期を考える時期
- 前回「その頃に」と言われた時期の少し前
- 業界に関わる制度改正や環境変化があったとき
- 会社の節目(周年、新拠点、新事業、代表者の年齢の節目)
- 年始・年度替わり。経営者が先を考える時期です
口実の作り方
- 情報を届ける:業界の動向、制度の変更、承継の選択肢の整理
- 資料を送る:読み物として。返事を求めない形にする
- 近くに行った際の挨拶:短時間で。長居しない
- 前回の話の続き:「新工場は稼働されましたか」。覚えていることが伝わります
- 季節の挨拶:年賀状や暑中見舞い。形式的でも、途切れないことに意味があります
避けるべきは「その後いかがですか」だけの連絡です。相手には返す言葉がなく、こちらの都合しかない。相手にとって受け取る価値のあるものを、毎回一つ添える——これを守るだけで、連絡は迷惑になりません。
送るべき情報と、送ってはいけない情報
送るとよいもの
- 制度の変更に関する客観的な情報(事業承継税制の特例承継計画の提出期限は2027年9月30日、適用期限は2027年12月31日、といった事実)
- 事業承継・M&A補助金など、公的な支援制度の概要
- 承継の選択肢を比較した整理(親族内、従業員、第三者)
- 準備しておくとよいことのチェックリスト
- 業界に関する一般的な動向
送ってはいけないもの
- 実在しない買い手の示唆:「御社に関心を持つ企業がある」を根拠なく書かない
- 決断を急がせる情報の使い方:税制の期限を圧力として使わない。事実として伝え、間に合わない場合の選択肢も添える
- 他社の実名や比較:他の支援機関を引き合いに出さない
- 個別の会社の情報:他の案件の話は、匿名化しても書かない。守秘の姿勢は文面に現れます
- 創作した実績や統計:確認できない数字は使わない
- 不安を煽る内容:廃業や相続の恐怖を強調する書き方はしません
迷ったときの基準は簡単です。その文章を、相手が家族に見せても恥ずかしくないか。煽りや誇張は、この基準で自然に排除されます。
動き出すサインの捉え方と、フォローをやめる判断
サイン
- 返信の速度が上がる、返信が具体的になる
- 費用や手続き、期間について質問が出る
- 「うちの場合は」という主語で話し始める
- 家族や後継候補の話が出る
- 会う場所を会社以外に指定する
- 体調、年齢、引退の時期に触れる
サインを捉えたら、一歩だけ踏み込む。いきなり受託の提案ではなく、「一度、現状を整理してご説明する機会をいただけませんか」という程度です。ここで急ぐと、せっかく開いた扉が閉まります。この呼吸は「期待値調整の技術」で述べた初期の対応にもつながります。
やめる判断
フォローは無限には続けられません。次の場合は終了します。
- 明確に「連絡は不要」と言われたとき。記録に残し、以後接触しない
- 別の道(親族内承継、他の支援機関との契約)を選ばれたとき。祝意を伝えて引く
- 数年にわたって一切反応がなく、状況の変化も見られないとき
やめる判断も含めて設計です。反応のない相手に労力を注ぎ続けるより、その時間を他の関係に使うほうが、結果として多くの経営者の役に立ちます。ただし、やめ方は丁寧に。最後の連絡で「いつでもご連絡ください」と一言添えておけば、数年後に扉は開いたままです。
長期フォローは、成果が見えにくく、若いうちほど続けにくい活動です。しかし三年目、五年目になったとき、自分を支えてくれるのはこの積み上げです。焦って刈り取ろうとせず、静かに関係を育ててください。それがこの仕事の作法だと、私は考えています。