本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。この仕事は、断られる回数のほうが圧倒的に多い仕事です。新規開拓で断られ、受託の提案で選ばれず、買い手候補に見送られる。断られること自体は避けられません。差がつくのは、断られた後に何をするかです。本稿では、引き際の所作と、そこから次につなげる方法を書きます。長期の関係維持は「長期フォローの設計」を、当社が断る側に立つ場合は「受託するかどうかの判断基準」を参照してください。
断られた瞬間に、次の関係が決まる
断られた直後の数十秒に、相手はこちらの人格を見ています。食い下がるのか、不機嫌になるのか、静かに引くのか。ここでの振る舞いは、驚くほど長く記憶されます。
実務上、断られた相手が後で戻ってくることは決して珍しくありません。他社に依頼したが進まなかった、時期が来て動くことにした、知人を紹介したい——そのとき最初に思い出されるのは、引き際が綺麗だった人です。逆に、断った後に何度も連絡してきた相手は、二度と選ばれません。
もうひとつ、業界内での評判という側面もあります。経営者どうしは意外に横でつながっており、士業や金融機関のネットワークも狭い。「あの会社は断った後もしつこかった」という話は、こちらが思うより遠くまで届きます。引き際は、営業の技術である以前に、会社の信用の問題です。
断りの意味を読み分ける
「結構です」の中身は一つではありません。読み分けができないと、対応を間違えます。
| 断りの型 | 本当の意味 | 対応 |
|---|---|---|
| 「今は考えていない」 | 時期の問題。検討自体は視野にある場合が多い | 状況が変わる時期を一問だけ聞き、長期フォローに移す |
| 「他社に頼んでいる」 | 専任契約の有無を確認する必要がある | 契約中なら切り替えを働きかけない。期間満了後の相談は妨げない |
| 「息子に継がせる」 | 親族内承継を選択。ただし未確定のことも多い | 祝意を伝え、承継の準備に役立つ情報だけを残す |
| 「うちは売らない」 | 心理的な抵抗。あるいは本当に関心がない | 深追いしない。年に一度の挨拶程度に |
| 「連絡は不要です」 | 明確な拒否 | 直ちに終了。記録に残し、以後接触しない |
| 無反応 | 読み分け不能。関心がないか、余裕がないか | 期間を空け、内容を変えて一度だけ。それでも無反応なら頻度を落とす |
重要なのは、読み分けのために質問するのは一問までということです。断った相手に理由を問い詰めるのは、断りを受け入れていないのと同じです。一問聞いて、答えが曖昧ならそれ以上聞かない。
引き際の所作|その場でしてよいこと・いけないこと
してよいこと
- 感謝を伝える:時間をいただいたこと、話を聞かせていただいたことへの礼
- 受け入れたことを明示する:「承知しました」と、はっきり言う
- 一問だけ聞く:今後の参考として、差し支えない範囲で
- 役に立つ情報を一つ置く:準備しておくとよいこと、相談先の種類
- 扉を開けておく:「状況が変わられたときには、いつでもご連絡ください」
- 資料の扱いを伝える:預かった資料の返却または廃棄。ここまでが仕事です
してはいけないこと
- 食い下がる:「もう一度だけ」「せめて話だけでも」。断りを尊重しない態度は、相手の判断力を軽んじる行為です
- 不機嫌を見せる:態度の変化は、それまでの丁寧さを演技に見せます
- 他社を貶める:選ばれなかった相手を批判しない。品位の問題であり、実際には自分の評価を下げます
- 不安を煽り直す:「後で後悔しますよ」。最も避けるべき言い方です
- 紹介元に不満を伝える:紹介案件で断られた場合も、紹介者への報告は事実のみ
- 返事をせずに消える:こちらから連絡を絶つのも、引き際の失敗です
紹介案件で断られた場合は、紹介元への報告を忘れないでください。「お引き合わせいただきましたが、今回はご縁がありませんでした。貴重な機会をありがとうございました」。これがあるかないかで、次の紹介が変わります(「紹介案件の受け方」参照)。
買い手候補に見送られた場合の対応
断られるのは経営者からだけではありません。打診した買い手候補に見送られることのほうが、回数としては多いはずです。この場合の対応は少し違います。
- 見送りの理由を必ず聞く:買い手は理由を答えてくれることが多く、これは極めて貴重な情報です。規模、業種、地域、価格、財務、時期、社内の事情——どこが合わなかったのか
- 理由を分類して蓄積する:同じ理由が複数の候補から挙がるなら、それは案件側の論点です。売り手に共有し、対応を検討する
- 売り手への伝え方を設計する:見送りの理由をそのまま伝えると、会社を否定されたと受け取られます。事実と、そこから導かれる対応を組にして伝える(「悪い知らせの伝え方」参照)
- 次の案件のために関係を保つ:今回合わなかっただけで、買い手としての関係は続きます。方針や関心を記録に残す(「買い手企業の開拓とリレーション構築」参照)
- 秘密保持の後始末:開示した資料の返却・廃棄を求め、その履行を確認する
見送りの理由の蓄積は、会社の資産になります。「この業種でこの規模だと、この論点で止まりやすい」という知見は、次の案件の準備の質を上げます。担当者個人のメモに留めず、組織で共有してください。
そして、複数の候補から同じ指摘が出た場合は、期待値の調整に踏み込む必要があります。売り手にとっては辛い場面ですが、事実を早く共有するほど選択肢が残ります(「期待値調整の技術」参照)。
断られた経験を次に活かす|振り返りの型
断られたら、感情の整理とは別に、必ず振り返りを行ってください。型は次のとおりです。
- 事実を書く:いつ、誰に、どの段階で、どう断られたか。相手の言葉のまま
- 自分の側の要因を探す:準備、伝え方、タイミング、相手の選定。改善できた点はあるか
- 相手の側の要因を分ける:時期、社内事情、方針。こちらでは動かせなかったこと
- この二つを混同しない:全部を自分のせいにするのも、全部を相手のせいにするのも、学習になりません
- 次のアクションを決める:いつ、どういう形で再度接触するか。しないなら、その判断も記録する
特に若いうちは、断られるたびに自分の全否定として受け取りがちです。しかし実際には、こちらの力ではどうにもならない理由で断られることが大半です。制御できることと、できないことを分ける——これは技術であり、続けるための知恵でもあります。
そして、断られた記録は必ず顧客管理に残してください。断られた事実、理由、日付、今後の接触の可否。これがないと、別の担当者が再度連絡してしまいます。記録の残し方は「顧客管理と接触履歴の残し方」に整理しました。
最後に。断られることを恐れて接触の数を減らすと、この仕事は成立しません。同時に、断られた相手を追いかけ回しても何も生まれません。丁寧に当たり、綺麗に引き、静かに待つ。この三つができる人が、長くこの仕事を続けています。職業倫理の全体は「M&Aアドバイザーの職業倫理」に、心構えは「M&Aアドバイザー1年目の過ごし方」にまとめています。