M&Aの現場では、こちらが答えを持っていない質問が毎日のように出ます。制度の細かい要件、買い手の意図、まだ起きていないことの見通し。その場で分からないことを「分かりません」と言えるかどうかは、実務者の基礎体力のひとつです。本稿では、なぜ即答してしまうのか、どう伝えれば信頼を損なわないか、確認して返すまでをどう運用するかを整理します。当社の募集要項は採用情報をご覧ください。

なぜ即答してしまうのか

知らないと言えない理由は、能力ではなく心理にあります。現場でよく見るのは次の四つです。

  • 沈黙が怖い——面談の場で数秒黙ることに耐えられず、口が先に動く
  • 専門家として見られたい——「この人は知らないのか」と思われたくない
  • 期待に応えたい——不安な相手を安心させようとして、根拠のない見通しを言ってしまう
  • 会話の流れを止めたくない——話が盛り上がっているところに水を差したくない

どれも悪意はありません。だからこそ厄介です。

問題は、その場でつけた説明が依頼者の意思決定に混ざってしまうことです。経営者は、こちらが軽く言ったひとことを持ち帰り、家族や顧問税理士に話し、それを前提に考えます。後から「あれは正確ではありませんでした」と訂正するとき、失われるのは訂正した内容だけではありません。その人が他に言ったことも、全部確かめないといけないと相手に思わせてしまいます。

一度の「分かりません」で失う信頼は小さく、一度の当て推量で失う信頼は大きい。順番を間違えないことが出発点です。

「分かりません」が必要になる三つの場面

分からない、には種類があります。種類を見分けると、返し方が決まります。

場面やりがちな答え望ましい返し方
事実を知らない
(制度・相手の会社の数字)
「たしか、そうだったと思います」「確認して本日中にお返しします」と期限を置く
専門家の領分
(税務・法務・労務の個別判断)
その場で税額や可否を口にする「具体的な適用は税理士(弁護士)にご確認ください。前提の整理と論点出しはこちらで行います」
まだ決まっていないこと
(買い手の反応・価格の着地)
「たぶん大丈夫です」「現時点では分かりません。回答は○日に届く予定です」

三つ目がいちばん誤解されます。「まだ決まっていない」は、能力不足ではなく事実の記述です。それを「大丈夫です」と言い換えた瞬間に、こちらが引き受けられない約束になります。買い手の判断はこちらの手の中にはありません。

逆に、分からないと言ってはいけない場面もあります。工程の進み方、こちらの役割、費用の体系、情報をどう扱うか。これらは自社の話であり、即答できるまで頭に入れておくべきものです。ここで口ごもると、依頼者は「この人は何を知っているのか」が分からなくなります。

伝え方の型|四つをセットで返す

「分かりません」で文を終えると、相手は宙に浮きます。次の四つをセットにすると、分からないことが不安ではなく段取りに変わります。

  1. いま分かっている範囲——「一般的な整理としては、こういう考え方があります」
  2. 分からない部分——「御社の場合に当てはまるかは、この場では申し上げられません」
  3. 誰に確認するか——「顧問税理士の先生に確認が必要です」「買い手に確認します」
  4. いつまでに返すか——「明日の午前中までにお返しします」

言い方の例を挙げます。

「その点は、私の知識では正確にお答えできません。制度の枠組みとしては○○という整理があるのですが、御社の株主構成だと例外の扱いになる可能性があります。顧問の先生に確認したうえで、明後日までに書面でお返しします。それまでは、この点を前提に置かずに進めさせてください。」

最後の一文が効きます。未確定の事項を意思決定の前提から外しておくことまで言えると、相手は安心して待てます。

逆に避けたいのは、「調べておきます」で終える言い方です。誰が、いつまでに、何を返すのかが決まっていないため、たいてい流れます。流れた約束は、小さくても記憶に残ります。

