先代が亡くなり、自社株を相続した——。その直後に「この会社を第三者に譲るべきではないか」と考えはじめる方は少なくありません。事業を継ぐ意思が固まらないまま経営を預かる不安、そして何より、非上場株式に課される相続税の負担が、決断を急がせます。

相続直後の売却が通常のM&Aと違うのは、「期限のある制度」がいくつも同時に走っている点です。相続税の申告期限、相続した株式を売るときの特例の適用期間、事業承継税制の手続期限。これらは互いに絡み合っており、どの順番で何を決めるかによって、税負担も、交渉に使える時間の余裕も変わってきます。本稿では、相続直後に会社を売る場合に押さえておきたい期限と、相続税申告との段取りに絞ってご説明します。

なお、相続した株式を売却する場合の課税の全体像(取得費の引き継ぎ、譲渡益への課税、売却タイミングの考え方)については「相続した株式の売却と税金|取得費加算の特例とM&Aのタイミング」で詳しく解説しています。本稿はその続編として、スケジュール管理の観点に焦点を当てます。

※ 本稿は一般的な税制の仕組みをご紹介するものであり、特定の取引に関する税務アドバイスではありません(記載は2026年8月時点の制度に基づきます)。特例の適用要件や期限の起算日は個別の事情によって異なります。具体的な適用は税理士にご確認ください。

相続直後の売却には、三つの時計が同時に動いている

相続が起きた瞬間から、性質の異なる複数の期限が同時に進行しはじめます。まず全体像を押さえておきましょう。

手続き・制度期限の考え方M&Aとの関係
準確定申告相続の開始があったことを知った日の翌日から4か月以内被相続人の所得の精算。売却そのものには直接影響しないが、初期に手を取られる
相続税の申告・納付同じく10か月以内納税資金をどう用意するかが、売却を急ぐかどうかの分かれ目になる
相続税の取得費加算の特例相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日まで(実質的に相続開始から3年10か月ほど)この期間内に譲渡することが適用の前提。M&Aの実行期限になり得る
事業承継税制(特例措置)特例承継計画の提出期限2027年9月30日/適用期限2027年12月31日「継ぐ」選択肢を残すなら、所定の期限内の手続きが必要

ここで注意したいのは、相続税の申告期限(10か月)と、株式を売る特例の期限(おおむね3年10か月)がまったく別物であるということです。「10か月以内に会社を売らなければならない」わけではありません。一方で、納税資金を売却代金で賄おうとするなら、10か月の期限が実質的な締切になります。この二つを混同すると、必要のない安売りを招きかねません。

M&Aは、相手探しから基本合意、デューデリジェンス、最終契約、決済まで、順調に進んでも一般に半年から1年程度を要します。10か月という期間は、相続手続きと並行して走らせるには決して長くありません。だからこそ、最初に「何をいつまでに決める必要があるのか」を整理しておく価値があります。

取得費加算の特例|「期限内に譲渡すること」が条件

相続直後の売却で最もよく話題になるのが、相続税の取得費加算の特例です。これは、相続によって取得した財産を一定期間内に譲渡した場合に、その財産にかかった相続税額のうち一定額を、譲渡所得の計算上、取得費に加算できるという制度です。

制度の考え方

相続で株式を取得すると、まず相続税が課されます。その株式をさらに売却すると、今度は譲渡益に対して所得税・住民税等(一般に20.315%)が課されます。同じ財産に短期間で二度の課税が生じることになるため、その負担を調整する趣旨で設けられているのが、この特例です。取得費が増えれば、その分だけ課税対象となる譲渡所得は小さくなります。

ここで大切なのは、相続税を実際に納めていることと、期限内に譲渡していることという二つの前提です。相続税がかからなかった場合には加算する相続税額そのものが存在せず、期限を過ぎてしまえば、いくら相続直後の売却であっても適用されません。加算できる金額は、その方が納めた相続税額と相続財産の構成によって決まるため、金額の見通しは相続税申告を担当する税理士でなければ立てられません。

期限は「相続税の申告期限の翌日から3年」

適用できる譲渡の期間は、相続の開始があったことを知った日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までです。相続開始からの通算では、おおむね3年10か月という長さになります。一見すると余裕があるようですが、M&Aの検討開始が遅れ、相手探しが難航すると、意外なほど早く残り時間が減っていきます。

発行会社に買い取ってもらう場合の特例

相続で取得した非上場株式を、その発行会社自身に買い取ってもらう(自己株式の取得)場合にも、同じ期間内であれば、通常は配当とみなされる部分を含めて譲渡所得として扱う特例が設けられています。会社に買い取り資金がある場合の選択肢となりますが、会社法上の分配可能額の制約や資金繰りへの影響を伴います。制度の考え方は「自己株式の取得(金庫株)を使った事業承継」で解説しています。

加算できる金額の計算方法や、複数の相続財産がある場合の按分、他の特例との併用可否は、個別性が非常に高い領域です。数値の見積りは必ず税理士にご確認ください。当社は税務判断を行う立場にはありませんが、必要に応じて顧問税理士の先生と情報を共有しながら、売却時期の設計をお手伝いします。

相続税申告との段取り|10か月の中で何を決めるか

相続直後の売却で最も混乱が生じやすいのは、相続税申告のための株価評価と、M&Aで買い手が提示する価格が同時並行で動くことです。この二つはまったく別の基準で算定されるため、金額が食い違うのが普通です(この点は「税理士が出した株価とM&Aの価格が違うのはなぜか」で詳しく解説しています)。

相続開始から3か月|まず情報を揃える

相続人の確定、遺言の有無の確認、株主名簿と定款の確認、決算書3期分と株主構成の整理。この段階でM&Aを視野に入れるなら、株式の分散状況(名義株・少数株主の有無)を早めに把握しておくことが、後の交渉を大きく左右します。

3〜6か月|相続税の見込額と、納税資金の当てをつける

非上場株式の相続税評価額の概算が出ると、相続税の負担感が見えてきます。ここで「現預金で払えるのか、株式を売らなければ払えないのか」がはっきりします。後者であれば、10か月の申告期限に向けて延納・物納を含む選択肢の検討が必要になります。納税資金と売却代金の受取時期の関係は「納税資金をどう準備するか|売却代金の受取時期との関係」をご覧ください。

6〜10か月|申告を確実に終え、その後に売却交渉の本番を置く

実務上、無理に10か月以内の成約を目指すよりも、まず相続税の申告と納税の道筋を確定させ、その後に腰を据えて買い手を探すほうが、結果的に条件がよくなるケースが多いと感じます。取得費加算の特例の期限には、まだ3年近い余裕が残っているからです。「納税のために急いで売る」構図に追い込まれないことが、価格交渉における最大の防御になります。

遺産分割が終わっていないと、株式は売れない

税務以前の問題として、相続直後の売却でしばしばつまずくのが遺産分割です。遺産分割が未了の間、株式は相続人全員の準共有状態にあり、議決権を行使するには権利行使者を定めて会社に通知する必要があります。株主総会の決議も、譲渡承認も、この状態のままでは滞りがちです。

M&Aの実務では、買い手は「誰から、確実に100%の株式を取得できるのか」を最重要の前提として確認します。相続人間で分割協議がまとまっていない、あるいは一部の相続人が売却に反対しているといった状況では、基本合意まで進んでも最終契約に至りません。

  • 遺産分割協議を先に進める:誰が株式を承継するかを確定させることが、売却の出発点になります。
  • 株主名簿と実態の一致を確認する:先代の時代の名義株が残っていると、相続人以外の関与が必要になります。
  • 他の相続人への説明を早めに行う:「なぜ売るのか」「対価はどう分けるのか」の合意形成に、想定以上の時間がかかることがあります。

相続人が複数いる会社の売却では、株式の集約や同意の取り付けが工程の中心になります。進め方は「少数株主がいる会社の売却|同意の取り付けと株式集約の進め方」で整理しています。

期限に追われないための実務|専門家の並走体制をつくる

相続直後の売却では、相続税申告を担当する税理士、遺産分割を支える弁護士や司法書士、そしてM&Aのアドバイザーが、それぞれ別の時計を見ながら動くことになります。ここで情報が分断されると、「税理士は申告のことしか知らない」「仲介会社は相続の進捗を知らない」という状態に陥り、期限管理が誰の手にも残らなくなります。

実務でおすすめしているのは、次の三点です。

  • 一枚の工程表に、税務と交渉の両方の期限を書き込む:準確定申告、相続税申告、取得費加算の期限、そしてM&Aの各段階を同じ紙の上に並べると、どこに余裕があり、どこが詰まっているかが一目でわかります。
  • 初回の段階で顧問税理士に同席いただく:相続税の見込額と納税資金の当てが共有されていれば、売却時期の設計が現実的になります。
  • 「継ぐ」選択肢も並行して検討する:事業承継税制(特例措置)は特例承継計画の提出期限が2027年9月30日、適用期限が2027年12月31日とされています。第三者への譲渡と親族内承継のどちらが望ましいかは、期限のある制度を含めて比較すべきです。

当社は税務代理を行う立場ではありませんので、税額の計算や特例の適用判断は必ず税理士の先生にお願いしています。そのうえで、買い手探索から交渉、契約、決済までの工程を税務の期限と噛み合わせる部分については、私たちが責任をもって設計します。

まとめ|急ぐべきものと、急がなくてよいものを分ける

相続直後の売却で大切なのは、走っている複数の時計を混同しないことです。相続税の申告・納付は10か月という短い期限があり、確実に守らなければなりません。一方、相続した株式を売る際の取得費加算の特例は、相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までという、それなりの猶予があります。

この二つを分けて考えられれば、「納税のために足元を見られる売却」を避けられます。逆に、区別がつかないまま焦って動くと、特例の期限を残したまま不利な条件で決めてしまう、あるいは遺産分割が固まらないうちに交渉を始めて途中で頓挫する、といった事態になりかねません。

ご相続が起きて間もない時期は、心身ともに余裕のない時期でもあります。まだ売るかどうかを決めていない段階でも、「どんな期限があり、いつまでに何を決める必要があるのか」を一度整理しておくだけで、選択の幅は大きく広がります。当社の相談は無料で、秘密は厳守します。ご検討の段階を問わず、どうぞお気軽にお声がけください。

よくあるご質問

A.いいえ。相続税の申告・納付の期限(10か月)と、相続した株式を売る際の取得費加算の特例の期限は、まったく別のものです。特例の期限は相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までで、相続開始からの通算ではおおむね3年10か月になります。ただし、納税資金を売却代金で賄おうとするなら、10か月が実質的な締切になります。この二つを混同すると、必要のない安売りを招きかねません。適用の可否は税理士にご確認ください。
A.実務上は、無理に10か月以内の成約を目指すよりも、まず相続税の申告と納税の道筋を確定させ(延納・物納を含む選択肢の検討も含めて)、そのうえで腰を据えて買い手を探すほうが、結果的に条件がよくなることが多いと感じます。取得費加算の特例の期限には、まだ相当の余裕が残っているからです。「納税のために急いで売る」という構図に追い込まれないことが、価格交渉における最大の防御になります。
A.先に遺産分割を進めてください。分割が未了の間、株式は相続人全員の準共有状態にあり、議決権を行使するには権利行使者を定めて会社に通知する必要があります。買い手は「誰から、確実に100%の株式を取得できるのか」を最重要の前提として確認しますので、分割協議がまとまっていない、一部の相続人が売却に反対しているといった状況では、基本合意まで進んでも最終契約には至りません。株主名簿と実態の一致の確認、他の相続人への早めの説明も欠かせません。
A.放っておくと、誰の手にも残らなくなります。相続税申告を担当する税理士、遺産分割を支える弁護士や司法書士、M&Aのアドバイザーが、それぞれ別の時計を見て動くためです。実務でおすすめしているのは、準確定申告、相続税申告、取得費加算の期限、M&Aの各段階を一枚の工程表に書き込むこと。初回の段階から顧問税理士に同席いただくこと。そして、事業承継税制(特例措置)は特例承継計画の提出期限が2027年9月30日、適用期限が2027年12月31日とされていますので、「継ぐ」選択肢も並行して比較することです。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら