本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。手応えのあった初回面談のあと、こちらから送ったメールに返信が来ない。二度目も返らない。この状況に置かれたとき、経験の浅いうちは連絡の回数を増やすほうへ動きます。しかし、返信がないという事実から相手の事情を読むことはできません。忙しいのか、気が変わったのか、家族と話している最中なのか、体調を崩されているのか。分からないまま回数だけ増やすと、相手にとっては催促の連続になり、再び相談したくなったときの入口をこちらの手で閉じることになります。本稿では、追いかけない設計と、やめどきの決め方を型にします。
返信がない理由は、こちらには分からない
まず前提を置きます。返信がないことは、断りではありません。同時に、検討が進んでいる証拠でもありません。情報がない、というだけの状態です。ここを取り違えると、対応を誤ります。
実務で後から分かる理由は、おおむね次のように分かれます。
- 本業が繁忙期に入った。数か月後に連絡が来る
- ご家族や顧問の先生と話している最中で、結論が出るまで返しにくい
- 他にも相談していて、比較している。当社は他社へのご相談を制限していませんので、これは自然なことです
- 気持ちが変わった。断りの連絡を入れづらい
- そもそもメールを見る習慣がない
最後の一つは意外に多く、面談の場で「ご連絡はメールと郵送のどちらがよろしいですか」と伺っておくだけで防げます。連絡手段の確認は、初回面談の締めくくりに必ず入れてください。
何回まで、どの間隔で
回数と間隔をあらかじめ決めておくと、感情で動かずに済みます。当社が型として置いているのは次の形です。
| 回 | タイミング | 内容 |
|---|---|---|
| 1回目 | 面談の翌営業日 | 伺った内容の要点と、こちらの宿題 |
| 2回目 | 1回目から2週間 | 判断材料になる公表情報を一つ添える |
| 3回目 | 2回目から1か月 | 近況伺い。返信がなくてよい旨を明記する |
| 最後 | 3回目から2〜3か月 | 区切りのご連絡。窓口を残して引く |
ポイントは三つあります。一つ目は、間隔を回を重ねるごとに広げること。短い間隔で繰り返すと催促になります。二つ目は、三回目に「ご返信は不要です」と明記すること。返信しなければならない負担が、連絡を遠ざけている場合があります。三つ目は、回数を決めておくこと自体です。決めていないと、件数の都合でこちらの連絡が増えます。
電話をかけ続けることはしません。会社の代表電話に繰り返し連絡すれば、社内に「外部から何度も連絡が来ている」という事実が残ります。譲渡の検討は社内に知られてはならない情報です。追いかけることが、そのまま情報漏洩のリスクになるという構造を理解してください。
送る内容を「情報」にする
連絡の中身が「その後いかがでしょうか」だけだと、相手には催促としてしか届きません。毎回、相手の判断材料になるものを一つ添えてください。
- 公表された制度の改正:一次資料の内容を中立に伝え、具体的な適用は税理士にご確認くださいと添えます
- 官公庁の統計:出典名と公表年を必ず併記します。当社が持たない数値を推計して語ることはしません
- 面談で話題に出た論点の整理:「株式が分散しているとおっしゃっていた件について、一般的な整理の順番をまとめました」といった形
- ご質問への回答:面談の場で答えられなかったことを、後から返す
いずれも共通するのは、受け取った側が読み捨てても損をしない内容であることです。返信を引き出すための仕掛けを入れないでください。「今なら買い手候補がいます」「制度が変わる前に」といった期限をつくる表現は、この局面でこそ出てきやすく、そして最も信頼を損ないます。
やめどきと、最後の一通
決めた回数を終えたら、区切ります。ここで何も言わずにフェードアウトするのが、実は最も良くありません。相手の側に「放置された」という記憶が残るからです。
最後の一通には、次の四つを入れます。
- こちらから定期的なご連絡はいったん控える旨。理由を相手に求めない
- お預かりしている情報の取り扱い。保管の方針と、破棄をご希望の場合の連絡先
- いつでも再開できること。再度ご相談いただく際に、費用は発生しないこと
- 窓口。担当者名と、担当が変わった場合の連絡先
二番目を落とさないでください。決算書や株主の情報をお預かりしたまま連絡が途絶えている状態は、相手にとって気がかりなものです。預かった情報をどうするかを明示して引く。これは礼儀ではなく、情報管理の実務です。運用の詳細は「秘密保持の運用実務」にまとめています。
社内でどう扱うか|評価の置き方が現場を決める
追いかけない設計は、個人の心がけでは維持できません。社内の扱い方で決まります。
- 連絡が途絶えた相談を「失注」として数えない:失注として扱うと、現場は取り戻そうとして連絡を増やします
- 記録を残す:何を伝え、どこで止まり、いつ区切ったか。数年後に再度ご連絡をいただいたとき、同じ説明を繰り返さずに済みます
- 再開の入口を一本化する:担当が変わっても受けられるようにしておく
- 接触の回数を成果指標にしない:回数が指標になった時点で、相手の都合ではなくこちらの都合で連絡が決まります
記録の型は「顧客管理と接触履歴の残し方」、長い関係の設計は「長期フォローの設計」に整理しています。数年後に最初に思い出していただけるのは、急がせなかった相手です。この一点だけは、経験を重ねるほど確かになります。