確認して返すまでの運用

言えたあとが本番です。持ち帰った宿題を落とさない運用を決めておきます。

  • その場でメモに残す——面談記録の末尾に「宿題」欄を作り、内容・確認先・期限を書く。記憶に頼らない
  • 期限は短めに置く——調べがつかない場合でも、期限日に「まだ確認中です」と中間報告を入れる。沈黙が最も不安にさせる
  • 確認先を選ぶ——制度なら官公庁の公表資料、契約なら弁護士、税額なら税理士、相手の意図なら本人に直接聞く。社内の伝聞で済ませない
  • 返すときは根拠を添える——「○○(公表資料の名称と公表年)によれば」まで書く。どこを見たかが分かる形で渡す
  • 「場合による」ときは分岐を示す——条件Aならこう、条件Bならこう、と分けて出す。曖昧なまま一本にまとめない

調べた結果、依頼者にとって不利な内容だった場合ほど早く返します。不利な情報は、遅れるほど「知っていて黙っていたのではないか」と受け取られます。事実を先に置き、そのうえで打ち手を並べる。順番はいつもこれです。

返した内容は記録に残し、後から参照できるようにします。同じ論点は別の案件でも必ず出ます。個人の宿題を、次から組織の知識にしていく作業でもあります。

個人の胆力に頼らない|組織でどう支えるか

「分かりませんと言おう」と各自の心がけに任せると、忙しい時期に崩れます。言える状態を組織側が用意する必要があります。

  • 知ったかぶりを評価しない——面談での即答の多さを褒めない。持ち帰って正確に返したことを評価する
  • すぐ聞ける相手がいる——担当が一人で抱える構造だと、確認先が社外しかなくなる
  • 専門家との接続を用意する——税務・法務は最初から専門家の領分だと決めておく
  • 急がせない——短い期限で決断を求める進め方をしていると、確認する時間が取れず、当て推量が増える

当社は少人数で、役員が現場に立っています。担当が判断に迷ったとき、その日のうちに相談できる距離にいることを前提に設計しています。また、ご契約やご決断を急がせないことを方針として明示しています。これは依頼者のための方針であると同時に、担当者が確認する時間を確保するための方針でもあります。

依頼者の側から見ても、確認して返してくる担当者のほうが、その場で何でも答える担当者より扱いやすいはずです。即答の速さは、こちらの都合であって、依頼者の利益ではありません。

まとめ|分からないと言えることは、技術である

要点を整理します。

  • 即答は沈黙への不安から生まれる。当て推量は依頼者の意思決定に混ざる
  • 分からないには三種類——事実を知らない/専門家の領分/まだ決まっていない
  • 自社の工程・役割・費用の体系は、即答できるようにしておく
  • 伝え方は四点セット——分かる範囲・分からない部分・確認先・期限
  • 持ち帰った宿題は記録し、期限日に中間報告を入れる。不利な内容ほど早く返す
  • 言える状態は、個人の胆力ではなく組織の設計でつくる

関連して「事実と意見を分けて伝える」「一次資料に当たる習慣」もあわせてお読みください。当社の選考については採用情報をご覧ください。

よくあるご質問

A.回数そのものより、返ってくるかどうかで見られています。期限を置いて確実に返す人は、むしろ信頼されます。ただし自社の工程・役割・費用の体系まで持ち帰るのは別問題ですので、そこは即答できるように準備してください。
A.制度の枠組みを説明することは役割のうちです。ただし個別の税額や適用可否の判断は税理士の領分ですので、必ず「具体的な適用は税理士にご確認ください」と添えてください。前提の整理と論点出しをこちらで行い、専門家が判断しやすい形にして渡すのが実務です。
A.出ないことを期限内に伝えます。そのうえで、どこまでは分かったか、どの条件が決まれば答えが出るか、誰に聞けば分かるかを示します。分からないまま放置することと、分からないと確定させて次の手を示すことは別のことです。
A.こちらが引き受けられない約束になるため避けてください。買い手の判断はこちらの手の中にありません。「現時点では分かりません。回答予定は○日です」と事実で返し、待つ期間の見通しだけを共有するのが誠実です。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら