ここまで半年、資料を揃え、買い手を探し、面談を重ねてきた。あと一歩で合意に届く。この局面で、担当者の判断はいちばん鈍ります。本稿では、鈍りが生まれる構造、それを示す具体的なサイン、自分と組織で気づく仕組み、気づいたときにどう戻すかを整理します。倫理の全体像は「M&Aアドバイザーの職業倫理」をご覧ください。

鈍りは、人柄ではなく構造から生まれる

「自分は依頼者のために動いている」と思っている人ほど、鈍りに気づけません。誠実さが足りないから起きるのではなく、置かれた構造から自動的に生まれるからです。

  • 報酬が成立と連動している——成立して初めて報酬が生じる形態である以上、成立してほしいという力は常に働きます
  • 案件が長い——数か月から1年かけたものを手放したくない、という感情が積み上がります
  • 同時に持てる案件が少ない——一件あたりの重みが増し、視野が狭くなります
  • 相手の期待を背負っている——依頼者が喜ぶ顔を思い浮かべると、悪い材料を出しにくくなります
  • 周囲も成立を期待している——社内の関心が集まるほど、後戻りの提案がしにくくなります

これらは、努力で消せるものではありません。消せないものとして扱い、気づく仕組みで対処するのが実務的な向き合い方です。「自分は大丈夫」と考えることが、いちばん危ない状態です。

仲介という形態がもともと抱える構造については「利益相反管理の実務」と「仲介とFAの違いを依頼者にどう説明するか」で整理しています。

鈍っているときに出るサイン

自己点検に使えるよう、行動に出る形で並べます。三つ以上当てはまったら、いったん止まってください。

サイン裏で起きていること
都合の悪い情報の共有を後回しにしている今伝えると止まる、と無意識に計算している
「たぶん大丈夫」が口ぐせになっている確認していないことを、確認したことにしている
相手の沈黙を同意と読んでいる迷いの表明を、聞きたい形に翻訳している
確認の手順を飛ばしはじめた止まる材料が出ることを避けている
期限を自分の都合で置いている依頼者の検討速度より、自分の進行を優先している
他社への相談を歓迎できない比較されると崩れる説明をしている可能性がある
撤退や見送りの選択肢を検討していない選択肢が一本になっている
依頼者の家族の反対を「説得すべきもの」と捉えている反対を、解くべき障害として扱っている

最後の一つは特に重要です。家族の反対は、障害ではなく情報です。そこには本人が言えていない事情が含まれていることが多く、無視して進めると成約後に問題が出ます。

自分で気づくための手順

気づく仕組みは、簡単で、毎回同じやり方でできるものにします。

  1. 記録を読み返す——3か月前の面談記録を開き、そのとき依頼者が何を大事だと言っていたかを確認します。いまの進行がそこから離れていないか。ずれは、たいてい少しずつ起きています
  2. 他人に説明してみる——案件を知らない同僚に、いまの判断を3分で説明します。説明しづらい部分が、鈍っている部分です
  3. 反対側を書き出す——「この条件で進めないほうがよい理由」を5つ書きます。書けないときは、視野が狭くなっています
  4. 一晩置く——重い判断は、その日のうちに決めない。翌朝に同じ結論なら進めます
  5. 依頼者の立場で読む——自分が送ろうとしている文面を、受け取る側として読み返します。都合のよい部分だけが先に来ていないか

これらは面倒に見えますが、実際にかかる時間は合計で1時間ほどです。1時間で、数か月分の進行の向きを確認できると考えれば、割に合います。

組織で気づく仕組み

個人の内省には限界があります。外から見る目を、工程に組み込みます。

  • 節目ごとの社内レビュー——案件化、打診開始、意向表明の受領、基本合意、最終契約。それぞれの前に、担当以外が確認する
  • 質問を定型にする——「依頼者が最初に挙げた条件は何か」「いま外れているものはあるか」「見送る選択肢は検討したか」「不利な情報で未共有のものはあるか」。人ではなく手順で聞く
  • 重い局面に役員が同席する——担当が一人で背負う場面を減らす
  • 止めた判断を評価する——成立だけを評価する運用にすると、止める判断が出てきません

当社は少人数で、役員が現場に立っています。担当が判断に迷った場面をその日のうちに共有できる距離にあること、ご契約やご決断を急がせない方針を明示していることは、担当者の判断が急かされないための設計でもあります。

社内の意思決定の進め方は「社内案件会議の進め方」に整理があります。

鈍っていたと気づいたら、何をするか

気づいた後の動きが本題です。放置すると、気づいたこと自体がなかったことになります。

  1. 止める——予定していた次の連絡を一度止め、進行を保留にします
  2. 未共有の事実を洗い出す——依頼者に伝えるべきで、まだ伝えていないものを全部書き出します
  3. 社内に先に言う——「判断が寄っていたかもしれない」と共有します。一人で処理しない
  4. 依頼者に伝える——事実・影響・選択肢の順で。言い訳を先に置かない
  5. 選択肢を並べ直す——進める、条件を変える、見送る。三つを同じ重さで提示します

「いまさら言えない」と感じたときこそ、言うべき局面です。遅れた情報は、遅れた分だけ重くなります。基本合意の前に伝えれば選択肢がありますが、最終契約の直前になると選択肢が減ります。

伝え方は「悪い知らせの伝え方」、自分の不手際の報告は「自分のミスをどう報告するか」に整理しています。

まとめ|消せない力を、仕組みで打ち消す

要点を整理します。

  • 鈍りは人柄ではなく構造から生まれる。消せないものとして扱う
  • サインは行動に出る。悪い情報の後回し、確認の省略、沈黙を同意と読む、見送りを検討しない
  • 自分で気づく手順は、記録の読み返し・他人への説明・反対側の書き出し・一晩置く・受け手として読む
  • 組織側は、節目のレビュー・定型の質問・役員の同席・止めた判断の評価で支える
  • 気づいたら止め、未共有の事実を洗い出し、社内に先に言い、選択肢を並べ直す

当社の考え方は採用情報にも掲載しています。

よくあるご質問

A.問題ではありません。依頼者が望む結果に向けて力を尽くすのは役割です。問題になるのは、その気持ちが判断材料の扱いに混ざるとき——不利な情報を後回しにする、確認を省く、見送る選択肢を示さない、といった行動に出たときです。
A.反対は障害ではなく情報として扱ってください。そこには本人が言えていない事情が含まれていることが多く、無視して進めると成約後に問題が出ます。反対の理由を具体的に聞き、条件や時期の設計に反映させるのが実務です。
A.言いやすさは個人の勇気ではなく運用でつくるものです。節目ごとに担当以外が同じ質問で確認する仕組みにすれば、個人の申告に頼らずに済みます。組織側は、止めた判断を評価する運用にしてください。
A.止めるかどうかを決めるのは依頼者です。担当者がすべきは、事実と影響を正確に伝え、進める・条件を変える・見送るという選択肢を同じ重さで示すことです。遅れた情報ほど選択肢が減るため、気づいた時点で伝えてください。

Free Consultation

都合の悪いことから、先にお伝えします。

節目ごとに担当以外が確認し、ご契約やご決断を急がせない体制にしています。
採用に関するご質問は採用情報を、ご相談はメール(info@platinumpartners.jp)でも承ります。

無料相談を申し込む

Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら