M&A仲介の会社に入社した1年目は、覚えることが一気に押し寄せます。決算書、契約書、業種の知識、経営者との話し方、社内の管理ルール。どれも大事に見えるので、何から手をつけてよいか分からなくなる人が少なくありません。本稿は「必要なスキルは何か」という全体像の話ではなく、入社してからの12か月を、実際にどう過ごすかを書いたものです。スキルの体系と学び方については「M&Aアドバイザーに必要なスキルと学び方」に譲り、ここでは月ごとの動き方、最初の案件からの学びの取り出し方、そして1年目が高い確率でつまずく点を、先輩が後輩に話すつもりで具体的に書きます。

1年目の全体像|「覚える半年」と「任される半年」

1年目を大きく二つに割ると、前半は覚える半年、後半は任される半年です。前半は、案件の流れと書類の名前が頭に入り、決算書を見て「この会社はどういう構造で儲けているか」を数分で言えるようになることが目標になります。後半は、工程の一部を自分の判断で進め、先輩に相談する前に自分なりの答えを持っていける状態を目指します。

ここで一つ、最初に理解しておいてほしいことがあります。M&Aは相談から成約まで長い時間がかかります。1年目のうちに担当案件が成約するとは限りませんし、成約しないこと自体は失敗ではありません。後継者不在率は50.1%(帝国データバンク2025年調査)と高く、2025年のM&A件数は5,000件超で2年連続の過去最多(レコフデータ)と、相談の裾野は広がっています。それでも、一件一件は経営者の人生の節目であり、時間がかかるのが当たり前です。1年目の成果は成約件数ではなく、身についた型の数で測る。この前提を持てるかどうかで、1年目の質が変わります。

最初の3か月|同席・記録・決算書の三つを型にする

最初の3か月でやることは、突き詰めれば三つだけです。同席の仕方、記録の書き方、決算書の読み方。この三つを「毎回同じ手順でできる」状態にします。

同席|発言しない代わりに、観察の視点を決めておく

先輩の面談に同席するとき、ただ座っているだけでは何も残りません。同席の前に、その日の観察テーマを一つ決めてください。「先輩はどの順番で質問しているか」「経営者が言いよどんだ場面はどこか」「先輩が話さなかったことは何か」。テーマを一つに絞ると、面談後に言語化できます。特に見てほしいのは、先輩が「言わなかったこと」です。初回面談で価格の話をどこまでするか、他の候補の話をどう扱うかには理由があります。面談の設計そのものは「初回面談のヒアリング設計」に整理していますので、同席前に読んでおくと観察の解像度が上がります。

記録|その日のうちに、事実と解釈を分けて書く

面談記録は、翌日になると細部が消えます。当日中に書くのが原則です。書き方の型は次のとおりです。第一に、経営者が実際に口にした言葉をそのまま残す。第二に、そこから自分が推測したことを、推測と明示して分けて書く。第三に、確認できていない事項を「未確認」として一覧にする。この三層に分けておくと、後日先輩に相談するときに議論が早くなりますし、自分の思い込みも見つかります。記録の残し方は利益相反や説明義務の観点でも重要で、「利益相反管理の実務」と合わせて理解しておくとよいでしょう。

決算書|3期分を並べ、変化した科目から入る

決算書は、いきなり全部を読もうとすると挫折します。3期分を並べ、大きく動いた科目だけを先に拾ってください。売上が落ちているのに利益が増えているのはなぜか。借入が減っているのに現金も減っているのはなぜか。動いた科目には必ず事業上の理由があり、その理由を経営者に尋ねることが、そのまま良い質問になります。役員報酬や地代家賃、保険料といった調整項目の見つけ方も、この3か月で手が動くようにしておきます。

最初の案件で何を学ぶか|工程ごとの「持ち帰りテーマ」

最初の案件は、経験の総量としては一件にすぎません。ただし、工程ごとに何を持ち帰るかを決めておくと、一件から十件分の学びが取れます。下表は、当社で1年目に渡している持ち帰りテーマの一覧です。

工程1年目が担当することその工程から持ち帰るテーマ
初回相談記録係。資料の受け渡しとお礼連絡経営者が「本当に気にしていること」は、最初の30分では出てこないという事実を体感する
資料の整理・分析決算書3期分の整理、実態収益力の試算(先輩が検証)数字のどこを調整すると評価が変わるのか、その根拠を説明できるようになる
企業概要書の作成初稿の作成、事実確認特定につながる情報をどこまで削るか、削っても魅力が伝わる書き方は何かを掴む
候補先への打診リストの作成、反応の記録と整理断られた理由を分類し、次の打診の順番に反映する習慣をつける(売り案件ソーシングの実務参照)
秘密保持契約締結の段取り、資料開示の管理秘密保持は書面だけでなく日々の動作であることを身体に入れる(秘密保持の運用実務参照)
トップ面談設営、記録、当日の進行補助売り手と買い手の関心のズレがどこに出るかを観察する
基本合意・DD・最終契約資料の授受管理、専門家との日程調整専門家に何を依頼し、自分たちは何をするのかという役割分担を理解する

持ち帰りテーマを事前に決めておくと、案件が終わったときに「担当しました」ではなく「この工程からこれを学びました」と言えるようになります。これは翌年、自分が主担当になったときの引き出しになります。

1年目が失敗しやすい8つの点

ここからは、実際に多く見てきたつまずきです。読んだだけで避けられるものもあるので、率直に書きます。

  • 分かったふりをする。経営者の前で知らない用語が出たとき、その場で流してしまう。後で調べる前提であっても、曖昧なまま話を進めると、必ず後工程で食い違います。「不勉強で恐縮ですが」と聞くほうが信頼されます。
  • 数字を鵜呑みにする。渡された試算表や役員報酬の額を、確認せず前提に置いてしまう。出所と期間を必ず確認する癖をつけてください。
  • 先輩の言い回しだけを真似る。言葉は真似られても、その言葉を選んだ理由は真似られません。理由を聞かずに形だけ写すと、想定外の質問に答えられなくなります。
  • 依頼者を待たせる。「進展がないから連絡しない」は最悪の対応です。進展がないことを伝えるのも報告です。連絡の間隔を自分で決め、案件管理に落とし込んでください(パイプライン管理参照)。
  • 秘密の扱いが甘くなる。社名を伏せていても、地域・業種・規模を並べれば特定できることがあります。家族や友人に「今こういう案件をやっていて」と話すのは論外です。
  • 不利な情報の報告が遅れる。簿外の債務、係争、主要取引先の減少。悪い話ほど早く上げるのが鉄則です。遅れるほど選べる手が減ります。
  • 成約を急がせる。自分の焦りが、依頼者への「そろそろ決めましょう」に変わっていないか。仲介への批判の多くはここから生まれます(「M&A仲介は『やばい』のか」参照)。
  • 記録を後回しにする。忙しい週ほど記録が飛びます。記録のない案件は、担当が代わった瞬間に価値がゼロになります。
本稿で挙げた失敗は、いずれも能力の問題ではなく手順の問題です。手順を型にしてしまえば、繁忙期でも品質が落ちにくくなります。

1日と1週間の時間の使い方

1年目は、放っておくと「頼まれた作業」で1日が終わります。自分の学習時間を先に確保してください。

1日の型

  • 始業後の30分:担当案件の未処理事項を確認し、その日の連絡先を決める
  • 日中:面談・資料作成・打診。面談があった日は、終了後30分以内に記録を書く
  • 終業前の30分:読んだ資料や気づきを1行ずつ書き残す。翌日の最優先事項を1つ決めて帰る

1週間の型

  • 週初:担当案件の進捗ステージを更新し、止まっている案件の理由を書く
  • 週央:担当業種の公開情報を1時間読む(業界団体・官公庁の公表資料など)
  • 週末:面談記録を読み返し、「次はこう聞く」を1つだけ決める

ポイントは、学習時間を「余った時間」に置かないことです。週1時間でも、業種の理解は50週で確実に積み上がります。

1年目の終わりに到達しておきたい状態

1年目終了時のチェックリスト

  • 決算書3期分を見て、実態収益力の考え方と調整項目を自分の言葉で説明できる
  • 相談からクロージングまでの流れを、書類名と目的つきで人に説明できる
  • 企業概要書の初稿を、先輩の大幅な手直しなしで書ける
  • 契約前の重要事項説明の内容を、資料を見ずに要点で話せる
  • 秘密保持の実務動作(資料の授受・保管・破棄・社内共有範囲)が習慣になっている
  • 担当した業種について、収益構造・主なコスト・買い手候補の傾向を整理した自分のメモがある
  • 面談記録が全件残っており、事実と解釈が分けて書かれている
  • 担当案件の次の一手を、相談前に自分で仮決めしてから相談できている
  • 言いにくい事実を、依頼者に自分の口で伝えた経験がある

全部に印がつかなくても構いません。印がつかなかった項目が、2年目の課題になります。逆に言えば、この一覧を持たずに1年を過ごすと、「忙しかったが何が身についたか分からない」という状態になりがちです。

まとめ|1年目は「速さ」ではなく「型」を作る年

1年目の前半は覚える半年、後半は任される半年です。最初の3か月で同席・記録・決算書の三つを型にし、最初の案件では工程ごとに持ち帰りテーマを決めて臨む。失敗しやすいのは、分かったふり、数字の鵜呑み、依頼者を待たせること、悪い報告の遅れ、そして焦りから来る成約の催促です。1日と1週間の型を先に決め、学習時間を余りものにしない。1年目の終わりに、決算書・流れ・書面・秘密保持・記録の五つが手順として身についていれば、十分に良い1年です。この仕事は、速く走った人ではなく、正しい型を早く持った人が伸びます。

よくあるご質問

A.組織によりますが、当社では最初から「自分の担当」として案件に名前を置き、判断だけを先輩と一緒に行う形をとっています。名前だけ載って何もしない同席は身につきません。逆に、判断を一人で抱えると依頼者に迷惑がかかります。工程の一部を任され、判断の前に必ず相談する。この形が1年目には最も学習効率が高いと考えています。
A.止まった案件のほうが学びは多くなります。なぜ止まったのかを、依頼者の事情・買い手候補の事情・自分の進め方の三つに分けて書き出してください。多くの場合、初期のヒアリング不足や、条件の優先順位を確認しないまま打診を始めたことが原因です。成約した案件は成功要因が曖昧になりがちですが、止まった案件は原因が特定しやすく、次の案件の手順に直接反映できます。
A.1年目に限れば、資格の勉強よりも、担当した案件の決算書を繰り返し読むこと、面談記録を書いて読み返すこと、契約書の条項を実物で確認することのほうが効果が高いと考えています。知識は案件と結びついたときに定着します。資格取得を否定するものではありませんが、順番としては実務の型が先です。

Careers & Consultation

1年目から、役員の隣で案件の最初から最後までを。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら