本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。この仕事の学びの大半は、書籍でも研修でもなく、先輩の面談に同席することから得られます。ただし、ただ座っているだけでは何も残りません。同じ面談に同席しても、翌日に何も再現できない人と、三つの技術を持ち帰る人がいます。差は準備と観察テーマの有無です。ここでは、同行を最大の教材にするための準備、見るべき所作、質問の観察、振り返りの型を書きます。1年目の全体像は「M&Aアドバイザー1年目の過ごし方」を併読してください。
同行は、最も効率のよい教材
なぜ同行が効くのか。理由は、この仕事の核心が言語化しにくい部分にあるからです。知識は資料で学べます。しかし、どのタイミングで沈黙するか、答えにくい質問をどう置くか、相手が身構えたときにどう戻すか——こうした判断は、その場を見る以外に学びようがありません。
だからこそ、同行の機会は取りに行くべきです。声をかけられるのを待つのではなく、「同席させてください」と自分から頼んでください。そのとき、何を学びたいかを一言添えると、先輩の側も見せ方を工夫してくれます。
同行前の準備|仮説を持ち、観察テーマを一つに絞る
準備なしの同行は、時間の浪費です。最低限、次を済ませてから臨みます。
- 案件の経緯を読む:これまでの記録、決算資料、進捗。何が決まっていて、何が保留かを把握する
- 今日のゴールを先輩に聞く:「今日は何を決める場ですか」。ゴールを知らずに観察しても、判断の意味が分からない
- 自分なりの仮説を立てる:自分ならどう進めるか、どの順で何を聞くかを先に書いておく。仮説があるから、差分が学びになる
- 観察テーマを一つに絞る:「今日は切り出し方だけ見る」「今日は沈黙の使い方だけ見る」。全部見ようとすると何も残らない
- 役割を決める:自己紹介、資料の一部の説明、記録係。担当を持つと、当事者としての緊張が生まれ、学びが定着する
四つ目が最大のコツです。一回の同行で持ち帰るのは一つでよく、それを次の同行で試す。この積み重ねが最も速い上達です。
見るべき五つの所作
観察テーマの候補として、五つ挙げます。順に一つずつ見ていってください。
| 所作 | 観察の視点 |
|---|---|
| 座り方・入り方 | どこに座るか。資料をいつ出すか。名刺交換から本題までの間の取り方。相手が話し始めるまでの待ち方 |
| 切り出し | 本題への入り方。最初に何を伝えているか(立場・秘密保持・費用)。今日の進め方をどう共有しているか |
| 沈黙 | 相手が黙ったとき、どれくらい待つか。埋めに行くのか、待つのか。待った後に何を言うか |
| 言い換え | 相手の言葉をどう要約して返すか。専門用語をどう日常の言葉に置き換えているか |
| 締め方 | 終わり際に何を確認しているか。決定事項・宿題・期限・次回の日程をどう読み上げているか |
特に沈黙は、新人が最も苦手とする技術です。相手が黙ると不安になり、質問を重ねて場を埋めてしまう。しかし経営者が黙っている時間は、考えている時間であり、本音が出る直前であることが多い。先輩がどれくらい待っているかを、実際に秒数で数えてみてください。想像より長いはずです。
もう一つ、締め方は最も再現しやすい技術です。決定事項と宿題を読み上げて確認する。これは今日から真似できます。記録の型は「面談・電話の記録の残し方」を参照してください。
質問の観察|順番・深さ・答えを急がないこと
質問は、内容よりも順番を見てください。答えやすい事実確認から入り、答えにくい論点(株の分散、個人保証、労務、家族の状況)を中盤以降に置いているはずです。冒頭から核心を聞く人はいません。
次に、深さです。一つの答えに対して、どこまで掘っているか。「なぜですか」を繰り返すのではなく、事実を一つ挟んでから掘る、という形をとっていることが多いはずです。「売上が落ちたのは3期前ですね(事実の確認)。そのとき何が起きましたか(掘る)」。この二段の組み立てを盗んでください。
そして、答えを急がないこと。相手の質問にその場で完全な答えを返そうとせず、「確認してご回答します」と受ける場面を必ず見ることになります。これは知識不足ではなく、断定しないという実務の作法です。とくに法務・税務は、仲介者が見解を述べる領域ではありません。新人はここで「答えられないと頼りないと思われる」と考えがちですが、逆です。持ち帰って正確に返す人のほうが信頼されます。質問の組み立て方そのものは「質問力を鍛える」に詳しくまとめています。
同行後の振り返りと、自分が話す番への移行
同行の価値は、振り返りで決まります。面談後、できればその場で15分もらってください。聞くのは次の三つです。
- なぜあの順番で話したのか:自分の仮説と違った箇所を具体的に挙げて聞く
- あの場面で何を考えていたか:沈黙した時、話題を変えた時、資料を出した時
- 今日の面談の評価:何がうまくいき、何が課題だったか。先輩自身の反省を聞くと、判断の基準が見える
質問するときは、仮説をぶつける形にしてください。「なぜですか」だけでは相手も答えにくく、「自分なら先に価格の話に入ったと思うのですが、後に回したのは理由がありますか」と聞けば、判断の基準がそのまま返ってきます。
そして、同行はいつか終わります。見る側から話す側へ移るときは、段階を踏んでください。
- 1段階目:記録係として同席し、締めの確認を担当する
- 2段階目:自己紹介と、進め方の説明(立場・秘密保持・費用)を担当する
- 3段階目:ヒアリングの前半を担当し、難しい論点は先輩に渡す
- 4段階目:全体を進行し、先輩は同席のみ。終了後に指摘を受ける
段階を飛ばさないことが、結局は速い道です。そして、自分が話す番になったら、今度は後輩に見せる側になります。人に説明できる形に整理された型だけが、本当に自分のものになった型です。面談設計の基本は「初回面談のヒアリング設計」に戻って確認してください。